社員をサーフィンに行かせよう

以前読んだ石川直樹氏の本に少しだけパタゴニアのことが
書いてあって、なんとなく気になっていた。
オアゾでこの本を見て、思想がすごく面白いと思って買った。

社員をサーフィンに行かせよう―パタゴニア創業者の経営論
社員をサーフィンに行かせよう―パタゴニア創業者の経営論イヴォン・シュイナード 森 摂

おすすめ平均
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starsタイトルだけ残念
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私たちの会社では、本当に社員はいつでもサーフィンに行っていいのだ。もちろん、勤務時間中でもだ。平日の午前十一時だろうが、午後二時だろうがかまわない。いい波が来ているのに、サーフィンに出かけない方がおかしい。

○○しない方がおかしいって表現はけっこう好き。大切なのは職場にいることじゃなくて仕事をすることなわけで、こういう考え方をずっと心がけていたいと思う。

私たちの最優先事項は、品質の管理。なにしろ、道具が一つでも壊れたら誰かの命を奪いかねないし、私たち自身が一番の得意顧客である以上、命を奪われる誰かが自分たちになる可能性も大いにありえたのだ。

自分自身が得意顧客というのは大切。自分が使いたいと思わないものを売る人とか会社とか信用できない。作ってる人が楽しそうに使ってるのが重要なんで、webサービスの開発者ブログとかが大事だと思う。何かを売りつけられそうになったら、その売りつける人のユーザーとしての意見を具体的に聞いてみるといいかもしれない。自分であんまり使ってないくせに偉そうなこというな、帰れって言えるかもしれないし、本当に良いものかもしれないし。

また、いかに真摯に取り組んだとしても、一つだけ、どうしても変えたくないことがあった―仕事は毎日、楽しめなくてはならない。会社に来るときはウキウキと、階段も一段飛ばしで駆け上がるようでなくてはならない。

これはmustかも。心がけ次第かな。

一つの技術だけで登りきることはできるが、最も効率的な方法ではないし、面白さの幅も限られてくる。言ってみれば、ダンスを一つしか知らないのと同じだ。曲が変わったとき、まだ踊りつづけてはいても、リズムは狂ってる。こういった場合にはたいていそうだが、本当の答えは両者の中間にある。

こだわりもいいけど、いいとこ取りも良い。

スポーツなり活動なりにひたむきな情熱を傾けるが、それも熟達度80%に達するまでの話。そこから先に必要とされる情熱と習熟は、私の性には合わない。ひとたび80%に達すると、さっさとやめて、まったく別の何かに鞍替えしてしまう。

この部分を読んでなんかほっとした。自分がけっこう中途半端な人間なので、物事を突き詰めないことに対してこれでいいのかなと感じてたけど、ここまで自信を持っていってくれると安心する。自分にとって必要なラインがどこなのかを見極めることが大切かも。

私は独自のMBAスタイルの経営、すなわち「不在による経営」を実践しつづけ、ヒマラヤや南米の極限環境で自ら自社製品を身につけてフィールドテストをしていた。外の世界の人間として、新しいアイデアを持ち帰る役目を負っていたのだ。

そんなこと言いながら、単に自分が遊びたいだけじゃないかと思う。でもそこがいいところ。
長期間休んでもちゃんと機能する組織をつくることが大事なんだろうな。

「心から真剣に寄付をしたいなら、一億ドルかそこらで会社を売って、二百万ドルほど自分のために取っておき、残りの金で財団を設立することです。元本をうまく投資すれば、毎年、六百万〜八百万ドルの寄付ができる。それに、ちゃんとした相手に会社を売れば、助成金制度も続けてくれるはずだ。いい宣伝材料になりますからね。」
・・・
私は、売ったあとの会社の行く末が心配だと言った。
「ならば、あなたは自分に嘘をついているわけですな。」彼は答えた。「なぜビジネスに携わっているのか、もう一度よく考えてごらんなさい」

自分に嘘をつかない。何かを思い込ませたりしないで、よく考えること。
安易な答えに飛びついても、結局遠回りになりそうだし。

決して限界を超えないこと。高みを目指して進むとき、崖の縁にとどまっている間は命がある。だが、それを超えてはならない。自分に正直に、自分の能力と限界を知り、自分の器の範囲内で生きよ。同じことがビジネスにも言える。会社が現状を超えようとするのが早ければ早いほど、そして「望みをすべて叶えよう」とするのが早ければ早いほど、死もまた早く訪れる。

慌てず急がず無理をしないこと。手遅れになる前に考える。

経営と持続可能性の模範として目を向けるべき対象は、アメリカ経済界ではなく「イロコイ族」とその「七世代計画」であること。
イロコイ族は、意思決定の過程において七世代先の子孫のことを常に考慮する。パタゴニアが今回の危機を乗り切れたら、あらゆる意思決定を、百年先までビジネスを続けるという前提で下さなくてはならない。

根本的に考え方が違うんだろうな。前提条件が。
長期のスパンで見て、何が最も良いかを考える必要がありそう。

私たちのミッション・ステートメントとはすなわち、「最高の製品を作り、環境に与える不必要な悪影響を最小限に抑える。そして、ビジネスを手段として環境危機に警鈴を鳴らし、解決に向けて実行する」ということにほかならない。

これを一つ一つ実行している会社だというのは、この本を読めばよくわかる。

知識があればあるほど、必要なものは少なくなる。フライフィッシングの経験が豊かな人は、どんなときでも一本の竿と、一種類のフライ、一種類の釣り糸だけで、フライや装備をずらりと取り揃えたへたくそなフライフィッシャーを負かしてしまうものだ。私はヘンリー・ディヴィッド・ソローの言葉を肝に銘じている。「新しい服がなければやっていけない、といった事業には、すべて用心した方がいい」

本来こうであるべきだな。

究極の目標は、どのパーツもほぼ同時に、しかも長期の使用のあとに擦り切れる製品を作ることだ。

これはすごい。計算してここまでやってるんだから素晴らしい。

「貧しい者には安物を買う金銭的余裕はない」と言った人がいる。

これは最近けっこう思う。良いものを買って長く使う。
ただそれだけのことだけど、非常に本質的。

最近は選択肢が多すぎる。絶えず決断しなくてはならないことに、みんなうんざりしている。
・・・
最も業績の良い企業は、作る製品の数をしっかり絞っている。また、業績の劣る競争相手よりも、遣うパーツの数が最大50%も少ない。パーツが少ないことはすなわち、製造工程が短くて単純なことを意味する。また、不具合の生じる確率も減る―優れた品質が、自ずと約束されるのだ。優良企業では品質管理に必要な従業員の数が少ない上に、生じる欠陥も廃棄物も少なくてすむ。

シンプルにすることにより得られるもの。余計なものがなければ余計な問題も抱えなくて良いので
無駄がなくて非常に良いと思う。問題を解決する前に、そもそも根底からなくすという
選択肢も考慮してみるといろいろと手間が省けそう。


これで大体半分かな。気になるところはまだまだあるけど
この辺でやめておこう。あとは買うか借りるかして読んでください。
何度も読みたいし、何度も読む必要がある本だと思うので、あげません。
あと、後半にでてきた1% for the planetという取り組みが興味深い。
パタゴニア:1% for the Planet (1%フォー・ザ・プラネット)
http://www.patagonia.com/web/jp/patagonia.go?assetid=1960

社会的にも環境的にも革新的な団体である1% for the Planetのメンバーとして年間売上の1%を寄付することにより、献身的な草の根環境保護団体の活動を支援し、真の変化をもたらしてください。同時に、メンバーは各自が属する業界において、責任ある企業としての地位を確立するだけでなく、環境に対する真剣な取り組みを高く評価する良心的な消費者からの認識、支持および信頼を得るという、さらなる利点を期待することができます。

利益が出てる出てないに関わらず、売上の1%を寄付するというもの。
環境問題なんて人間がみんな死んだら解決するとは思うけど、
ちゃんと生活しながら改善しようと思ったら、最低限このくらいは
やっていかないと始まらないんだろうな。1%か。
会社じゃなくて、個人としてやってみるのも良いかもしれない。
自分の年収の1%を、信用できる団体に寄付するとか。
そのために一つ一つ綿密に見ていって、理解して選ぶ。
アメリカだとどっかに寄付したら減税になるんだっけ。


金額として大した額にならないにしても、同じ思想を持って
同じ割合で、同じように寄付するのであれば、
その団体となんらかのつながりができるかもしれないし
将来的にワークスタイルポートフォリオの一つになるかもしれない。
誰かに強制されるものじゃないし、声高に主張するものでもないけど
自発的なこういう行動が意味を持つケースは十分にあり得る。


これからの世の中は実際にはあんまり変わんなくて
談合と補助金が中心のままなのかもしれないけど、
この本に書かれているような価値観が強くなっていったら
世の中面白いと思うし、そうなって欲しいなと期待してるし
そうしていくにはどうしたらいいだろうかと考えたりする。
そのときに、こういう先人が書き残してくれた文章が
なんらかの形で指針となったりするかもしれない。
そんな日が来るのはそれほど遠くないと僕は思う。