感情

「合理的に考えたら、感情ってない方がいいんじゃないか」
と考えたとある大学生が、感情をなくしてみようと思い立った。
感情的になったりしたらろくなことないし、感情の波が
あったら、いろいろと不都合が生じるんじゃないかという感じ。
感情をなくして機械的にやれば、物事もっとスムーズじゃないかと
考えて、少しずつ感情をなくしていこうとした。


物事に対して無関心になり、スルー力(当時そんな言葉はなかったけど)を
限界まで高めて、怒ったり、笑ったり、喜んだり、泣いたり、という
ようなことを少しずつなくしていった。すると、思っていた通り合理的に
作業がはかどって、けっこういいじゃないかと、ほんの少し喜んだ。


彼は、さらにこのプロセスを進行させていった。自己暗示にかかりやすい
性格だったので、それほど時間はかからなかった。気の持ち方をちょっと
変えてみて、それに少しずつ慣れるだけで、あっけなく感情が消えていった。
そしてある時、気がついた。自分がまったく笑えなくなっていることに。
何が面白いのかさっぱりわからなくなっていた。何がなんだかわからなくなっていた。
元々血も涙もないと言われることが少なくなかったが、それの比ではなかった。
サイボーグってこうなのか。氷のように冷たいってこうなのかと知った。
そもそも何がしたかったのかわからなくなって、とにかく面白くない気がして
何か大切なものを失ってしまったと、ようやく気がついた。
軽はずみに感情を操作してはいけないと、ようやく気がついた。


それから少しずつ感情を取り戻そうとした。
こういうときに笑うのかと、無理に笑ってみたりして、
感情を一つ一つ学ぶ。ロボットが人間の感情を学習するみたいに。
そうしていくうちに、自分の心の奥底にまだ感情が残っていることに気付いた。
その感覚を多少無理してでも表現して、その感覚を尊重することにした。
自分に素直に、自分に正直に、極力無理せず、心を取り戻す。
もう感情を失いたくないと思った。


衝撃は大きかったけど、時期としてはそれほど長くかかってないので
特に深刻な事態にはならなかった。きっかけも勝手な思考実験で
軽はずみでばかばかしいものである。本当にそう思う。


たぶんまだ治ってないと思う。他人の気持ちを汲み取るとか
そういうことがうまくできない。もともとできてたか怪しいけど。
無意識のうちに他人を追いつめていたり、無神経なことを
言ったり書いたりして、多くの人に申し訳ないことをしたと感じている。
どう償えばいいかわからないから、少なくともこれからは
そういうことがないようにしたいと思っている。


そんなことをいっても、どうしても受け入れられない人や環境が
あるわけで、そういうのは脳内でデリートしているわけだけど
これは、お互いが不快にならないために必要なことだと思ってる。
別の世界であれば、憎しみあったりしなくても共存できるから。
未熟だから一緒に仲良くしようなんてことはできないのである。


だから、自然体とか言われると困る。
単に自分の感情を押し殺したらどうなるか知ってるだけ。経験的に。
もうそんな気分になりたくないから、自分を受け入れて、
自分に正直に思ったことを表現しているだけ。ただそれだけ。