mhatta氏がtwitterで絶賛していたので買った本。
おいお前ら、これは猛烈にというかうんざりするほど面白いぞ!500ページ以上あったが5時間ぶっ通しで一気に読んでしまったよ:謎の独立国家ソマリランド(髙野秀行) http://t.co/GWeFpY1w2L
— Masayuki Hatta (@mhatta) 2013, 9月 28
ソマリアがイタリア領でソマリランドがイギリス領だったことくらいしか知らずに読んだのだが非常に面白かった。プントランドとか名前すら知らなかったし。
ソマリランドに興味を持った著者が、そもそもどうやって行けばいいんだと調べるところから始めて、ソマリランド・プントランド・ソマリアで現地の人たちと親しくなっていく。
「時間がないんです、ソマリランドで誰か信頼できる人を紹介してください!」と私は息を弾ませて言った。
「わかった」褐色の肌に白い髪と顎鬚をたくわえ、ストライプのスーツがよく似合うダンディーな教授は、デスクのうえにちらばるプリントを一枚ぺろんとめくると、裏にボールペンで、「1 ダヒル・リヤレ・カヒン大統領」と書いた。
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しかも、名前と肩書きのみで、電話番号もメールアドレスもない。「行けば、誰かが教えてくれる」と簡潔に教授は述べた。
凄まじくよくわからない流れで展開して行く。
サイード翁は挨拶も世間話もほとんどなしで、「君たち、ソマリランドに何日滞在して、どこに行きたい?」とたたみかける。私たちの希望をいくつか述べると、「今日中に車と通訳をアレンジする」と言い、嵐のように去っていった。
同じ日の夕方、サイード翁が再び来襲。目の前で、私たちの予定を紙にすらすらと書いていく。
「ハルゲイサには二日、そのあとベルベラで海賊の取材をして、いったん戻って、一日休みを入れるだろう、で、今度は護衛をつけて東部の山岳地帯へ向かい……」
いつの間にか、私たちの旅のスケジュールが決められていた。
いろいろと話が早い。
ござを敷いた上に、輪ゴムで留めた札束がまるで日干しレンガのように、ごろごろと無造作に積み上げられているからだ。実際に一輪車で運んでいる男たちもいる。繰り返すが、札束をだ。
アフリカだけどここまで安全なのは非常に興味深い。
ソマリ人の傲慢さ、荒っぽさ、エゴイストぶりは、思考と行動の極端なまでの速さや社会の自由さと同根であることに私たちは気づいていた。
ソマリ人は根っからの遊牧民なのだ。
そういう傾向があるんだな。
要するに旧ソマリアは、大きく以下の三つの地域に分かれているのだ。
「民主主義国家」のソマリランド
「海賊国家(?)」のプントランド
これを知ることができただけでも、この本を読む価値があった気がする。
市場では野菜や肉や穀物など他のどの商品よりもカートの売り場が場所をとっていて、午後一時、ちょうど昼飯の終わったあと、人々がそこに殺到する。
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イエメンではシーシャ(水パイプ)を吸いながらカートを食べるカフェがあったが、ソマリランドにはない。代わりに、街中に遊牧民が作るようなテントがそこかしこに見られる。カートを販売していて、客が望めば中で食べることもできる。
ペルーのクスコで噛んだコカの葉っぱみたいなものだと思うが、けっこう中毒性があるんだな。
「わかるんだよ。自己紹介で氏族を全部訊くから。同じ氏族なら絶対に共通の知り合いがいるし、他の氏族でも誰かしら友だちや知り合いや妻の親戚やら妹の夫の親戚とかいるんだ。そこで嘘を言えば絶対にばれる。だから、俺たちはいつも相手が誰か知っている。だから嘘は絶対につけない。後で大変なことになる」
村社会拡大版みたいな感じ。
へサーブにおいて重要なのは、誰が先にやったとか何が原因だとかでなく、人が何人殺されたかとかラクダが何頭盗まれたかという「数」だという。例えば、人が一人殺された場合、殺した側はラクダ百頭を被害者の遺族に差し出して償う。ソマリ人の伝統的な掟を「ヘール」というらしい。ヘールに従い、まさに「清算」していく。
なにげに合理的。突き詰めて考えると確かにこうなるような気がする。
「だから、誰もが海外に家族や親族がいて、毎月送金してくる。それでみんな、暮らしている。政府には金がない。企業も産業もない。しょうがないじゃないか」
ここまで開き直られると逆に清々しい。
もちろん、今はラクダ百頭ではなく現金で払うことが圧倒的に多い。現金払いの場合、今は「ラクダ一頭=230ドル」というレートができているという。実際にはラクダの金銭的価値は昔よりずっと高くなり、一頭1000ドルくらいするときもあるが、それではとても百頭分も払えないので、経験的に「今は230ドルくらいだろう」とされているらしい。
非常にリアルだ。
無政府状態になり、中央銀行もなくなってから、シリングはインフレ率が下がり、安定するようになった。なぜなら、中央銀行が新しい札を刷らなくなったからだ。
当たり前だけどこういう風に考えたことはなかった。
海賊はもちろん、人質をとられた船会社や貿易会社も身代金を払ったかどうかなど公表しない。でも、身代金が支払われると、海賊はそれをシリングに両替する。身代金は米ドルだが、市場で生活物資を買うときはシリングで支払うからだ。家族や仲間にドルを分けても、やはりその人たちがシリングに両替する。
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身代金は日本円にして数千万という額である。そのため、一気にドルのレートが下がる。
いろいろとつながっていて面白い。
「どこの一族にも一人くらいは海賊はいるし、その分け前をもらってるんだ。それにもし、海賊を許さないって家族や氏族に言われても今の若い連中は『じゃあ、海外に行っちゃえばいい』って考える。実際海賊で稼いで欧米に行く人間は多いよ」
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兵士の給料が安すぎる。たった50ドルだ。それで海賊と戦いに行く人間なんていないよ
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しかし、海賊はどうか。外国人は身代金を払うだけで、誰一人復讐に来ない。船が一つ乗っ取られるたびに交渉が起き、長老が呼ばれ、けっこうな額の謝礼か日当が払われる。長老以外にも、車代、食費、宿泊費、護衛の兵士代と、今私が払っているものがみんな、氏族に支払われる。氏族全体にとっていいことづくめなのだ。それをあえて止めようという人間がいるほうがおかしい。
なぜプントランドで海賊がなくならないのか。なくなるわけがない気がした。長老への謝礼なんて考えたこともなかったので、こういう現実を見てみるのは非常に面白い。この後具体的な海賊にかかる費用やソマリアに行ったときの話なども出てくるが、長くなりそうなのでここで一旦区切ることにする。著者のカート廃人さがちょっと心配になるが、非常に面白い本だった。