バナッハとポーランド数学

ポーランドに行くときに、ポーランド出身の数学者って誰だっけという話になって、検索してバナッハがそれらしいと知り、この本にたどり着いた。
バナッハとポーランド数学 (シュプリンガー数学クラブ) (単行本)
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代数学を齧ったことすらないので、バナッハなんて名前すら知らなかったけど、読んでいて非常に面白かった。ここらへんの数学の知識があればもっと楽しめたのかもしれないけど、今のところ知識がないんだからしょうがない。
元々ポーランド語で書かれた本で、英訳されて、それから日本語訳されているのだが、優れた研究者であり、優れた教育者でもあるバナッハの人柄が非常に伝わってきて、読んでいて心地よかった。人物についての記録があまり残っていなかったらしいが、よくここまで集めたものである。
それにしてもポーランドの数学にかける意気込みがすごい。特にヤニシェフスキの言葉が強烈。

ポーランド数学を、固有の地位に位置づけることができる。この目標を達成することについての最も良い方法の一つは、数学者のグループがポーランドの数学者が関心をもっていて――さらにいっそう重要なことは――すでに国際的に重要な貢献をしている比較的狭い分野に集中することだ。その分野とは集合論位相空間論および(数理論理学を含む)数学基礎論である。

世界初の特定分野に専門の数学雑誌を国際的な公用語で出版することは、世界にポーランドの数学者の業績を提示し、世界の同じ分野の数学者の論文を発表するという二つの役割を果たすことになる。つまりポーランド人によって発行される世界的な数学雑誌となる。「もし我々が世界的な地位に到達したいなら、我々自身で主導権を獲得しよう」

これは格好良すぎる。自分に大きく欠けているものを見せつけられた気がした。スケールの大きさ、現実的な視点、確かな戦略。自分には何ができるんだろうかと考えさせられた。あとヒルベルトの言葉も面白かった。

もし魔法の杖により500年間の眠りにつき、目が覚めたとしたなら、私は社会の変化や、歴史上の出来事のことは尋ねず、リーマンのゼータ関数の零点の分布のことを尋ねるだろう。なぜならそれが一番重要な問題だからだ。

数学の問題に比べたら、自分の一生も些細なことなのかもしれない。そんなふうに長期的に物事を考えてみる機会はあまりなかったので、非常に興味深いと思った。500年間の眠りから覚めたら、自分は何を尋ねるだろうか。

スコティッシュ・カフェにおける会合は当初不定期であったが、すぐにここでの数学のセッションが毎日行われるようになり、あるリズムと習慣が、数学者の間で確立された。〜中略〜大抵彼らは夕方5時から7時までの間にやって来て、それから数時間、ものすごい集中力で、大理石のテーブルの上を数式で埋め尽くした。けれども彼らが「ものすごい集中力で」というのはやや不正確であり、会合は、冗談や、激論、飲むことなしには行われなかった。

ポーランドのルヴフ(現在はウクライナの都市)で数学が著しい発展を遂げた一因として、このような環境も挙げられそうだ。intellectual venturesのinvention sessionもこういうものを意識しているのかもしれない。いろいろ議論しながら、アイデアがどんどん磨かれていくというのは、非常に楽しそうだな。そして、このメンバーの中心にいたのがバナッハである。

学者は通常、仕事をするために平穏と静かさを必要とする。バナッハは違っていた。彼はカフェで、他の人たちと一緒の時だけではなく一人の時も1日の大部分を過ごしていた。彼は騒音と音楽が好きであった。それは彼の集中力と思考を妨げなかった。夜になってカフェが閉まった後、カフェテリアが24時間開いていた鉄道の駅にまで歩いていくことがあった。そこで1杯のビールを空けながら彼は問題を考え続けた。

最後は、バナッハの言葉で締めくくることにしよう。

数学者とは定理の類似性を見いだすことのできる人である。もっと良い数学者は証明の間の類似性を見出すことのできる人である。最も良い数学者は理論の間の類似性を見出すことのできる人である。究極の数学者は類似性の間に類似性(analogy between analogy)を見出すことのできる人である。

数学を学び続ければ、この意味の理解も少しずつ深まっていくのだろう。この本は、数学の基礎を学んでから改めて読み返したいと思った。現段階でも楽しめたけど、理解が深まればもっと楽しめそうだから。