メッカ 聖地の素顔

読書感想文4つ目。先日、聖地巡礼という写真展に行ったときに買った本。
カラー版 メッカ—聖地の素顔 (岩波新書) (新書)
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メディナとメッカとそれらの聖地に巡礼するイスラム教徒の写真が豊富に掲載されており、非常に興味深い本だった。

撮影許可証が没収された三日後、今度はプリンスの名において新たな許可証が発給された。許可証の最後には、「何人も撮影の邪魔だてをしてはならない」という強力な文言が追加されてあった。

なかなか賢いと思った。その地域にあった手を打てば、やりやすくなるんだな。ちなみに著者は、この撮影をきっかけにイスラム教徒になってメッカに入ったのだが、その最初の断食の感想が興味深かった。

神は、敵意に満ちたこの土地で生き抜く精神鍛錬として断食の行を課したのである。圧倒的な不毛と常に向きあい緊張を糸を張りつめていなければ、あっさり呑み込まれてしまうのだ。そして、食を与えてくれる神の存在を身近に感じ、貧者の苦しみに思いを馳せる。さらには、すべてのムスリムが同じ時に同じ苦痛に耐えているという意識が、信者どうしの連帯の絆を強くするのだ。

王族も貧者も空腹の前には平等なんだな。断食に対してこういう視点で考えたことがなかったので、非常に新鮮に感じた。同じ時に同じことを体験することでできあがる一体感というのは、特別なものがあるのかもしれない。リアルタイムよりもタイムシフトした方がいろいろ融通が利くけれど、それでは失われてしまうものもあるのだろう。

シーア派のイラン人たちは、ファーティマの墓に向かって集団で座り込み、まるで昨日亡くした身内を悼んで悲嘆に暮れるかのように、男も女も、おんおんと泣き明かす。あたかも、あなたの息子を見殺しにしてしまったのは私たちだ、と懺悔しているかのようであった。

この部分もなかなか新鮮だった。1000年以上前のことなのに、あたかも現代のことのように感じているんだな。単にこっちが時間という概念を持ち込んでいるだけで、それを超越しているから新鮮なのかもしれない。時間にとらわれないという視点も大事な気がした。

一年のうち11ヶ月は自分のために、そしてラマダーンの一ヶ月間はアッラーのために働くと決めている。

こういう働き方もあるんだな。自分が何を重視しているかによって、やり方は変わってきそうだ。小さな世界に閉じこもってないで、もっといろいろな価値観を体感するように心がけたい。

それは驚嘆すべき眺めであった。中央のナミラ・モスクを中心に、アラファート全域を埋め尽くした実に200万人!がいっせいに礼拝しているのである。白衣のイフラームを着けた200万人がきれいに列をなし、同時に額ずく。道路という道路をどこまでも埋め尽くした祈りの帯を、上空からなめるように俯瞰しているのだ。

先日ポーランドで聖体節のパレードに入り込んだとき、数百人がいっせいにお祈りをしていて非常に荘厳な雰囲気に包まれたが、それの比ではなさそうだ。とてつもないエネルギーを感じるんだろうな。一体となったその信仰の力に、イスラムの底力のようなものを感じた。その力が対立ではなく協力する方向に向かっていけばいいなと思う。