ほとんど無害

銀河ヒッチハイクガイド三部作の五作目。一応完結。

ほとんど無害 (河出文庫)

ほとんど無害 (河出文庫)

秋のニューヨークほどひどい場所もめずらしい。ドブネズミの大腸に住む生きものはそんなことはないと異を唱えるだろうが、ドブネズミの大腸に住む生きものはどんなことについても異を唱えたがるものだから、彼らの意見はまともに相手にする必要はないし、またすべきでもない。

どんなことについても異を唱えたがる人をまともに相手にする必要なし。

ロボットの表面にはさまざまな感覚突起がずらりと並んでいるが、タオルに包まれているとそれが使えないから身動きがとれず、ロボットはただ前後に身体を揺らすばかりだった。ふりむいて誰の仕業か確認することもできない。

この作品におけるタオルの位置づけが半端じゃない。かなりの重要アイテム。

ただひとつの『ガイド』を何十億回何百億回と売るのだよ。宇宙の多次元性を利用して、製造コストを引き下げるのだ。

一つのものを何回も売るという発想が面白い。

主要な産業はナウホワット・ヌマブタの皮の輸出だが、これはあまり盛んとは言えない。頭のまともな人間ならナウホワット・ヌマブタの皮など買おうと思わないからだ。輸出が細々とつづいているのは、銀河系にはつねに、頭のまともでない人間が一定数存在するからに過ぎない。

頭のまともでない人間が一定数存在するってさらっと書いてるのがいいな。
こういう淡々とした書き方が好き。

「ここはたしかに目当ての惑星だった」彼はまた言った。「惑星は合ってるんだけど、宇宙が違うんだ」

解き方は合ってるんだけど、前提条件が違う、みたいな感じ。
何気ない言葉だけどなかなか奥が深い。

粉々に踏み潰されるクッキーだって、どうして自分がこんな目に遭うのかわからないのだ。

踏み潰されるクッキーの気持ちになってみよう、という考え方は面白い。

「ビーチハウスは」老人は言った。「べつに海岸になくてもよい。もっとも、海岸にあるのが一番よいがな。人はみな」と彼は続けた。「なにかとなにかの境により集まるのを好むものだ」
「そうでしょうか」とアーサー。
「陸が水と接するところ。大地が空と接するところ。肉体が精神と接するところ。空間が時間と接するところ。人はそのいっぽうにおって、もういっぽうを眺めるのが好きなのだ」

境界が面白いというのはよくあるが、一方から他方を眺めるってただそれだけなのか。さすがビーチハウス。

アーサーはバートルダンに移住し、指趾の爪の切りくずと唾液をDNAバンクに売って得た金で、あの写真に写っていた村に部屋を買った。

SFをよく読んでいる人なら見慣れた場面かもしれないけど、個人的にはかなり新鮮だった。DNA解析が高速化されて安価になってくると、これまで以上にリアリティが出てきそう。

ヒッチハイカーたちは、タオルに突飛な改造を加えて喜んでいるものだ。凝った工具や便利グッズはおろか、コンピュータ機器すらこっそり布地に織り込んだりしている。だが、フォードは純粋主義者だった。タオルはタオルのまま、シンプルなのがいい。

やりすぎ。タオルがやはり重要。

「あたしに見えないものを見せて、いったいなんになんのよ」
「見えると言うのはあると言うのとはちがう。それをわかってもらうためです。また、見えないと言うのもないと言うのとはちがいます。たんに、五感が意識になにを伝えているかを言っているにすぎない」

よくわからないけど突然妙に奥が深い言葉が出てくるのがこの作品の特徴かもしれない。
そんな感じで断片的にしか伝えられないけど、面白かった。ラストも好き。
銀河ヒッチハイクガイド
http://d.hatena.ne.jp/pho/20070217/1171699516
宇宙の果てのレストラン
http://d.hatena.ne.jp/pho/20070501/1177969941
宇宙クリケット大戦争
http://d.hatena.ne.jp/pho/20090821/p1
さようなら、いままで魚をありがとう
http://d.hatena.ne.jp/pho/20100425/p1
映画版
http://d.hatena.ne.jp/pho/20100306/p2
この文庫、欲しい人がいたら5冊セットで差し上げます(行き先決まりました)。