「塩」の世界史

こういう役に立たないどうでもいい知識が詰まった本というのは、個人的にけっこう好きである。特に歴史ものは、他のいろいろな歴史と思わぬところで絡み合ったりするので、読めば読むほど面白くなる。そんなわけで、身近なようで案外知らない「塩」の世界史は、非常に面白かった。
「塩」の世界史—歴史を動かした、小さな粒 (単行本)
459405076X
現在ではありふれている塩だが、非常に高価だった時代もあるという話はどこかで聞いたことがある。その辺りについても、この本を読み進めるといろいろ書いてあった。ミイラからローマ帝国アメリカ独立戦争、インドの独立に至るまで、様々なところで地味に重要なポジションにいた塩。塩を使ったレシピもたくさん載っていて、なかなか楽しめる一冊である。

十六世紀に書かれたユダヤ法教典『食卓の用意』は、塩を安全に扱えるのは中指と薬指の指二本だけだと述べている。親指で塩に触れたら子供が死に、小指では貧しくなり、人差し指を使えばその者は殺人者になるとしている。

これはなかなか興味深い考え方だ。どういうきっかけでこういうことになったか気になるところである。

ローマ軍は兵、馬、家畜のための塩を要求した。兵の給料が塩で支払われることすらあったが、これは「サラリー」の語源であり、「給料だけの働きがある」とか「食いぶちを稼ぐ」といった表現のもとでもある。ラテン語の「サル」は変化してフランス語の「ソルド」となり、「兵士(soldier)」という単語も生み出している。

ここら辺のつながり方も非常に面白い。

何世紀もローマ帝国に囲まれてきたバスク人にとって、塩漬けの魚はありふれた食べ物であり、クジラの肉を塩漬けすることも簡単に考えついた。そして今度はタラの塩漬けを始めた。市場はぼう大だった。かつてローマ帝国だった地域では、どこでも塩漬けの魚を食べていた。タラを真水に一日か数日さらすと、それまで食べていた黒ずんで脂っぽい地中海の魚よりも、身はより白く脂身が少なく、そして美味になった。

塩の主な用途は、食品保存用だったようだ。

イギリス人にとって、塩は戦略上重要なものだった。塩ダラとコーンビーフが海軍の糧食になったためであり、これはフランスでも同様だった。十四世紀には、北方ヨーロッパが戦争の準備をするときは、まず塩を大量に入手して魚と肉を塩漬けにしたものだった。

イギリス人もオランダ人もフランス人も、塩を探した。この魔法の万能薬を見つけさえすれば、魚があふれる北アメリカの海を無尽蔵の宝物庫に変えることができるのだ。

こういうところを読むと、当時塩というものがどれほど貴重だったかわかる気がする。

ポーランド王は毎年の歳入の三分の一をクラクフ近くの二つの塩鉱、ヴィエリチカとボフニアから得ていた。1689年、これらの鉱山の作業場で、カトリックの礼拝が行われるようになった。ヴィエリチカの鉱夫たちは、岩塩に宗教的な像を彫った。地下90mの作業場の床面、壁面、天井の岩塩から、礼拝堂、彫像、浅浮彫りを作りだしたのだ。塩の結晶でできたシャンデリアもある。

これは先日見に行ってきた。http://d.hatena.ne.jp/pho/20090616/p1 実際に行ったことがあるとイメージできるものが全然違ってくるので、本だけでなく現場に足をのばすのが大事だと改めて思った。

トマトケチャップの最古のレシピは1812年、フィラデルフィアの高名な医者にして園芸家のジェームズ・ミューズが著した。1804年の時点で既に、アメリカでトマトの呼び名となっていた「ラブ・アップル」を使えば、「良いキャチャップ」になると述べている。

食べ物って世界中で様々な発展を遂げているから、こういうふうに歴史を探ってみると非常に面白そう。レシピがあれば自分で再現することも(場合によっては)可能だから、自分の体で実験することになるのかもしれないけど、それはそれで楽しそう。

プランテーションの奴隷は塩作りに貸し出されるのをいやがり、西部に連れて行かれる途中でときおり脱走した。彼らは奴隷制を敷いていないオハイオ州がすぐ近くだということを知っていたのだ。おおぜいの奴隷が陸路や水路で逃げ出したが、製塩業者は人をやとってオハイオ州に逃げ込んだ奴隷を連れもどした。蒸気船ができると逃げ道もふえた。船による移動が可能になったこともあるが、蒸気船で働いていた黒人の自由民が逃亡の手助けをしたことも大きい。船で働く奴隷でさえも、カノワの奴隷よりずっと良い暮らしをしていた。

考えてみれば当たり前だけど、奴隷でもヘビーな仕事と比較的マシな仕事があるんだな。待遇の良し悪しがあり、他の黒人と連携したりしていて興味深い。別の時代の別の立場からの視点というのは、新鮮である。

1861年4月12日、南北戦争が勃発した。その四日後、アブラハム・リンカーン大統領は南部の港すべての封鎖を命じ、1865年の終戦までそれは解かれなかった。・・・・・・海上封鎖は南部の塩の不足を招き、投機のせいもあって、塩だけでなく多くの基本的な食料の価格が暴騰した。・・・・・・このあと、北軍は製塩所を奪取すると、かならず破壊した。その製塩所がカノワのように塩井であったら・・・・・・ポンプも壊し、井戸をくずすのだった。

非常に的確で、実に戦略的に攻撃をしてたんだな。どのような影響があるのかを予測して、効果的な攻撃をしている。その後何が起こるかを想像する力は、戦争だけでなく、様々な局面で重要になってくるような気がした。

1830年、ラテュルバルに缶詰工場が建設された。ここはゲランドの湿地の入り江で、ルクロアジックの対岸にあるサーディンの漁港である。工場は繁栄し、同地の塩漬け魚の製造業は缶詰製品に対抗することができず、じょじょに衰退していった。まもなくフランス大西洋岸の塩漬け魚製造業は消滅した。

急速冷凍の実現で、ついに皆が望んでいた「塩漬けしていない」魚が内陸の住人にも手に入るようになった。漁船は、海上で獲物を塩漬けする代わりに、凍らせるようになった。

イノベーションというのは破壊的なものだと改めて気づかされる。以前持て囃されていた物が衰退するまでに、そんなに時間は必要ない。外の世界を見ながら自分の立ち位置を確認して、いろいろ当てはめてみるといいかもしれない。

ガンディーは、東洋文化の優越性を説いたことはない。「インドのロックフェラーがアメリカのロックフェラーよりすぐれていると考えるなんて、ばかげている」

という感じで紹介されているガンディーが気になった。この本をきっかけにして、いろいろと展開していくのも面白そう。

塩の入れ過ぎを確かめるには味見するしかないので、商人によっては砂糖を少量くわえて塩味を消そうとする物もいる。塩味のバターを味見するさい、甘味や砂糖らしき味を感じたら、買ってはいけない。

これもいろいろと応用できそうな考え方かもしれない。何かを取り繕っているのは、ちょっと視点を変えると意外にあっさり見つけられそうだ。塩やバターが不自然かどうかを考えるよりも、ちょっと視点を変えて、砂糖の有無を調べた方が容易にわかりそう。何かをチェックするときに、こういう視点の転換をすると面白そうである。


そんなわけで、この本は、非常に読み応えがあって面白かった。掲載されているレシピを実際に試してみれば、もっと違った視点から見られて面白そうだが、それについてはいずれまた考えてみることにする。