集中力がつく本

集中力がつく本
多湖 輝
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  • 睡眠時間を2、3時間に切りつめ、着の身着のまま、長靴を切り裂いたとき、足の皮も一緒にはがれたというミケランジェロ。道を歩きながら深い思索に陥ると、問題の解けるまで、いつまでも道端に立ち尽くしていたソクラテス
  • たとえば試験で、ある点以上の成績をあげれば自転車を買ってもらう、という約束をしたとしよう。その場合に、ただたんに自転車といってもいろいろあるから、「どこのメーカーのどんなスタイルで、色は、アクセサリーは」というように、より具体的なイメージを自分の中に作り上げてみるのだ。自分がそれに乗って走っている姿まで思い浮かべられればしめたもので、いやな、苦しい試験が終わった後の報酬が、光り輝いて見えるだろう。
  • 私にとって水泳は楽しみ以外の何物でもありません。だから、一日一万メートルから一万6000メートル泳いでも少しも苦になりません。楽しいから泳ぐ、その結果いい記録が出る、それだけです。
  • 艱難汝を玉にす

このことわざほど、環境と人間の関係を的確に表した言葉はないのではなかろうか。人間は環境や状況に甘える動物なので、いたれりつくせりの絶好条件下ではかえってフル能力を発揮できないのだ。むしろ困難があった方が、その困難克服のためにエネルギーを傾注し、その結果、うまくいくことが多い。

  • つい百数十年あたりまえ、私たちの祖父か曾祖父たちは、何事かに集中しようとしても常に何かが足りなかった。外国語の学習でも、教師なく辞書なく教科書なく、学ぶ場、さらにその環境も今日に比べると劣悪であった。それでも、なんとか学びたいという意思があれば、人づてに教え手を訪ね、辞書や本を筆写して夢中で学んだのである。私たちは、それに比べて恵まれすぎていると言えるかもしれない。
  • 頃、ぐらい、等の使用によって生じる心の弛緩は集中の敵である。加えて、その弛緩は、追いつめられたときの焦りにつながることが良くある。分刻みで自らを追い立てることにより心の弛緩状態を排除すれば、土壇場にきて焦るということも自然になくなるはずだ。
  • 監督が自分を代打に選ぶには、それなりの理由があるはずである。とすれば、自分が代打に入ったその結果は、選んだ監督の責任ではないか。打てなければそういう人間を使った監督が悪いのだし、結果が良ければ監督の見通しがあたったということになる。自分は、代打に指名された瞬間から、そう割り切っているのだ。

第三者的立場という心の枠組みを作ることによって、そうした余計なプレッシャーから自由になり、仕事それ自体に集中できるようになれば、結局は、結果も満足いくものとなるに違いないのだ。

  • 疲れて集中力がなくなったと感じるのは、頭と体のバランスが崩れているとみるべきで、まず、頭よりも体の疲れに目を向けた方が良い。いちばん単純な疲労感は、筋肉の疲れからくる。仕事の能率が落ちたと思ったら、軽い運動をするだけでも疲労回復に役立つ。
  • ゆっくり食事をとっていると、自然に落ち着いた気分になる。空腹感がいやされて、神経の高ぶりが消えると同時に、「メシを食ったから、もう一仕事できる」という意欲も湧いてくる。食事は、一種の自己暗示の役目も果たしてくれるのである。
  • 心理学的にみて、数字を反復することは、かなり有効な方法である
  • 映画評論家の淀川長治氏に、今の仕事につかれた経緯をお聞きしたことがあった。淀川氏は次のように答えてくださった。

「私の家は、家族全員が映画好きでした。ですから、私も、物心がつくかつかないかの頃から親に連れられて映画を見に行っていたんです。そのときの私の役目は、見に行けなかった家族に映画のあらすじを話して聞かせてやることでした。自然に、私は、どんな映画でも、細大もらさず家族に話して聞かせようとスクリーンを食いいるように見つめていました。そうこうしているうちに、私は完全に映画の持つ魅力のとりことなってしまい、今なおこうした仕事をしているわけです。」

自分が生まれた頃に出た本だけど、あんまり古さを感じさせない。
こういう分野は手を変え品を変えて出してきているだけで
大半はあまり進歩してないのかもしれない。けっこう面白かった。
こうやって気になったところをデジタル化しておけば捨てられる。