茶道と空気人形

私の通うNUSという大学には茶道部があって、今年で20年目を迎えるらしい。そこで遠州流茶道13代目grandmasterを招いて講演してもらうというので、ちょっと行ってきた。
http://nussadoclub.wordpress.com/2010/08/09/20th-anniversary-of-enshu-sado-school-at-nus/
半分くらい寝てしまったけど、ステージの上でお茶を点てたりしていてなかなか面白かった。茶室じゃないところでも使えるように茶を点てるテーブルと椅子を作ったとか、非常に熱心で好感が持てた。ありきたりな言い方になってしまうけど、伝統を守りながら、時代に対応していっている様子が伺える。

  • 茶道具を磨きながら、心を磨くのです。
  • 茶道は一人ではできません。お客様がいて初めて成り立ちます。
  • いただきます、ごちそうさまは、お茶を栽培してくれた人、茶器を拵えてくれた人、用意してくれた人全てに感謝の意を込めて。

みたいな感じの言葉が印象的だった。ここでできる最大限のおもてなしを受けた気分にはなったが、京都の寺に訪れて紅葉を見ながらいただいたときとは違うなあと思った。枯山水とか借景とか水琴窟とかいろいろな要素を思い出す。どうしても再現しきれないそういうdetailに意識的になることが大事なのかもしれない。


それからJapanese Film Festival Singaporeなるものがあったので、空気人形(air doll)という映画を見てきた。

最初なんというマニアックな映画かと思ったが、だんだん面白くなったので良いことにする。空気でできた人形が、自分の中の空気を吐き出して炎を消したり綿毛を飛ばしたりするのが非常に印象的だった。ろうそくの炎にフゥーっと息を吹きかけるのと、たんぽぽの綿毛にフゥーっと息を吹きかける場面がオーバーラップするのを見て、自分の小さい頃を思い出したりするのは、自分が日本人だからなのかなと少し思った。他の国の子供もたんぽぽの綿毛にフゥーっと息を吹きかけているかどうかは知らないけど、そういうdetailに意識的になろうかなと思った。


日本人だからわかること、日本で生まれ育ったからわかること、そういうことは少なくない気がする。そしてこの国はよくわからないけど妙に親日的だし、いろいろな面で日本を意識していると感じる(自意識過剰かもしれないけど)。そのあたりをうまく自分の武器にしていくことが今後大切になってくるんだろうな。特に根拠はないけどそんな気がした。