コンテンツはフリーであるか、あたかもフリーであるかのようになるべき

自分が知的財産(intellectual property)に関わる仕事をしているからかもしれないが、先日古い雑誌を整理していて、Esther Dyson氏のこの言葉にひっかかった。

From the business point of view--not to overstate it--intellectual property is dead; long live intellectual process. Long live service; long live performance.

On the Frontier - Reason.com

Intellectual PropertyからIntellectual Processへ。知的財産そのものではなく、そのプロセスこそが重要なのだということである。IBMが物を売る会社からサービスを売る会社にシフトしたように、無形物についてもそれを活用したサービスにシフトしていくことが重要なのかもしれない。今の仕事は楽しくやっているけれども、今後の展望を考えたときに軸足をどこにおいてどう展開していくかを考える必要があるわけで、その際にこの人の意見を自分なりに咀嚼してみることが大事な気がした。1996年の発言なのに、全然古さを感じさせない。その頃自分はまだ中学生で、今よりも更に無知だったなあなんて思った。
それからこの人の名前でいろいろ検索して、面白そうな記事にたどり着いた。Intellectual Valueというタイトルで1995年にWiredに掲載されていた模様。

  • In a new environment, such as the gravity field of the moon, laws of physics play out differently.
  • Chief among the new rules is that "content is free." While not all content will be free, the new economic dynamic will operate as if it were.
  • The provider's vital task is to figure out what to charge for and what to give away
  • I am not saying that content is worthless, or that you will always get it for free. Content providers should manage their businesses as if it were free, and then figure out how to set up relationships or develop ancillary products and services that cover the costs of developing content.
WIRED 3.07:"Intellectual Value" - by Esther Dyson

最初の部分だけでもこんなに歯切れ良く先を見通したことが書いてある。現実の世界とインターネットの世界は、地球と月くらい違う物理法則が働いているという話に始まり、何に課金して何を無料で配るかという話は、まさしくfreemiumモデルそのもの。今聞けばChris Andersonがなんか言ってたねって話になるけど、これを95年に言っていたのかと思うと、遡っていろいろと情報を集めたくなった。この人の視点から見ていた景色と最新の情報を自分の頭の中で連鎖反応を起こさせて、思い浮かぶ景色を見てみたい。
「コンテンツはフリーであるか、あたかもフリーであるかのようになるべき」という言葉は、非常に興味深い。どうやって「あたかもフリーであるかのように」するかという部分が悩みどころなんだろう。これは中学生の頃の友人が言っていた経験則に関係するかもしれない。

  • 1000円持っていれば、10円単位があまり気にならなくなり、10000円持っていれば、100円単位があまり気にならなくなる

有効数字は2桁で、三桁目を四捨五入してもあまり影響なしという話。異論もあるとは思うが、宵越しにお金を持たない江戸っ子な人は別として、悪くない喩えだと思う。月の小遣い800円の小学生から300円を取ることより、もうちょっと稼いでいる社会人から300円を取る方がずっと容易だろうな。現実問題では個人差がありすぎて全然あてはまらないだろうけど、要するに
金額を意識するコスト>金額
であるようなケースでは、あたかもフリーが実現可能かもしれない。
他に自分がわりとあっさりお金を払っているケースを考えると、

辺りが思い浮かぶ。定期購読は便利に使っているからいいとして、問題はオートチャージ。あたかもフリーなのは、便利ではあるけれども消費者として怖ろしくもある。クレジットカードを考えた人は天才過ぎるな。社会人になるまでクレジットカードを使わないという選択は、今考えても間違ってなかったと思う。そうそう、今月中にKindleが届くと思うが、あのコンテンツもパッパと買ってしまいそうで正直ちょっと怖い。Stanza Desktopでweb上のコンテンツをAZWファイルに変換して転送したり、2,3ドルで買える古典を買ったりしてから、普通の本を買ってみようかなと考えている。
なんか完全に消費者視点になってしまった。まあ消費者として無形な物の流れをみたりしてから、自分の仕事との関わりについて考えてみてもいいだろう。