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気象を操作したいと願った人間の歴史

特にデータなどなく印象ベースなのだが、シンガポールでは重要なイベントのときに雨が降らないような気がする。F1とかNational Day Paradeとか。特に根拠はないわけだが、そもそもそんなことって可能なのだろうかと思い、この本を読んでみた。

気象を操作したいと願った人間の歴史
ジェイムズ・ロジャー・フレミング
紀伊國屋書店
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気象を操作する小説の紹介に始まり、雨を降らすことを請け負う詐欺師「レインメイカー」「レインフェイカー」、様々な気象制御の構想や試みなどを紹介した本である。地球温暖化対策として挙げられる荒唐無稽な案は今に始まったわけではなく、ずっと昔から続いていたようだ。

本書で私は、神話的過去から現在までつづくアイディアの喜劇を披露する。そこに共通しているのは滑稽さであり、ときには風刺である。誇大宣伝が大げさになりすぎるときはとくにそうだ。大半の物語で強調されるのは、その手の主張につねに見られる本性であり、主人公たちの傲慢さと愚かしさであり、彼らが依拠するきわめて病的な科学であり、新たなテクノロジーのご都合主義的なアピールであり、マクロエンジニアリングは生み出す以上の問題を解決するはずだという錯覚である。

こんな感じで一つ一つ例が詳しく紹介されていて面白かった。気象をどのように操作するかという点で、雨が降らないようにするよりも、どうやって雨を降らそうかという方が需要がありそうだ。干ばつなどは死活問題なので、当たり前と言えば当たり前かもしれない。

マンダン族が雨を降らせようとするとき、失敗することは決してない。なぜなら、雨が降り出すまで絶対に儀式をやめないから。

こんな忍耐強い人々の例が続く。

プルタルコスの「ガイウス・マリウス」(紀元七五)では、「実際、大規模な戦闘のあとには、途方もない降雨が観察されることが多い。何らかの神が天からの水で大地を洗い流し、清めようとするのか、あるいは、血と腐敗が発する臭気と大量の蒸気が、わずかな原因で変化してしまいそうな大気を密にするのか、そのどちらかだ」とされている。
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計画が立てられ、戦闘が行われるのは、普通は天気がいいときだということだ。そのため、ヨーロッパや北米の温帯地方で戦闘のあとは、三日から五日の自然の降雨周期にしたがって雨が降りやすいのである。おそらく将軍たちは晴れた空の下で戦いたかっただけであり、それゆえ、当然あとには雨の日が続くことになりやすい。おそらく、たいてい何かをした後数日には、雨が降りやすいものなのだ!

物事というのは概してこのくらい単純なのかも知れない。また、バタフライ効果の話も興味深い。

私はかつて、ローレンツにこうたずねたことがある。一羽の蝶が地球の大循環に影響を及ぼすなどということが、とくに粘性を考慮した場合、本当にあるのだろうか、と。ローレンツは笑って「その蝶がロッキー山脈くらい大きければね」と答えた。私はこれを「モスラ効果」と読んでいる。

物事はこのくらいねじ曲がって伝わっているということか。

ハットフィールドは米国気象局とは決して良好な関係になかったが、地方の気象官とは個人的に付き合いがあり、気象局のデータ、地図、予報を大いに利用していた。ハットフィールドはたいてい、降雨量が平年より少ない地域で契約し、雨が降りそうな季節に仕事をした。こうした条件の組み合わせのおかげで、地元の市民は雨を切望し、契約締結のチャンスは増し、人工降雨の料金は上がり、平年並みかそれ以上の雨—ハットフィールドはそれを自分が降らせたことにできる—がまもなく降り出す可能性は高まった。
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ハットフィールド降雨会社は、気象局の表、図、平均降雨量を一連の賭けの確率に換算することで成り立っていた。それは一種のハンディキャップ付きのパリミューチュエル方式の賭けであり、会社の勝つ確率は55%と計算されていた。それからスティンゴは、5000人もの人びとが暑く乾いた午後に人工降雨チームが大砲を撃つのを見に集まってきたこと、ハットフィールドが旧約聖書の予言者よろしく山に登ったこと、サイクスの妻が熱心な支持者を集めて雨を祈ったこと、大砲がとどろき煙がもうもうと吹き出したこと、夜中に嵐がやってきて低地が水浸しになったこと、レインメイカーたちはそれをみずからの手柄としたこと、地元の人びとは満足し、ハットフィールドの力を賞賛し、8万ドル支払ったことなどを語った。

これは実にすぐれた演出である。データをうまく活用しているという点では、称賛に値するのかもしれない。

いずれの時代であれ、天気や気候を支配しようとする人びとは最新の技術を活用する—爆発物、専売特許を持つ薬剤、電気や磁気を利用した装置など。20世紀の初めには航空機が、半ばにはレーダーやロケット工学が加わった。それ以降、気象にかかわるあらゆる新技術が、賛否両論のある気象制御の探求において提案され、実際に試されてきた。莫大な資金が投じられたにもかかわらず成果がほとんどないことを考えると、世の中には予想以上にペテン師が跋扈しているのかもしれない。

ここの部分が非常によくまとまっていていいなと思った。手を替え品を替えいろんなものがでてきているけれども、結局のところバズワードを使って目先を変えただけで本質的には何も新しくないというのがよくわかる。

報道によれば、御社は雪を製造する方法を開発し、いずれそれを屋外で使用するとのことですが、そうなると御社は訴訟に直面することになるでしょう。交通事故や落下による怪我は自然の雪が降ってもたびたび起こりますから、人工雪が降っても同じように発生します政府組織や大きな不動産の所有者は、道路や幹線道路を除雪するのに余分な経費を計上しなければなりません。雪が溶ければ洪水が発生します。

といって保険ブローカーがGEに注意を促したりするのも面白い。

チャップマンは1934年に、会長を務めていたイギリス王立気象学会での演説のなかで、「オゾン層に穴を開けられるか?」と問うた。つまり、ある限られた地域の上空の空気に、オゾンがまったくないかほとんどない円筒状の部分ができるだろうか、ということだ。チャップマンが想像したのは、天文学者が大気のオゾン層に邪魔されずに紫外線の観測範囲を数百オングストローム広げられるような窓をつくることだった。短波放射にさらされた場合に人間の健康に及ぶかもしれない影響は、チャップマンにとって重要ではなかったようだ。

視点が違えばニーズも違う。これはなかなか興味深い例だと思った。

何十年、何百年と影響が続くような介入に関してシェリングは、環境分野の課題は、過去に変わったように今後も大きく変わるかもしれないと予測し、「いまとは違い、二酸化炭素は……人為的気候改変をめぐる議論の中心ではなくなるかもしれない」、「いまから75年後にも危ないと思われているものは何か。それを知るのは難しい」と述べている。

先のことを予測することがどれほど困難なのかよくわかる。最後にイマヌエル・カント純粋理性批判から

私は何を知りうるか?
私は何をすべきか?
私は何を望みうるか?

を引用して、以下のようにまとめている。

恐怖と不安は我々を凍りつかせ、行動を起こすのを阻んだり度を超した行動をとらせたりする。我々はそうした恐怖と不安の克服を望むことができる。みなが納得できる、合理的で、実用的で、公平で、効果的な気候の緩和と適応の中道の出現も、望むことができる。

結論を言ってしまえば中道がいいということなのだが、それに至るまでの大量の極端な事例が非常に面白かった。空というのは、一見身近なもののようであるが、なかなか手の届かない存在だということがよくわかる。ちょっとした操作で連鎖反応なんて起きないし、何かが起こせたように感じたとしても、それは気のせいなんだろう。長い長い気象制御の歴史を通して見えて来るのは、気象制御だけではない。人間の願望、信じ込んでしまう性質、未知の技術に対する期待と不安、そこに群がる人々。そして人間ってやつは全然変わらないんだなということがよくわかった。