DNA

しばらく放置してたけど、読んでみたらかなり面白かった。
青木薫訳の時点である程度の面白さは保証されているんだが。

DNA
DNAJ.D.ワトソン

おすすめ平均
stars科学におけるモラル
stars・・・・・・・・衝撃。
stars遺伝学は何処へ行くか
stars最高の研究者による、素晴らしい、生命の解説書!
stars才能と資金が凝集した50年

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

生命の本質は魔術的・神秘的なものなのか、それとも理科の実験でやるような化学反応と同じく、ごく普通の物理的・化学的作用の産物なのかということだ。細胞が命を宿すのは、その中核に神の力が働いているからなのだろうか?二重らせんはこの問いに対し、はっきり「ノー」と答えたのである。

ここがスタートラインなんだろう。生物の勉強なんて中学校以来まともにやってないので
かなり新鮮で面白かった。専門が何とか気にせずにいろいろ見るのも楽しい。

タンパク質形成のプロセスを探るためには、DNAではなくRNAを研究するほうがよさそうに思われた。そこでこの「暗号解読」運動を推進しようと、ガモフと私はRNAタイ・クラブというものを作った。会員は、二十種類あるアミノ酸に合わせて二十人に限定した。
〜略〜
ずば抜けた想像力をもつカルテックの物理学者リチャード・ファインマン(GLY:グリシン)をクラブに誘った。ファインマンは、原子内部で働く力の研究に行き詰まると、当時私がいた生物学の研究棟へよく遊びに来ていたのである。

こんなところにファインマン登場。いろんな分野の人が刺激し合うというのは非常に魅力的。

どれかひとつの遺伝子を調べようとすると(遺伝子はDNAの一部である)、どうにかして長いDNAの中からその部分を取り出さなければならないからだ。しかもそれだけでなく、取り出した遺伝子を調べるためには、”増幅”して数を増やしてやらなければならない。つまりDNAというテキストを切り貼りするための、ハサミとノリ、そしてコピー機が必要だった。

この説明は非常にわかりやすかった。わかりやすい喩えというのは大切だな。

ボイヤーとコーエンは、自分たちが力を合わせれば、分子生物学の水準を引き上げ、遺伝子を自由にカット、ペースト、コピーできることに気がついた。ある夜、ワイキキビーチに近いカフェテリアで、ふたりはこれからの組み替えDNA技術について語り合い、ナプキンに自分たちのアイディアを書き出した。彼らが未来図を描いたこの出会いは、「コンビーフからクローニングまで」と言われている。

何をもってバイオテクノロジーとするのかが、ようやくわかった気がする。
観察だけでなく、いろいろ操作するからテクノロジーか。当たり前といえば当たり前。

スタンリー・コーエンは、技術の最先端にいるだけでなく、純粋な学問の世界から金になる生物学に頭を切り換えるという点でも、時代の先端を走ることになった。

ここがきわめて重要。大きな流れを創り出すのがすごい。

原理的なことを言うなら「方法」に特許を与えてしまえば、重要な技術の応用に制限をかけ、技術革新を妨げることにもなりかねない。しかしスタンフォード大学はこの問題を巧みに回避し、悪影響が出ないようにした。
まず第一に、この技術を使うために金を払うのは法人だけとし、大学の研究者は自由に使えるようにした。第二に、スタンフォード大学は高額な特許実施料を課したいという誘惑に打ち勝った。もしもそれをやっていたなら、DNA組み替え技術は、金のある企業や研究所だけにしか使えなくなっていただろう。年間一万ドルに加え、この技術を使用した製品の売り上げに対して最高三パーセントという比較的低額の特許権使用料が設定されたおかげで、コーエン=ボイヤー法は誰でも使えるようになった。学問にとって望ましいこの戦略は、ビジネスとしても有益だった。というのもUCSFとスタンフォード大学は、この特許によって約二億五千万ドルの収益を得ることになったからである。一方、ボイヤーもコーエンも収益の一部を気前よく大学に寄付した。

こうして全体像を知ると、まさに基本特許であることがわかる。
低額にしていてもこれだけの収益を得ているというのが非常に興味深い。
特許というものを考える上で、このケースは非常に重要だと改めて思う。

いっぱいのコーヒーの中には、あなたが一年間に摂取した殺虫剤の残留物よりも多くの発ガン性物質が含まれている。それに加えて、まだ詳しく調べられていない化学物質が1000種類も含まれているのである。明らかに、われわれはダブルスタンダードを使っている。化学合成されたものには怯え、天然のものなら気にしないのだ。

極力気をつけるようにしているけど、ダブルスタンダードを使ってしまうことはありそう。
他人に強制する必要はないけど、なるべく使わないように気をつけたい。

初期の農業生産者たちは、異なる種を交配させることにより天然には存在しない新種を作り出してきた。例えば小麦は、何回もの交配を重ねて作り上げられてきたものだ。
〜中略〜
このように植物を交配していくと、新しい特徴がランダムに発生してしまう。すべての遺伝子に影響が及び、予期せざる影響が現れることも多い。一方、バイオテクノロジーを用いれば、植物種に新たな遺伝子をひとつずつ、より正確にもちこむことができる。これが、従来の農業による力ずくの方法と、バイオテクノロジーによる繊細な方法との違いである。

モノは言い様という気もするけど、非常に真っ当な意見ではある。
無根拠な自然信仰がいかに視野の狭いものかわかった。
線引きの位置が違うだけで、本質的な違いなどないのだから。

欧州の食料生産は、世界のどこよりも費用のかかる非効率なものになっているだろう。その間に中国などは、理不尽な恐怖心に取り合っている余裕がないことが幸いして、大きな進歩を遂げているだろう。中国の態度は実に現実的だ。この国は、世界の人口の二十三パーセントを抱えているにもかかわらず、耕作可能地は世界の七パーセントにすぎない。そのため国民を養うためには遺伝子組み換え作物により収穫量を増やし、栄養価を高めなければならないのだ。

文句が言えるのは、まだまだ余裕があるからなんだろう。
余裕がなくなれば、どんどん細かいことが気にならなくなるのかな。
いいか悪いかは別として、人の意見なんてコロコロ変わる気がした。

車のエンジンについているキャブレターをどんなに詳しく調べたところで、車はおろか、エンジンのしくみについてすら何もわかりはしないだろう。エンジンが何のためにあり、どのように働くかを理解するためには、車全体を調べなければならない。キャブレターを全体の中に位置づけ、様々な機能をもつたくさんの部品のひとつとしてとらえる必要があるのだ。それと同じことが遺伝子についても言える。生命を支えている遺伝のプロセスを理解するためには、どれかの遺伝子、どれかの反応経路を理解するだけでは不十分なのであり、個々の知識を全体の中に位置づけなければならない。そしてこの場合の「全体」が、ゲノムなのである。

この喩えもわかりやすい。木を見て森を見ずとならないように気をつけたい。

私たちは、テクノロジーが十分に安価になるまでは、解析作業のもっとも大きな部分には手をつけない方がいいと考えた。それまでのあいだは、テクノロジーそのものの開発を優先的に行うべきである。

この割り切り方はなかなか新鮮だった。長期的な計画には必要な考え方かも。

今日では明らかになっていることだが、ゲノムの中でもっとも興味深い領域は、遺伝子以外の部分なのである。その領域は、遺伝子のスイッチをオン・オフする制御機構を担っている。そのため、たとえば脳の組織を使ったcDNAを解析しただけでは、脳の中でスイッチがオンになっている遺伝子のことはわかっても、スイッチが入った経緯はわからない。

ジャンクにそういう意味があったとは。この辺も面白かった。

微生物のゲノムについて情報が得られるにつれ、驚くべきことが明らかになってきた。すでに見たように、脊椎動物の進化の歴史は、遺伝子を節約してきた歴史でもある。脊椎動物は、遺伝子制御のメカニズムを拡張することにより、ひとつの遺伝子にいろいろな機能をもたせることができるようになった。新しい遺伝子が現れたとしても、それは前からあった遺伝子の変種に過ぎないことが多い。

単純に遺伝子の数が多ければ進化してるってわけでもないという話。
一概に言い切れることなんてそう多くないものだと思った。

DNAは、あなたに関する莫大な情報を握っている。もしあなたがハンチントン病の家系に生まれたなら、DNAを調べればあなたの未来がわかる。遠からず、心臓病のようなありふれた病気についても、遺伝子に特定の変異型があるかどうかを調べれば、その病気で死ぬ確率がわかるようになるだろう。今現在でも、アポリポタンパクE遺伝子の型を調べれば、アルツハイマー病になるかどうかがおおよそわかる。

DNA情報に基づいて保険の額が変化するかもねって話。
あと自分に関するこういう情報を知りたいかって話。もう始まっていて

昨年12月、私は$1000で23andMeのDNAテストを購入した。キットが届くと、試験管につばを吐き入れ、ほんの数週間後には結果が送られてきた。

私の23andMe DNA検査結果 | TechCrunch Japan

このTechCrunchの説明に詳しく書いてある。個人的に著者と同じで
治せない病気について知らせてもらってもしょうがないけど、
治せるものなら、知らせてもらえるとありがたい、というスタンスかな。

ジレンマが存在するということは、選択しなければならないことを意味する。だが、選択できることは、選択できないよりもましではないだろうか。自分のお腹にいる子どもがテイ・サックス病であると知った女性は、そこでジレンマに直面する。しかし少なくとも彼女には、以前はなかった選択肢があるのだ。

これは非常に難しいところである。やはり選択肢は多い方がいいと思うが
実際にジレンマに直面したときもそう思うかどうか、あまり自信がないから。
人間の自らの意思を重視したい自分としては、選択肢が多い方がいいと考える。

「人間の精神を決める遺伝子など存在しない」。多くの人たちが、「そうだったらいいのに」と思わされてしまうこと自体、今もこの社会に潜む危険な弱点なのだ。むしろ私たちは、未来への希望を決して捨ててはならない。そして後に続く人たちのためにも、DNAの明かす真実を恐れることなく受け入れていこうではないか。

これもなかなか悩ましい。科学的思考の帰結として到達した場所が、
必ずしも多くの人たちの希望通りになるとは限らない。

The Pessimist complains about the wind;
The Optimist expects it to change;
The Realist adjusts the sails.

  • William Arthur ward

(悲観論者は風が悪いと文句をいい、楽観主義者は風が変わる
のを期待する。現実主義者は帆を風にあわせる)

という言葉を思い出した。よくわからないけど。
事実を事実として受け止め、自ら行動を起こす人でありたいものである。