超・美術館革命

金沢にあるこの美術館のことは、以前どこかで知って以来
けっこう気になっていて、本屋で新書を見つけたので買った。
美術館の資金集めとか、客をどう集めるのかとか
けっこう徹底してやっていて、非常に興味深い。

超・美術館革命―金沢21世紀美術館の挑戦 (角川oneテーマ21 A 66)
超・美術館革命―金沢21世紀美術館の挑戦 (角川oneテーマ21 A 66)蓑 豊

おすすめ平均
starsミュージアム・イノベーション
stars行ってみたい
stars金沢21世紀美術館が出来るまで
stars水増し感は強いが読み応えあり

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美術館は「市民の応接間」。これが私の思い描いていた理想だった。

ということで、従来型の美術館とは大きく異なる点を挙げている。

ここには誰もが知っているような作家の作品はないから、恭しく拝むような姿勢で鑑賞する必要はない。それだけで気が楽だ。そして、なによりも老人たちを刺激するのは、誰が作ったのか知らない作品を相手に嬉々として遊び、好奇心をむきだしにして駆け回る子どもたちの姿だ。その溌剌とした姿から、老人たちは元気のエキスをもらっているのだ。

客自体を見世物?にするという発想が面白い。実に合理的。

美術館は人が来てナンボのものなのだ。お客さんなのだから、いい物があるからぜひ来てくださいと頭を下げて呼びこまなければ。人が来なければ美術館の意味がない。
そのためには、館長は経営者でなければならない。絶えず経営努力をしていかなければならない。

この発想は、カナダやアメリカの美術館にいたから出てくるんだろうな。
個人的には空いている方がありがたいので、あんまりがんばって欲しくない。

展覧会の記事が文化欄に載ったのでは、あまり役に立たない。文化欄を読むような読者は、みんな展覧会のことは知っており、必ず来るからだ。美術館に人をたくさん呼ぼうと思ったら、いわゆる美術通以外の人たちに訴えなければならない。今まで美術館に行ったことのなかった人が、「あっ、ちょっと行きたいな」と思うような記事でなければならない。それには、誰もが読む三面記事に載せるのが一番である。三面記事に載せるには、文化談義ではなく、何か別の要素がなければならない。

すごく真っ当だな。敷居を下げてマジョリティに訴えかける。
ビジネスとしては正しいと思う。好きじゃないけど。

フレンドリーなだけではしょうがない。説得とは、相手に何かを訴えて、相手がこちらに共鳴するように仕向けることなのだから、和気あいあいだけで終わっては意味がない。相手に、こちらを信用する気を起こさせなければいけない。
それには自分に自信をつけさせることである。自分に、「これだけは負けない」というものを持つことだ。
それには勉強しかない。「これだけは負けない」専門を極めなければならない。相手を納得させるだけのバックグラウンドを備えていなければならない。

これは就職活動のあたりからずっと感じている。他人にアピールできる
ポイントもなにもないくせに人脈とか言ってるのはくだらない。
人と会って、話をして、だから何なんだって思う。まあ勝手だけど。

「いずれ留学したいのですが」と相談すると、
「専門の分野を作ってからでないと海外に行ってはいけない」と言われた

自分の専門ってなんだろうと考える今日この頃。

「あなたはいずれアメリカで東洋部長になる人だ。しかし、この世界では博士号がないと上にいけない。どんなに苦労してもいいから、ハーバード大学に行って博士号を取りなさい」とアドバイスをくれた。

学歴があればいいってものではないけど、学歴がないと始まらないことは
相変わらず多い。取ってしまえば文句言われないなら、さっさと取った方が
効率が良いことって多そうだ。まあ目標が決まった人の話だけど。

アメリカでは逆に、大学教授が美術館のキュレーターになりたがる。なぜかといえば、美術館には本物があるからだ。大学教授たちは、スライドなどで美術品を分析して論文を書いている場合が多いから、現場に憧れるのだ。

これは知らなかった。確かに尊敬されてるイメージがある。
根本的に日本の美術館とは考え方が違うんだと思った。

とりわけ、人口五十万に満たない金沢のような都市では、いかにリピーターを確保するかが大きなポイントになる。「あそこに行けば、いつも何か面白いイベントをやっている」と思わせる美術館にすれば、リピーターも増える。

やっぱり客の集め方を知り尽くしている気がする。

子どもというのは、万国共通、常に大人になりたい、大人になりたいと思っている存在である。常に大人と同じ土俵で勝負したいと思っている。金沢21世紀美術館の「もう一回券」が七千枚も回収されたのも、子どものそういう気持ちを捉えたからだ。「ぼくには、わたしには、切符があるから、お母さん、お父さんも一緒に行こうよ」と親を誘う喜び。美術館に来ても、親とは別に自分は自分の切符を出す、この喜び。この気持ちが大人には解っていない。

いや、この人解りすぎだと思う。計算高い。

アメリカ人はアメリカ人にないものを持つ人を非常に尊敬する。英語力ではない。英語は幼稚園児でも喋れるのですからね。大事なのは中身なんです。私は中身には自信があった。中国陶器を見る眼は誰にも負けないという。だから向こうも尊敬してくれる。

またまた中身が出てきた。英語ができるじゃなくて、英語で何ができるか。
ただ生きていくだけならそんなものは別にいらないけど、自発的に
何か自分の意志を貫くとか、積極的に楽しむには必要なことだろう。
自分ももうちょっとプランを立てて具体的にしないとな。

(著者)十年で、大阪と金沢から、美術館って楽しいところだなというサインを送れたと思っています。ただ、日本全国的には、まだまだ。日本ってジェラシーの国だから。そこが問題ですよ。
村上隆)ジェラシーと、徹底的な鎖国主義、が日本人か。ジェラシーをどうやって突っぱねるのですか。
(著者)それに対しては一切応えない。もう我慢。我慢するにはどうしたらいいか。常に前を向く。絶対に前を向く。後ろを向かない。

この本の著者がこれだけ大きなことを成し遂げられた理由が
なんとなくわかる気がする。5年先、10年先、自分は何をしようかな。


新しい美術館の本としても面白いし、客の呼び込み方も参考になる。
そして何よりキャリアに対する考え方として興味深い本。
この本自体もちゃんと美術館の宣伝になってるんだから商売上手だ。
金沢に行きたくなってしまったじゃないか。たぶん来年行く。