周辺のこと

受験とかそういうことはあんまり関係なくて、なんとなく飽きて
テレビを見なくなったのは、高校3年のとき。あれから7年か。
当時思った以上に時間ができて驚いた。他にも浮く時間があったから。
新聞のテレビ欄を見る時間である。これがゼロになった。
何時から何がやってて、ビデオにとっておいて後で見るとか
そういうことが頭に一切入りこまないというのも大きい。
テレビを見てる時間だけじゃなくて、周辺も無視できない。
テレビ中心の生活をしてる人が周りにほとんどいなくなった。
住む世界が違うから、きっと話が合わないんだろうな。


こうすることで失なったものはきっとあるだろうけど、
得られたものに比べたら、瑣末なことに感じる。
本とネットと旅が好きでフットワークが軽くて
主体的に行動できる人が、思ったよりたくさんいたから。
まあそれは、本題じゃないけど。


大して変わんないと思っても、その周辺のものまで
含めてみたら、けっこうインパクトが大きいかもしれない。

What lies in the periphery of simplicity is definitely not peripheral.
John Maeda

周辺にあるものは、瑣末なもんじゃない。


捨てるところは、ばっさり捨てる。
今の情報収集がそんな感じかも。
ブックマークを見てる人ならわかると思うけど
選択と集中がかなりしっかりされてる。
水掛け論とか大嫌い。結論が出そうにないものには
なるべく首を突っ込みたくない。
基本的に社会情勢とかマクロなことはスルー。
(今サステナビリティはちょっと例外かも)
自分の影響力を行使できないんだし、
日常生活に役立つわけでもなく、
単独でひねりがあって面白いわけでもない。
世の中に対する愚痴とか文句って無駄。
さあ次行こうってやった方が建設的。
マンネリ化してるもの、本質的じゃないもの、却下。

Simplicity is about subtracting the obvious, and adding the meaningful.
John Maeda

さほど重要じゃないことをばっさり切り捨てて、周辺も
合わせて切り捨てて、自分にとって意味あるところに集中。
もうちょっと精度を高める必要があるけど、こんなとこ。