初音ミクシンフォニー2018-2019東京公演

ネタバレが含まれているので、大阪公演のみを前提知識なしで楽しもうと思っている人は見ないほうがいいと思うけれど、知ったところでこの公演の価値がなんら減るものではないとは思う。

ちなみにこの記事は前振りの2つの記事とつながっていて、要するにボカロ耳になって現代ならではの体験をしたいと思って、シンガポールから11月24日の東京公演に行ったわけである。みなとみらいなんて久々だ。

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東京フィルハーモニー交響楽団によるフルオーケストラで、ボーカロイドの曲というのが面白い。そもそもボーカルパートを生成するソフトウェアなのに、所々オーケストラのinstrumentalのみでボーカルなしだったりするわけである。

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たぶんギャップがいいんだと思う。昔の作品って歌詞も曲も個人の思い入れがたっぷり入ったいい意味でとても泥臭いものだったりするけれども、それがフルオーケストラで演奏されるのは当時誰も想像していなかったはずで、そのギャップがいい。

例えばダブルラリアットとか一見ものすごくふざけた作品だけど、よく聴いたらすごく良い歌詞だし、曲は中毒性が出てくるし、それがフルオーケストラになって壮大になる意外性がすごく楽しい。

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巡音ルカ10周年アニバーサリー曲のメモリがとても良かったがあれは大阪公演が終わるまで発売されないのかな。あの曲をまた聴きたいなんて思ったらどんどん沼に入ることになる。

この公演で初めて重音テトの曲を聴いたけど、おちゃめ機能のピコピコ感が中毒性があって良かった。後からいろいろと見てみたけど、これ2008年のエイプリルフール前にVIP板で設定が作られたキャラクターだったのか。ツインドリルにフランスパンが入るとか悪ふざけ全開な設定がそのまま採用されて10年間生き残って、ステージ上で動き、話し、10周年メドレーがフルオーケストラで演奏なんて、このストーリーそのものがすごく良いし今更ながら感慨深い。

サブカルチャーが独自の発展を遂げた感があって、自由と懐深さを強く感じられる。

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メルティランドナイトメアのイントロがかっこいいとか、あれが噂のミクダヨーさんかとか、SNOW MIKU 10周年メドレーが良かったので2月の札幌行きを決めてしまったとか、すごく聴きたかった未来序曲がなくて残念だったけどMitchie M氏の新曲ガールズフレンドシップが良かったしまた聴きたいとか、よく聴いていたrayのフルオーケストラ版が聴けてとても贅沢な気分になったとか、テーマ曲はやはり良いとか大変満足した。


【初音ミクシンフォニー2018-2019】たいせつなこと【オールキャスト曲】

2年弱しかこの界隈の曲を聴いてない自分でも、instrumentalでボーカルが脳内補完されるし、ステージの上で歌っている姿が脳内補完されて視えたりするわけなので、10年間ずっと応援している人ならもっとずっと感慨深い体験をしているんだろうと思う。積み重ねることで思い入れが深まり、体験の質が上がっていくのはとても尊いことだと自分自身が体験を重ねるたびに思う。

シンガポール発広州・西九龍経由東京行き

今年の5月のミク鼓童に行った後、マジカルミライはチケットないけどミクシンフォニーはまだ間に合うみたいな状態で、その後ミクシンフォニーのチケットを取ってとりあえず11月24日は横浜に行こうと決めた。

せっかく日本に行って関東しか行かないのはとてもつまらないので当然地方都市への旅行を検討するわけだが、12月1日2日に大垣ミニメイカーフェアなんてものがあったり勝本さんが岐阜にいるなんてこともあり、岐阜を旅行しようと決めた。飛騨高山と白川郷には行ったことあったが、それ以外の岐阜を見てみたかった。

その後、SIGGRAPH ASIAのチケットを頂いたので12月5日は有楽町に行けるようにした。12月6日〜9日に東莞理工大学でやるイベントに行こうと思えば行けるようにしたかったので中国で2泊することにしたが、そのイベントの話は消えたのでそれはどちらでも良くなった。

最初横浜行くだけならとにかく安く日本に行くルートみたいに考えたけど、あまりなくてマニラ経由とかもストレス溜まりそうだしと悩ましい状態だった。スクートの広州往復便が安かったのでとりあえず確保して、それから香港成田間でバニラエアなら安いということでやや変則的なルートで行くことにした。広州にはまだ行ったことがなかったので一度行ってみたかったという安直な理由以外に深い意味はない。

11月22日午前2時35分広州白雲空港到着。空港に休憩所があるという情報を入手していた。深夜にタクシーで移動してホテルに泊まることを考えたら電車が動き出す時間まで空港の休憩所に居たほうが便利なので利用することにした。

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夜だと1時間50元で4時間使ったから200元とそんなに安くない。いつも深圳で泊まっている宿が大体一泊200元くらいである。でも便利なので使うことにした。

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ちなみに眠かったらしく4時間で起きられなくてモーニングコールがかかってきて30分位超過したが、デポジットはそのまま返ってきた。WiFi入るし、横になれるし、個室だし、カプセルホテルとかより快適じゃないかと思う。

この日のミッションは15時40分香港発の飛行機に乗ること。スクートからバニラに乗り継ぐので、陸地にいるうちに食事を済ませないと食事にありつけない。地下鉄で広州駅に行って、蘭州ラーメン屋で朝食。

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中国ではかなりの頻度で蘭州ラーメン屋に行くけれども、蘭州牛肉麺はほとんど食べてない気がする。平皿の麺やご飯の類を食べることが多い。メニューが豊富で一人で入りやすいのでよく使う。やっぱり麺が美味しい。

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昼過ぎくらいに高鉄乗れば余裕とか思っていたが、全然そんなことはないと気づいて、地下鉄で広州南駅に向かい、窓口で高鉄の切符を買った。マイクロソフトのTranslatorアプリに「西九龍行きの片道切符を一枚ください」と話しかけて出てきた中国語を見せながらパスポート出して、うぇーしんじーふー(微信支付)って言ってQRコード見せたら切符買えるんだから、言葉話せないとか旅行行けない言い訳にならんだろっていつも思う。

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広州南駅はやはり巨大だった。こんな巨大な駅を必要とするサイズの都市がごろごろしている中国ってやっぱりスケールが違って面白いなといつもながら思う。

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これで香港まで行けてしまう。でもこの電車自体は別にそんなに快適ではなくて、香港のエアポートエクスプレスの方が快適ではないかと思う。

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西九龍駅に着いて、中国出国、香港入国して、九龍駅の矢印だけを頼りに地上に出ないで建物の中を移動して九龍駅到着。すごく見晴らしの良いところがあったけど、そんなところを見る余裕などなかった。急いでエアポートエクスプレスに乗って、なんとかバニラエアのチェックインカウンターに間に合った。

成田空港に着いて、LCCのくせに案外着陸から入国審査とか近いなーって思ったら、京成電鉄の駅までめちゃくちゃ遠かった。これが成田空港第3ターミナルかという洗礼を受けたわけである。

現代ならではの体験をするということ

ここ数年、昔の偉い人がどんなにお金を積んでも権力を行使しても体験できなかったことをやろうというのを個人的な行動の指針にしている。21世紀らしいことをしようというわけである。我々は昔の人より未来に生きているので、今の技術を使った体験や最近出てきたものを楽しめるという特権があるのでそれを使おうということだ。昔の人が想像すらできなかったものが現代にはたくさんあるので、それを楽しんでいくだけでわりと面白いものに出会えるのではないかと思っている。

今年初音ミク×鼓童初音ミクシンフォニー、Bilibili WorldBilibili macro link に半ば強引に行った背景にはそんな指針があった。単に楽しそうだからというのはもちろんあるが、昔は存在しなかった何か新しいものには好奇心がそそられるわけである。毎年行きたいかどうかは別として、少なくとも一回は行かないとという気持ちにさせられる。

技術的にはボーンを入れて3Dモデリングされたキャラクターが演者の振り付けに従ったり細かい微調整をされたりしながら最終的に自在に動き回るようになったのが、ポリッドスクリーン上に映し出されてあたかもステージ上でキャラクターが動き回っているように見える仕組みである。しかしコンサート会場のようにある程度距離が離れた客席から見ると人間とキャラクターの区別がつかなくなる。バーチャルという表現はとても納得できるもので、確かに実質的に存在しているのだ。そしてスクリーン上の映像だから服が一瞬で入れ替わったり人が一瞬で入れ替わったりするのは何もおかしいことではないが、それでも昔ではあり得なかった演出が行われるのを見るのはとても楽しい。

それから周りのプロの存在も大きい。バックバンドや太鼓、オーケストラのプロがボーカロイドの歌声に対して寸分のずれもなく合わせていてさすがだし、客席もとても訓練されていて、見ていて気持ちの良い一体感がある。その辺りで自分が思い違いをしていたと気付かされる。ボーカロイドが人間っぽく見えるとかリアルだとかそんなことはどうでもよくて、一人のアーティストとして舞台を盛り上げて客席もそれを楽しんでいるだけなのだ。一人のアーティストとして扱うべきものなのだと。周りのプロも観客もみんなで見守ったり盛り上げたりする優しい世界がここにはあってそれがとても居心地の良いものとなっている。

大切なことは目に見えないというが、確かに目に見えるのは氷山の一角に過ぎないのかもしれない。背景知識やストーリー知らずに表面を眺めていても何も見えてこないかもしれない。確かに回数を重ねたり、周辺の知識を入れたり、出てくる人や曲のバックグラウンドを知ることにより全然違うものが見えてくる。目に見えるものと脳内補完されるものの組み合わせを体験と呼ぶのなら、いかに素晴らしいものを脳内補完できるようにお膳立てするのが現実の役割なんだろうかと感じることがある。いずれにせよ現代ならではの体験を楽しんでいけたら良い。

ボカロ耳と純米酒

声を電子楽器のように扱ってボーカルパートを機械的に生成できるボーカロイドというソフトウェアが世の中に出てきてから10年が経過した。言ってみれば合成音声の産物なのでいわゆる機械っぽい歌声になることが多いが、職人がうまく調教すれば極めて人間の歌声に近いものになる。例えばMitchie Mという方が作った作品は神調教と呼ばれていて、極めて人間の声に近いというより区別が困難だったりする。近頃は人間の歌声に意図的にエフェクトをかけて機械のような効果を出すケースも珍しくないので、結果として人の歌声に近いボーカロイドと機械に寄せた人の歌声は重なっていると言っても過言ではない。

あまりボーカロイドに馴染みのない人にとっては、人間の歌声の方が聞き慣れているので、よく調教された人間に近い声を好ましく思い、機械のような歌声に対しては抵抗を感じるかもしれない。しかし何度も聞いているうちにボーカロイドの歌声に耳が馴染んでいくという現象がある。大抵は慣れの問題なのでそういうことは珍しくない。進化なのか退化なのかわからないが、そういう現象をボカロ耳と呼んだりする。

ボカロ耳になって様々なボーカロイドの歌声を楽しめるようになると、一つわかることがある。人間の歌声に近づけるだけが正解じゃないということだ。ちょっと機械っぽかったりちょっとぎこちなかったりするのも個性であり、いろいろな形の良さがある。もちろん神調教はすごいわけだが、機械っぽさをあえて残した他のスタイルだって甲乙つけ難い良さがあり、そんな多様さがこの文化圏の豊かさと呼んでもいいだろう。

突き詰めれば一つの正解に収斂されそうな印象を与えがちだが、実際には収斂される手前のところに多様で豊かな世界があると考えると、やや唐突ではあるが日本酒の純米酒の世界に近いものを感じた。純米酒純米吟醸純米大吟醸は米粒の何%を使うかによって分類されている。米粒の半分以上を捨てて中心部ばかり使った大吟醸は値段でいえばこの中で最も高くなるし、無論とても美味しい。しかしそこまで削っていない純米酒にしても米らしい味が残っていて非常に個性豊かなのも事実だ。個人的には純米大吟醸よりも純米酒の方が好きだ。

よく知らない人ほど強引に雑にまとめたがり、何か一つの正解があると想定して進みたがる。そして何もわかっていないのに知ったかぶりをする。でも大切なのは強引に決めつけられた正解じゃなくて、自分自身が変わることなのだ。深く知ること、違いを楽しみながら経験を積むことがなければ大雑把で表層的な感じ方しかできない。自発的に調べたり、ちょっと行動を起こしたりすれば、基本的なところを知るのにそれほど時間はかからない。問題は色んな分野の基本的なところを知ってしまうと、面白そうな世界が広がりすぎて楽しむ時間が足りなくなってしまうことかもしれない。

ハードウェアハッカー 全体の感想

多岐にわたる分野をカバーしたこの本「ハードウェアハッカー」を読み終えてまず思ったのは、これはハードウェア版のリチャード・ストールマンの物語だということだ。著者のバニー・ファンはストールマンよりずっと若いし、あんなに頑なな態度を取らないかもしれないし、とんでもなく優秀でそんな枠には収まりきらないのも事実ではある。しかし、自由というものを極めて重視し、信念を貫いて様々なハードルを乗り越えながらハッカーとして技術も法律もハックしていく姿勢は非常に重なるものがある。どちらも願いはとてもシンプルなのだ。ソフトウェアは自由であるべきだとか、ハードウェアは自由であるべきだとか。現代においてそれを実践することは並々ならぬものだとこの本を読めばよくわかる。

この本は四部構成になっており、第一部では中国でのハードウェアの量産について非常に詳しく書いてある。そこで作っているのはあのchumbyだ。好きなようにハードウェアもソフトウェアもハックできるオープンなおもちゃだ。無論他にもいろいろと理由はあるのだろうけれども、自由なおもちゃを多くの人に届けたいという気持ちがあったのだろう。手頃な価格でものをたくさん作るという量産の泥臭いところがこれでもかというくらい書いてある。工場には工場の言い分があり、彼らも無能ではないので彼らなりの理屈で合理的に動いていて、それを一つ一つ解き明かしていくその様子は実に興味深い。

第二部では中国の知的財産に切り込んでいく。西洋の価値観に染まっていると一見無法地帯に見えるが、深圳の山寨エコシステムという大きなくくりの中で情報を共有したり工場の宣伝をするという世界が出来上がっている。山寨パテントプールと呼ぶのは多少語弊があるかもしれないが、西洋のオープンソースとはまた違った仕組みが機能していることをここでは詳しく教えてくれる。ガチガチに権利関係を固められた西洋的な知的財産制度ではなく、もっとユーザーに自由を与えたハードウェアの可能性を模索している。一方で、後半のニセモノの話では推理小説を読んでいるような気分にさせられる。例えば同じ工場で同じ人と同じ機械により作られたもので、一方は正規品でもう一方がゴーストシフトと呼ばれる工場の小遣い稼ぎのために余った材料で別の時間帯に作られたものだとしたらそれは見分けられるのか。

第三部では具体的にバニーが取り組んだオープンハードウェアプロジェクトについて書いている。ムーアの法則が全盛の時代では小規模の会社が一生懸命頑張っているうちに製品が性能的にすぐに時代遅れになってしまうが、様々な理由によりムーアの法則が減速し始めた現在では、小規模な会社でも戦える余地が出てきたとのこと。そこで語られるオープンなラップトップであるNovena(ちなみにバニーはシンガポール在住である)やシールのように剥がしてくっつけられる電子回路であるChibitronicsの話はとても具体的であり、試行錯誤の過程が実に詳細に記されている。

最後の第四部はハッカーという視点と題してハードウェアハッカー・バニーが本気を出してきた感じが凄まじい。もちろん第一部から第三部までも非常に面白く有益なのだが、第四部のハードウェア・ハッキングのドライブ感が圧倒的なのである。SDカードのマイクロコントローラをリバースエンジニアリングするって、ちょっと何言ってるんだと言いたくなる話が出てきたり、NeTVというプロジェクトではDMCAに触れずに(暗号化されたビデオを復号することなく)暗号化されたビデオとユーザー生成コンテンツの重ね合わせに成功している。そしてどれも非常に楽しそうにやっているのが印象的である。続いてバイオインフォマティクスというこれまでとちょっと毛色の違う話が始まるが、これはバニーが自分の専門分野以外でもオープンコミュニティの知恵を使って、関心ある分野に切り込んでいく例と言えるだろう。

この他二本のインタビューが入った実に盛り沢山な本である。訳者の高須さんのまえがきも監訳者の山形さんのあとがきもとても熱い。

「ハックできないならそれは自分のモノとは言えない」という力強い言葉を言い放ち、圧倒的な好奇心とバイタリティで実践していくバニー・ファンの強さを本書全体から感じるが、それと同時にみんなオープンなガジェットで一緒に遊ぼうよとハードウェアハッカーの道に誘っているようにも見える。権利というのは行使しないとなくなってしまうわけで、エンジニアとしてリバースエンジニアリングする権利を行使し続けているバニーだが、こんなハッカーカルチャーが広がって、みんなが自由にハードウェアをハックできる未来を見ているのかもしれない。

訳者と監訳者のディープなトークイベントが11月30日(金) に東京で開催されるので興味ある人は是非。

『ハードウェアハッカー』刊行記念トークイベント開催~当日枠若干あり:トピックス|技術評論社

ハードウェアハッカー ~新しいモノをつくる破壊と創造の冒険

ハードウェアハッカー ~新しいモノをつくる破壊と創造の冒険

 

渋谷系ソングブック

大人になってからの音楽の好みは14歳の時に聴いた音楽で形成されている

音楽の趣味が中学生の頃から最近まで基本的にあまり変わっていない自分としては、これは非常に頷かされる話である。あの当時聞いていたPizzicato Fiveボサ・ノヴァ2001やOverdoseは、あれから25年経った今聴いても全然古く感じさせるものがなく相変わらずかっこいい。数百回聞いているのではなかろうか。

ボサ・ノヴァ2001

ボサ・ノヴァ2001

 
OVERDOSE

OVERDOSE

 

あとから別の人のカバー曲を聞いたり、本人のアレンジを聞いたりしても、オリジナルのほうがいいなと、頭の固い感想しか自分の中から出てこなかったりする。 レーベルやコンピレーションや楽曲提供などの切り口から色々と展開して聞いてみたけれども、結局のところここに戻ってきてしまう。

そんなわけで中学生の頃からPizzicato Fiveのファンなのだが、先日ボーカルの野宮真貴さんの歌声を生で聴く機会があって、とても感慨深い気持ちになった。

ちょっと自分が関わった部分は反省の残る結果となったが、イベントそれ自体はとても良いものだったし、アーティストさんたちを見ていてプロって凄いなというありきたりながら強烈な印象を受けた。

そして野宮真貴さんである。25年前と見た目も声も変わってなくて人魚の肉でも食べたのだろうかと感じてしまうわけだが、Twiggy Twiggy、東京は夜の七時、Sweet Soul Revueと3曲懐かしい曲ばかり聞くことができてとても良い体験だった。このためにわざわざシンガポールから(深圳経由で)渋谷に行く価値が個人的にはあった。

それから一ヶ月、spotify野宮真貴さんの曲ばかり聞いている。10月31日に出たこのベストアルバムもよく聞いている。

野宮真貴 渋谷系ソングブック

野宮真貴 渋谷系ソングブック

 

野宮真貴 渋谷系ソングブック - 野宮真貴

MCがあったりCMソングがあったりメドレーがあったりするわけだが、特にBlue Valentine's Dayが良かった。他も懐かしい曲ばかりいろんなアレンジが聴けてとても良い。このアニバーサリーをきっかけにいろいろな記事が出てきていて、それを読むのも楽しい。

あと5時と7時に曲が流れるというのも、25年前に札幌に住んでいて東京に対していろいろと入り混じった感情を抱きながら曲を聞いていた自分にとっては、何か特別なものを感じるので、現地で期間中に聞いて年月の経過を感じたいものだ。

きっと25年後も相変わらず25年前のPizzicato Fiveの曲を聞き続けているのだろう。変わりゆくものの中に変わらないものがあってもいい。

深圳でトラムに乗る

鉄道ファンと一口に言っても、電車に乗る乗り鉄、電車を撮影する撮り鉄鉄道模型を走らせる模型鉄、音にこだわる聞き鉄、時刻表やダイヤ図を愛好するスジ鉄、切符などを集める収集鉄、駅弁を愛好する駅弁鉄などなど居てとても沼は広く深いようである。

自分はいろいろな場所で色々な乗り物に乗りたいという軽めの願望があるが、コアなファンと呼べるほどのものではない。でも深圳滞在中にちょっと変わったトラム(路面電車)があるという情報を入手し、行ってみたらそんなライトなファンでもなかなか楽しめたのでここで紹介しよう。

場所は地下鉄4号線の終点(現在延伸工事中)の清湖駅

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路線図はこんな感じ。大和という駅まで一本で、そこから二手に分かれている。高徳地図で有轨电车1路、有轨电车2路で検索してみると良い。

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このトラムの何が面白いかというと、上に架線がないことだ。上部がとてもスッキリしている。

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これは歩道橋から撮影したものだが、柵の中に線路があって、ただそれだけなのである。ここに路面電車が車のように走っているというとても不思議な光景となっている。

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電車というのは電力で走るわけで何かしらの手段で電力を供給する必要がある。初期の路面電車は地表から電力を供給していたが、人が通るところなので感電の恐れがありとても安全とは言えない。そこで、人の手が届きにくい車両上部の架線から給電する方式が多くの都市の路面電車で採用されている。

しかし、電気自動車が走るほどバッテリー技術が大きく発展したご時世なのでもっと違った形があっても良い。そう考えたかどうかは知らないが、この深圳のトラムでは各駅で車両上部で充電している。

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そんな高頻度で充放電を繰り返してバッテリーの寿命は大丈夫なんだろうかと気にならなくもないが、都市の景観的にもメンテナンス的な意味でもとても優れた仕組みだと思う。

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ちなみに深圳通で乗れる。QRコードでも乗れそう。

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車両自体はこれといって可もなく不可もなく、新しい電車という感じ。

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もっと詳しく知りたい人は、YouTubeに上がっていたこの動画を見ると良い。


【鉄道PV】深圳有軌電車 Documentary of Shenzhen Tram

 ちなみにこういう電車は深圳だけではなくて他の都市にもある。

技術的な視点でいえばこのACCUMとそう違わないかもしれない。

でも電線が地中に埋められた都市で、路面電車が各駅給電のみで架線なく走り、BYDの電気自動車のタクシーが大量に走るという全体的なコンセプトの面白さはあると思う。

お蔵入りになった技術に価値なんてなくて、技術が社会にどのように実装されるかが大事であり、その実験場として試行錯誤を繰り返している過程を見られる場所として自分は深圳を見ているように思う。

To invent, you need a good imagination and a pile of junk.と言ったのはトーマス・エジソンだったか。ごみの山を作ることを恐れては何も新しいことはできないので、荒削りでも実験を繰り返して次から次へと変なものが出てくる深圳であり続けて欲しい。