住めば都ではない気がする

昨日シンガポールでの生活のとこを住めば都と評されて、非常に違和感があってそういうのじゃないんだとその場で言った。違和感を忘れてしまいそうなのでここに記録しておく。まず自分の理解として「住めば都」は、最初嫌だったが、徐々に慣れてきて居心地が良くなり離れがたくなる様を表す言葉だと解釈している。それが現在のシンガポールでの生活に当てはまるかというと、違うんじゃないかと思った。
1. 最初から嫌じゃなかった
2. 居心地がいいとか離れがたいとか感じていない
3. 最初から今までずっと普通に生活してるだけのこと
暑さや湿度には体が慣れたけど、2年半生活していて単にそういうもんだろと感じるようになっただけの話であり、別に居心地がいいとかそんなことは特にない。日常になっただけだし、別のところに行けば別の日常があるだけである。つまり馴染みのない場所に移ってくるのが嫌なものだろう、という先入観がまずおかしいし、慣れたら居心地が良くなって離れがたくなるものだろうという先入観も異様だと感じる。引っ越しが面倒くさいのはわからないでもないけれども、特に変化のない単調な生活が続くのはもっと嫌である。
そもそもどこがいいとか駄目とかいうのも変な話だ。これまで住んだ札幌、京都、東京、シンガポールについて、良い点と嫌な点を同じくらい並べられる気がする。3年に1回くらいスキーをしたくなるし、時々神社に行きたくなったりするし、東京ニートライフも悪くないし、今の生活もまずまずだ。まあ縁があるから住んでいるんだろうな。とりあえず今言えるのは、家を買うタイミングじゃないってことくらいだろうか。