携帯電話は文化を反映するのか、それとも均一化するのか

あるものが幅広い地域で利用されるとき、その使われ方は、お国柄を反映したものになるのだろうか。それともどこでも同じように使われるのだろうか。10年前の5億台から現在46億台まで普及している携帯電話は、これを考える良い例になるかもしれない。というわけで、先週のThe Economist3つ目。

The Apparatgeist calls

http://www.economist.com/displaystory.cfm?story_id=15172850
セルラーとか、モバイルとか、ハンドヘルドとか、ケータイとか世界中で様々な呼ばれ方をしている「携帯電話」は、それぞれ各地の文化を反映した呼び名となっている。無線ネットワークにフォーカスするか、切り離されていることを強調するか、機能性をいいたいのか。で、このような違いは表面的なものなのか、どうなのか?
というわけで、たくさんの国の平均通話時間や利用形態の例がいろいろ挙げられていて面白い。日本の電車で通話したらイケナイんだよとか、日本での通話時間は減って、e-mailが増えているとか、ケータイ小説読んでる奴がいるとか、けっこう関心が高い模様。一番よくしゃべってるのはプエルトリコ人で、その理由は月$40で話し放題プランがあるからとのこと。料金プランの影響というのが案外大きそうだな。パリ、ロンドン、マドリードの比較をしている人がいて、スペイン人はボイスメールを使わないとか、携帯電話でも電話をする場所が国によってまちまちとか、なかなか面白い。中国には、騒音がひどいトラクターで作業する農家の人のために、巨大なスピーカー付きの携帯電話があるそうだ。暑いインドの男性は、滅多にジャケットを着ることはなく、シャツのポケットに携帯電話を入れるため、そんなに大きなものを持ち歩かない。でもインドの女性は、カラフルなポーチを持ち歩くから、そんな制約はないそうだ。一人で2台以上持ち歩く国もあって、ラテンアメリカには、上司との連絡専用の電話を持つ人もいるとのこと。
で、この文化による違いは、今後大きくなるのか、それとも消えゆくのか。企業にしてみれば、たくさん種類を出すとコストがかかるので、これは気になるところである。先ほどのパリ、ロンドン、マドリードの比較から、徐々に差が縮まっていることが確認された。でもこれはテクノロジーの影響というより、そもそもそれらの国の文化が近づいてきたからじゃないかとも考えられる。アメリカのteenagerが日本のteenagerみたいに狂ったようにテキストを打ち込み始めたのは、アメリカでも日本と同じくらいteenagerが締め付けられるようになったのも一因だろうとのこと。
貧しい国の人が、お金がないためにシンプルな使い方をしているだけで、国ごとの違いはなくなっていくんだろうけど、違いのいくつかは、残るかもしれない。でもノキアは、地域ごとではなくて、シンプル派、ガジェット好きなどのカテゴリごとに端末を提供する。
Nokia World: Are you a life juggler or a technology stylist? : Tech Digest
http://www.techdigest.tv/2006/11/nokia_world_are.html
しかし、ノキアは、端末ではなくコンテンツ、例えばサービスやアプリケーションは、地域色を出している。インドなどの途上国では、農家向けの情報や教育サービスを提供する一方で、金を持っている国には、音楽ダウンロードサービスをバンドルさせる。
違いがなくなっていくのは、タイトルのapparatgeist(機械の精神)の奴隷になることを意味するんじゃないのかという意見もある。

It is a term that is used to suggest the spirit of the machine that influences both the design of the technology as well as the initial and subsequent significance accorded them by users, non-users and anti-users.

Apparatgeist - Wikipedia, the free encyclopedia

感想

apparatgeistの意味がとらえきれてないけど、なんとなく理解した範囲での印象として、道具を使えばそれによって行動は変化するし、それを道具の奴隷と言われても否定できない気がする。手書きからキーボードになれば、文体も変化した気がするし、紙の本からkindleに変われば、読み方は変わってくる。翻訳ソフトを使う前と後で多少翻訳が変わったし、フィルムカメラとデジカメで使い方は違う。テクノロジーのインパクトが大きければ大きいほど、そしてそのテクノロジーにのっかる価値があればあるほど、良くも悪くも奴隷になると思う。
iPhoneが出た当初、キーがついてない携帯電話なんて使えるか!と息を巻いていた人々も気がつけば林檎電話教に入信しているわけで、個人差はあるけど、こだわりなんて流れと慣れに敗れ去るのみであり奴隷なんだなと、はてなダイアリー奴隷歴そろそろ7年の私は思う。

The Economistの他の記事については、こっちに書いた。

http://ecotai.g.hatena.ne.jp/pho/20100110/1263140670