ある訃報に触れて

昨日の朝にハヤカワさんの訃報に触れ、ブログ記事を読み返したり、写真を見返したりしていた。初めて会ったのは、大子町に遊びに行ったときで、その後2、3回会ったように思う。悲しいというか、まだあまり現実感がない。そもそもブログがメインのつながりだと、ブログが止まった時点で生きているのか生きていないのかよくわからなくなるし、ブログじゃない場合でも接点がなくなるとよくわからなくなる。元気なときしか会っていないので、「勝手に殺さないでくださいよー」とか「不肖ハヤカワ、生き恥を曝しております」とかなんとか言いながら現れて、またにやっとした笑顔をみせてくれるんじゃないかと勝手に期待してしまうのである。
それにしても不思議な人だった(過去形で語りたくないけれど)。デッサンがうまいというよりは、作品に何かが宿っていると感じさせる人だった。スガハラさんの工房でバールのようなものを見つけて喜んでいたのは懐かしい思い出である。


Creative Commons Licenseby id:hayakar
自分よりも一回り上のはずだけど、いつも初めて外に出かけた子どもみたいに目をキラキラさせながらいろんなものに関心を持つ感受性豊かな人だった。いつもハヤカワ節で周りを楽しませる、というよりも楽しませずにはいられないという感じだった。だからといって自分が中心でないと気が済まないというタイプでは全然なくて、とても謙虚で、隅のほうで時折一人で思い出し笑いをしているタイプである。そしてきっと私には想像できないくらい繊細だったんだろう。

Creative Commons Licenseby id:hayakar

う、海は、ひ、ひろいんだな。

高萩 - hayakarの日記

新しい場所に行ってもこんな感じで楽しんでいるんだと思う。切ないけれど、自分には受け入れるしかない。ハヤカワさんがこよなく愛した金子光晴自伝を読めば、少しは考えに近づくことができるかもしれない。

どくろ杯 (中公文庫)

どくろ杯 (中公文庫)

ねむれ巴里 (中公文庫)

ねむれ巴里 (中公文庫)

ところで、彼は、以前行きたがっていた日本最北の早川書店には行ったのだろうか。全国各地にある早川書店の中で最も北にある早川書店があって、という話を以前していた。7つ道具を携えて行ったなら、きっといつものように目を輝かせて楽しんだことだろう。ちょうど今頃楽しんでいるのかもしれない。ありがとうございました。いずれまたどこかで。