オデュッセイア(上)

イリアス上下巻に続いてオデュッセイアを読んだ。

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)
ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)松平 千秋

岩波書店 1994-09
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おすすめ平均 star
starなぜペネロペイアの求婚者たちはオデュッセイアの家産にたかるのか?
starユリシーズ」の下敷き
star文庫版で読めるのは幸せ。単なる読み物としても面白い。さすが3000年の重み。

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オデュッセイアとは、オデュッセウスの物語という意味らしい。
ちなみに本書の解説にはこのように書かれている。

古代叙事詩では、冒頭に主題を掲げるのが慣例であった。『イリアス』では「アキレウスの怒り」がそれであり、『オデュッセイア』では「機略縦横なる男」すなわちオデュッセウスその人である。

よくここまで出てくると思うくらい口から出任せで危機を乗り越えるオデュッセウスが
非常に面白かった。あれだけひどい目に遭いながらよく生きて帰ったなあ、とも思った。

こうしてみると、神々は人間のだれにも、体つき、心ばえ、弁舌などのすぐれた資質を、一様には授けられぬことがわかる。
・・・
ところがまたある男は、その風貌は不死なる神にも似ているが、そのいう言葉には品格が具わっておらぬ、あたかもそなたが、神もほかに造りようもないほどの、際だった美貌には恵まれているが、頭の中は空であるのと同じだ。

この口の悪いオデュッセウスが好き。

トロイエ人に殺戮と死運を運ぶアルゴス勢の精鋭を腹中に秘めた巨大な木馬を、トロイエの町がその懐に入れた時、滅亡の運命は定まったのであった。楽人はさらに歌い続けて、アカイアの子らが、その潜んでいた馬の腹中を抜け出し、次々に木馬から躍り出て、町を破壊し尽くす有様、またアルゴス勢が思い思いに各所に散って険しい城市を荒らし廻り、さらにはオデュッセウスが軍神アレスの如き勢いで、神と見紛うメネラオスと共に、デイポボスの屋敷に向かったこと、ここで世にも凄まじい激戦を敢えて挑み、心宏きアテネの神助によって、遂に勝利をおさめたことなどを語った。

木馬がどこに出てくるのかな、と思っていたら、楽人の歌に出てきた。
こんな感じでかなり順番が前後してて、やや混乱したけど、良くできている。

そこで先ず、わたしの名から申し上げましょう。皆さんに名前を知っていただき、幸いにわたしが非常の日を逃れることのできた暁には、たとえ遠く離れて住んでいても、親しくお互いに過ごし合う友として、あなた方から扱っていただけるように。わたしはラエステルが一子、その端倪すべからざる策謀のゆえにあまねく世に知られ、その名は天にも達するオデュッセウスです。

自分で自分のことをこんな風に言うのがなんか新鮮。

キュクロプスよ、おぬしはわたしの名を知りたいというのだな。では名をいおう、おぬしの方も、約束通り土産の品をくれるのだぞ。わたしの名は「誰もおらぬ」という。母も父も、仲間の誰もが、わたしのことを「誰もおらぬ」と呼び習わしているのだ。』
・・・
『ああ皆の衆、暴力ではなく、企みで俺を殺そうとしている奴はなあ、「誰もおらぬ」(の)だ。』
集ってきたキュクロプスどもは、それに翼ある言葉を返していうには、
『独り住まいのお前に暴力をふるった者が誰もおらぬとすれば、大神ゼウスが降す病いは避ける術がない、せいぜい父神ポセイダオンに祈るがよかろう。』
 こう言い捨てて行ってしまった。

古典的な手法だなと思ったが、これは古典だった。

古典を読むと、けっこう遡っているわけで、これ以上遡るのは大変なわけで
いろいろなものの元ネタみたいなものがみえるような気がして楽しい。

イリアス 上 - technophobia

夏休みはとっくに終わってしまったけど、これまで古典文学とは全然縁がなかったので
せるげー先生のアドバイスを参考にしてちびちびと読んでいこう。

イリアス 下 - technophobia

というわけで、古典は地味になかなか面白い。