コンテキスト

コミュニケーションとコンテキストについて
ちょっと思ったことを書いてみる。


近藤語録にこういうものがある。

「人と人との信頼関係を形成するのは情報量。包み隠さず情報を出してきたのでユーザーから信頼してもらえた。このサービスは、はてな(という会社)のものではなく自分たちのものだと思ってもらえた」

http://it.blog-jiji.com/0001/2006/02/post_c569.html

よく知れば、信頼関係を築きやすくなる。そんな気がする。
知るためには、なんらかのコミュニケーションの積み重ねが
必要となってくると思われる。そのコミュニケーションを
加速するものとして、プログラミングでいうところのポインタが
重要になってくるのではないかと思う。効率という観点で。


あるテレビ番組をどちらも見ていた場合、その二人には
共通の認識があるので、極めて少ない言葉で、その番組に
関する意思疎通を図ることが可能である。
しかしながら、その共通となる認識が極めて少なかった場合
すなわちコンテキストの共有ができてない場合に、
一つ一つの説明が必要となるので、意思疎通は困難だ。
ポインタで指し示すだけで済むのか、中身をきっちり
説明する必要があるのかで大きく手間が変わってくる。


別にテレビ番組である必要はない。歴史に詳しい二人が、
ディープな会話が可能なのは、ポインタで指し示すだけで
お互いの共通認識である背景知識に容易にアクセスできるから。
全然バックグラウンドが違って、興味関心も違う人だと
それはそれで新鮮なのかもしれないけど、ポインタという
手法でコンテクストにアクセスできないので、コミュニケーションに
手間がかかる。これで面倒になって、やらなくなる可能性は高い。


と、まどろっこしいことを書いたけど、要は話のネタが
お互いにとって関心の持てるものなのかどうかということ。
高校出てからまともにテレビを見ていない自分としては
その分野のコンテキストを共有してないので、困難だ。
関心事が仕事の愚痴だったり、所有物の自慢だったりしても
コンテキストを共有できてないので、話しにくい。
スポーツとかも無理。毎年繰り返してて何が楽しいのって
思ってしまうので、そういう会話はできないなー。


オンラインだったら、ググってすぐに背景知識を仕入れて
ある程度コンテキストの共有が可能になるし、
リンクを投げて、この動画面白いとか言えば、
それによってコンテキストの共有が可能になる。
ブックマークでコミュニケーションしてたら、
「ブクマしてた○○」というポインタが使えて話が早い
ブログでもまあ同様。まあオンラインの話。


ある程度共通している部分がないと、価値観が最低限
一致していないと、会話って難しいのかもしれない。
仕事上やらざるを得ない人はいるのかもしれないけど
それ以外の場面において、自分が不快にならないための
自衛策として、フィルタリングを考えた方がいいのかも。


全然バックグラウンドが違って面白い人と会って
いろいろと話をすることはいいのかもしれないけど
単に価値観が違うだけで、どこにでも居そうで
つまらない人と、価値観の擦り合わせのためにコストを
かけて、意思疎通を図るだけの価値があるのかということ。
仕事の愚痴、お金、女ってなんなんだか。飽きないのか。
もうちょっとクリエイティブに世界を変える話とかすればいいのに。
まあ世界を変えなくてもいいけど、斬新な視点とか持つと
面白いのに。自分と関係ない遠い世界の出来事とすればいいのか。
だらだらと長いだけで、中身のない文章になってしまった。
もっと違った結論にしようと思ったのに、まとまらなかった。