物語 シンガポールの歴史 後編

シンガポールの教育制度。

すべての生徒は小学校四年終了時に、全国統一試験を受け、成績にしたがって五年と六年時は三つのコースに分かれる。小学校終了時には、これも全国統一試験の小学校卒業試験(PSLE)があり、一定の成績に達しなかった生徒は、技術専門学校に進んだ後で就職するしかない。

小学校卒業時に人生が決まると言われる制度。一応理にかなっているとは思う。

シンガポールは、外国企業を誘致するインセンティブの一つとして、多くの産業分野で100%出資の外国企業の設立を認めたので、世界的な多国籍企業は資金、技術、輸出市場と、すべてをセットでシンガポールに持ち込んだ。極端な言い方をすると、政府はこれらのことを心配することなく、専ら外国企業の誘致と、外国企業が活動しやすい環境の創出に務めれば、後は外国企業がすべてを行ってくれたのである。

この辺りは、非常にやり方がうまい。やはり会社経営のようなことをしている国と、会社というのは相性がいいのかもしれない。

シンガポールが地域の金融センターになった具体的要因は、効率的な行政、よく整備された通信インフラ、イギリスの法制度がビジネス取引の標準なこと、多くの国民が英語を使いこなすこと、世界の二大金融センターのロンドンとニューヨークの中間に位置し、24時間取引が可能なこと、などにあった。

早く我が家に光ファイバーが来ないかなー。

英語は人民行動党指導者の言語というだけでなく、すべての民族国民に中立的な言語であり、なによりも国際社会で経済活動を行っていく必要があったシンガポールにとり、国際ビジネス語だからである。

英語が中立的というのは、最近仕事をしていて非常に強く感じる。母国語と英語という方向への変化を先取りしていると言えそうだ。

移民者にとり、自分の家を持つことは、最高の夢だからである。ただ、当時は、大半の国民が公共住宅を購入する資金はなく、政府は中央積立基金の預金を公共住宅の購入資金に充てる政策を導入した。
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1984年の場合、本来の退職後年金の引き出しは17.3%に過ぎず、公共住宅購入のための引き出しが61.4%も占めた。これにともない、公共住宅の持家率は、1970年の入居者の20.9%から、10年後の80年には60.6%に上昇し、リー時代の最後の90年には89.4%にも達する。

そんなに引き出したら年金がなくなっちゃうような気がするが大丈夫なんだろうか。

人民行動党は、国民を厳しく管理してさまざまなことを要求したが、その代償として社会厚生の提供を怠らなかった。

なんだかんだ言ってもこの国の政府はそれなりに支持されているような気がする。

ゴー首相がめざした国家建設の基本的考えは、シンガポールは経済発展の課題は達成したので、今後は芸術やスポーツの振興にも取り組むという点にあった。

一応芸術やスポーツ振興にも力を入れ始めて、ユースオリンピックなんてのもやってたな。

シンガポールの中間層は、現状維持を思考する保守的性格が強い人々が多数派を占め、彼らは、人民行動党の統治が権威主義的で厳しくても、この政府があってこそ自分たちの現在の豊かな生活があると受け止めたのである。
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アジアの多くの国で政治的自由を求める運動が起こったなかで、シンガポールは多くの国民が政治的自由よりも、人民行動党による経済開発と成果の配分に、より関心があったために下からの運動が起こらなかったのである。

利害関係が一致することが大切ということか。

政府が労働許可書保持者を厳しく管理するのは、不景気の際に最初に解雇する雇用の調整弁とみなしているためでもあり、実際にシンガポール経済が不況に陥ると、最初に解雇されるのがこの労働許可書保持者の外国人労働者である。

この調整弁(バッファ)という言葉は以前沸騰都市という番組で話題になっていたような気がする。自分の場合は、雇用許可書で、労働許可書ではないけれど、外国人であることに違いはないな。

1994年2月26日、シンガポール政府と中国蘇州政府の合弁による蘇州工業団地開発プロジェクトが調印された。
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1996年にインドとシンガポールが共同で、南インドのバンガロールに6億7000万シンガポールドルを投資して(シンガポールの出資率は40%)、情報技術工業団地を建設することが合意された。

先見の明があるというか、非常にうまくやるなあと関心せざるを得ない。

「もし、国会に10人や20人の野党議員がいたならば、シンガポールが進むべき適切な方向を考えるのではなく、野党をどのように抑え込むかだけを考えることになる」

政治家が足の引っ張りあいをしていても何も始まらないけれども、ここまで徹底してしまうのもどうかと思うので、なかなかバランスが難しい。

もし、シンガポールがカジノを創らなければ観光客が近隣諸国に奪われ、シンガポールの経済的損失が大きいことを挙げた。
マレーシアからの分離直後にリー・クアンユーは、シンガポールが生き残るためには悪魔と貿易してでも経済発展しなければならないという趣旨の発言をしたが、今回の決定もそれと同じ文脈で行われたもので、道徳的是非よりも、生存のためにはあらゆる産業に参入して経済発展しなければならない、という命題が優先されたのである。
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ただ政府は一部の国民やキリスト教団体などから出た、国民がギャンブルに染まるとの懸念や批判に配慮して、カジノ施設の入場料を、外国人は無料、シンガポール人は100シンガポールドルとすることで対応したのである。

これは良い感じの落とし所だと思った。

アルジュニード集団選挙区での苦戦を感じ取ったリー・クアンユーは、野党を選んだ選挙区の住民は、次の選挙までの5年間、野党を選んだことを後悔することになるという趣旨の発言をしていた。これはリー・クアンユー得意の威嚇的発言であり、人民行動党の典型的な旧来型言説でもあった。しかし、今回の選挙では、この発言が国民の反感と反発を買い、インターネットのサイトにリー発言を批判する書き込みが溢れ、息子のリー・シェンロン首相が、選挙戦を戦っているのは自分たちであるとして、父親のリー・クアンユーに威嚇的発言を控えるように要請すらしたのである。

自分がシンガポールに来てからの話。この国も少しずつ変わっているみたい。

シンガポールの人々にとり、日本はまったく違う二つの顔を持った国である。一つは、過去にシンガポールを苦しめた抑圧者の顔、もう一つは、シンガポールの経済発展を支えた経済大国の顔である。この二つの顔と国民との関係をあえて単純化して言えば、日本占領時代を経験した年配国民には軍事大国、若い世代の国民には、経済が豊かで礼儀正しい国と言うイメージが強い。

3年住んだけど、日本人だからという理由で何か不快なことを言われたことがない。中国語で何か言われてるのかもしれないけど、とりあえず自分の観測範囲内でこれといって困ったことはない。とてもありがたいことだと思う。
そんな感じで長々と書いたが、非常に面白い本だった。とてもバランスよく書かれているところが特にいい。歴史を学ぶと、遡っていろんなものを見て、いろんなものの原因を知ることができるので非常に楽しい。現代までつながった線としてシンガポールをみることができる非常に貴重な本だと思う。

物語 シンガポールの歴史 (中公新書)
岩崎 育夫
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