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言語学少女とバベルの塔

読書

「――じゃあ、『走る』と『歩く』の違いは?」
「一一じゃあ、どうしてこれは『広い紙』と言えないの?」
そんなシンプルな問いかけから始まるこの物語は、なかなか引きつけられるものがあった。数学ガール言語学版にふさわしく、非常に取っ付きやすいが奥が深い本であった。キャラクターがべたべたなのもよく似ているが、これはうまく役割分担されているとも言える。
言語学そのものも楽しめたが、その壮大な学問にどのようにアプローチするのかという視点で見ても非常に面白い。

「ちなみに音声学は主に3つの分野に分かれるよ。音が自分の口を出るまでの段階と、音波が空気中を伝わつていく段階と、音が相手の耳に入るまでの段階の3つ。
まず最初の、どのように音を発声するかという段階が調音音声学。 音声学というと通常これを指すよ。
次に、音がどのように伝播するかを調べるのが音響音声学。音波としての音声を取り扱うから、物理学の分野とかぶる。
最後に、相手の耳に音が入り、どのように音が処理され認知されるかを研究するのが聴覚音声学」

こんな感じで様々な言葉が非常にわかりやすく説明されている。それからシンガポール人に『は』と『が』の違いを聞かれて答えに窮した自分としては、以下の部分も非常に興味深かった。

『日曜日は行けません』という文だと、『日曜日』がこの文の話題の中心でしょ。『僕は大丈夫です』の場合、話題の中心は『僕』だよね」
・・・
「助詞の『は』は主題を示すが、主題は話題を表す以上、不定だと困る」
「まあ、不定なものが話題になるわけないですもんね。知らないものは話題にできない」
「そう。だから『は』は基本的に定的なものとともに使われる。一方、『誰』というのは意味上必ず不定だから、定的なものを要求する『は』と一緒に使うことができないんだ」
「そういえば『誰が』とは言えても『誰は』とは言えませんもんね」

それから第2外国語でフランス語を齧った自分としては、男性名詞・女性名詞等に対するこの解釈も興味深い。

「独仏なんてまだマシなほうだよ。スワヒリ語には少なくとも6種の性があるし、バンツー諸語にはそれ以上の性を区別する言語もある」
「う...頭が混乱してきました」
「こずえちゃん、君は性が多いというだけで難しいと拒絶反応を起こしてないかい?これは僕の持論だけど、性という概念は助数詞に通じるものがあると思うんだ」
「助数詞って、一個、一本、一冊、一匹みたいなやつですよね」
「そう。性が何十種類もあるってことは、名詞が何十種類に分類されるってことだけど、それって日本語の助数詞や中国語の量詞と何が違うのかな?」

もう一つ興味を引いたのが、『人間と同等な性能を持った人工知能があるとするなら、人工身体は必須だろう』という考え方。その理由として、以下の例が非常に新鮮な視点を与えてくれた気がする。

さて、もし人工知能が手や脚や目を持っていなかったら、箒のアフォーダンスを理解することができるか? to broomの意味を推測することかができるか?」
「それは …… 無理だろうな」
「そう、無理だ。今そこのショートカットの少女が転換動詞の意味を推測できたのは、彼女に手や脚や目といった器官が備わっているからだ。手もなければ手を見たことすらもない人間がいたとして、彼に箒のアフォーダンスを理解することはできない。『あれは何をするための道具なんだろう?』 と謎に思うだけだ。同様に、手もなければ手を見たことすらもない機械に箒のアフォーダンスを理解することはできない」

この他、インド・ヨーロッパ祖語を研究するきっかけとなったのがインドの裁判官だとか、アイスランド語の基本文法が1000年間もほとんど変わっていないとか、非常にネタが豊富な本である。また『大前提として、現代言語学は言語に優劣を付けない』というのも徹底していて、一定の距離をおいた視点からの描写が心がけられているのもいい。
これまで全然触れたことのない分野だったので、一つ一つが新鮮で興味深く読めた。著者のセレンさんが自分と同い年なんだそうで、自分も何かをこじらせて突き抜けていかないとなあと思ったりした。この分野の本をよく知らないが、入門書として非常によくできていると思う。

言語学少女とバベルの塔
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