若冲アナザーワールド

D-Pressureブログで紹介されていて気になったので、若冲アナザーワールド展を見に千葉市美術館に行ってきた。

若冲は狩野派の画法に通じた後、その画法を捨て、宋元画(特に濃彩の花鳥画)に学び、模写に励んだとしている。さらに、模写に飽いた若冲はその画法をも捨て、実物写生に移行したと伝える。実物写生への移行は、当時の本草学の流行にみられる実証主義的気運の高まりの影響も受けていると言われる。

伊藤若冲 - Wikipedia

こうして独自の手法を編み出していったんだな。織物にヒントを得てグリッドを作ってから描いたという樹花鳥獣図屏風がちょっと違った雰囲気を醸し出していて新鮮だった。絵から織物という流れから、再び絵に応用するという発想が面白い。
それから印象的だったのは、売茶翁。

禅に帰依し、妻を持たず、肉食を絶った若冲に大きな影響を与えた売茶翁は、黄檗宗の禅僧として名を馳(は)せながら、名誉を捨てて上洛(じょうらく)。煎茶をふるまい、日々の糧を得て暮らした。高い学徳を持ちながら、無欲恬淡(てんたん)な生き方を貫く売茶翁を慕う文化人は数知れず、若冲もその肖像画を描いた。

404エラー : 西日本新聞

この飄々とした態度が良い。これまで考えたことがなかったけど、禅宗の影響といわれればいろいろとしっくりきた。
圧倒的に鶏が多いが、他の動物、植物もいろいろ描いている。手馴れたもんで、さらさら書いている場面が想像できるような筆跡だった(実際にどうかはしらないけど)。ダイナミックでありながら細部は緻密で実に良く出来ている。それから展示された数多くの作品を見れば、積極的に新たな手法と試しているのがわかって興味深かった。

齢40となった宝暦5年(1755年)には、家督を3歳下の弟・白歳(宋巌)に譲り、名も「茂右衛門」と改め、はやばやと隠居する(当時、40歳は「初老」であった)。

伊藤若冲 - Wikipedia

この人が本格的に絵を描き始めたのってこの後みたいだから、never too lateであるなあと改めて感じた。never too lateといえばいつも思い出すのがこの言葉。

30歳までが、人生の第1期。
60歳までが、第2期でしょ。
で、いちばんたのしい第3期が
これから始まるんだよ、ってね‥‥。

ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめてのドラッカー

年齢を言い訳にしてる暇があったら、さっさとやっちゃえばいい。こんなに生き生きと絵を描き続けた人がいたんだから。

昭和46年(1971)に開催された東京国立博物館での特別展観以来、約40年ぶりに首都圏で開催される正真正銘の「若冲展」お見逃しなく!

「伊藤若冲 アナザーワールド」 | 弐代目・青い日記帳