2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する

各章をThe Economistの編集者、記者が担当して、様々な分野の今後の見通しを記した本である。どの章も一つ一つ丁寧に書いてあって、しかも自分がこれまで全然見ていなかった切り口を提示しているのが素晴らしい。

  • 未来を予測するために、まず過去を振り返る
  • 単純に過去を未来に当てはめるのではなく、そうした流れが途絶することを積極的に見越していく。
  • アジア―とりわけ中国―の隆盛を重視する姿勢
  • 暗い見通しが好きな未来予測産業の大多数とは対照的に、前向きな進展の構図を描き出そうとする

こんな手法により、未来を予測することから現在を理解するという考え方らしい。最初に人口動態という極めて的確な未来予想を持って来ているのも興味深い。人口は増えるが、人口が増えたからといって紛争が勃発するわけじゃないし、環境負荷がそれほど大きくなるわけでもないと淡々と述べているのは非常に面白い。

戦死者の数は、1940年代後期には10万人当たり20人だったが、2000年代後期には10万人当たり0.7人まで低下した。この数字は、平和な国々の自殺率を下回っている。

・・・

たとえ最貧諸国で人口が倍増したとしても、アメリカで人口が30%増えるより、気候変動に対する影響は少なくてすむだろう。言い換えれば、アメリカ人が一人生まれるのを阻止することは、アフリカ人一人の誕生を阻止することに比べて、環境に対する効果が20倍高いわけだ。

こんな感じでデータに基づいて一つ一つ書いてある。

出生率の低下は、ある世代のみが突出して多いという現象を生み出し、その世代が年齢層のどこにいるかで、その国の経済が変わってくる。この出っ張り世代が子どもから労働年齢に達したとき、その国は急成長する。これを「人口の配当」という。さらにその世代がリタイヤし、被扶養世代になると、その配当は負に変わる。

結局人口ボーナスに帰結するのか。人口ボーナスをうまく利用できるかどうかも鍵となる。それから女性の機会に関する第3章も非常に面白かった。

企業幹部の女性比率は、現在でも情けないほど低い。大手米国企業では15%、大手欧州企業では10%だ。日本にいたっては、2,3%である。ヨーロッパの数カ国はノルウェーを見習い、上場企業が取締役の40%を女性に割り当てるよう法制化した。アメリカでは、このようなアイデアは男性に対する逆差別だとして認められないだろう。割当制の批判者は、取締役会が名ばかりの非常勤取締役だらけになることを、もしくは、功績ではなく性別によって権力が配分されることを危惧する。しかし、割当制を導入しようとするまいと、今後数十年のあいだ、企業は競争を勝ち抜くために、最高の人材を惹きつけなければならず、この必要性は、取締役の男女比率を一対一に近づける要因となるはずだ。

結局のところ市場原理が適切なところに導いてくれるだろうというのは、とてもThe Economist的な気がした。淘汰されていくのならそれが一番よい。文化に関してはこんな記述がある。

中国と湾岸諸国は美術館の建設ラッシュに沸いている。湾岸産油国の独裁者たちは、グッゲンハイムやルーヴルなどの西洋の美術館を説き伏せ、砂ばかりの土地に姉妹館を誘致してきた。カタールを支配するアル=サーニ家は、過去25年間、売りに出された最上級のイスラム美術品を可能なかぎり買い集めた。

湾岸諸国の一部の賢明な独裁者は、石油と天然ガスの枯渇後を見据え、すでに手を打ちはじめているものの、彼らの富は盤石な状態とは程遠いのだ。

中国が美術品を買うのは、豊かになっているからだが、湾岸の産油国はすでに豊かだ。彼らが美術品を買うのは、金を使い果たしたあと、観光客の誘致で食べていくためなのである。

オイルダラーの次をきちんと見据えているのだな。

音楽、映画、文学などの娯楽は、実は優れてローカルなものである。通信の発達は世界の距離を縮小させるが、これらの娯楽は、引き続き文化に裏打ちされたローカルなものが各文化圏で優勢をたもつだろう。

奇を衒った予測ではなく、実に的を射た予測だと思う。宗教についてはこんな記述があった。

ここまでの話をまとめると、ほかの富裕諸国の市民と比べて、アメリカ人はより危険に近いところで生きているわけだ。誰かが助けてくれる見込みがないために、とりわけ神の助けが必要となるのである。

身も蓋もないけど的確な気がする。それにしても、この人たちアメリカになにか恨みでもあるんだろうか。読んでいて圧巻だったのは第9章の「自由」に関するくだり。

民主主義など忘れてしまえ。代わりに自由と正義を心配しろ。

こんな過激な発言から始まるこの章は非常に新鮮だった。

“民主主義”は紛らわしさと曖昧さを帯びており、失政を隠すために使われやすい。お祭り騒ぎの選挙をことさら強調して、”民主主義”の是認を得たと主張すれば、統治者は人々の目を欠陥からそらすことができる。民主主義はいともたやすく、公明正大な政治に必要な唯一の成分―総選挙ーだけに矮小化されてしまい、残った唯一の成分でさえでさえ、ほとんどの価値が失われる危険がある。

形だけ選挙をやればいいのかっていうと、そんなことはない。衆愚化した民主主義国家に対して鋭く一石を投じている。

政治生活において、重要性で選挙をはるかに上回るもう一つの柱は、専門用語で”シビル・ソサエティ”と呼ばれるものだが、ここでは、もっとわかりやすくてもっと正確な”公共心”という言葉を使いたい。選挙をしても何も変わらない場合、裁判に金と時間がかかるうえ判決が変更している場合、そして、マスコミが飼いならされている場合もしくは噛み付く力を失っている場合、非体制派を勝ち目のなさそうな戦いに赴かせるのは、公共心だ。世話好きとお節介焼きが集まって、圧力団体や慈善団体を作ることもあるだろうし、あきらめるのは自尊心が許さないからと、一匹狼の頑固な個人が立ち上がることもあるだろう。

公共心を持つ人々は、家族や友人や趣味という個人の殻に閉じこもることはできない。

トップダウンではなくボトムアップでしか成立しないから、国民一人一人が変わっていかないとダメだと国民に対しても行動を求める。

しかし、2050年までに、すべてを効率と個人の利益に換算して考える「経済第一主義」とこの「公共心」が大きな対立事項となり、民主主義を揺るがしていくことになる。

自分は個人が生き残ること、個人の利益を考える傾向があるので、もう一つの視点が提示されているこの章には非常に考えさせられた。もう一つ興味深い章として挙げられるのは14章のシュンペーター

シュンペーターにとっての資本主義とは、何よりも、”創造的破壊が放つ不断の強風"だった。この強風は、絶えることなく古いやりかたを吹き飛ばして、新しいやりかたと入れ替える。シュンペーターの考えによれば、起業家とは破壊的イノベーションの実践者であり、いち早く未来に目を向けて、その予想図を実現可能な事業へと変換する人々を指す。またシュンペーターは、歴史は加速していると主張した。古いやりかたが捨てられる速度は増していく。変化は一貫性を失っていく。実業界の人々は自分の行動基盤が消えたことに繰り返し気づかされるだろう、と。

これを読んで、The Economistシュンペーターというコラムを始めたくなった理由がわかった気がする。これほどまでに今の時代にふさわしい人はなかなかいない。

創造的破壊は、壊すよりつくることのほうがはるかに多い。例えば、電子書籍は、紙の本に取って代わるのではなく、紙の本に足りない部分を補うものだ。かつてシュンペーターは、こう述べている。

『女王エリザベス[一世]は絹の靴下を持っていた。一般に資本家の功績というのは、女王にもっと絹の靴下を供給することではなく、それを女子工員たちの手が届く場所に―着実に労力を減らした見返りとしてー持ち込んだことにある。資本家のやりかたは、偶然ではなく機会の恩恵によって、少しずつ大衆の生活の水準を引き上げる。』

2050年までには、これまでになく大勢の人々が、姿を変えた絹の靴下、つまり、画面に触れるだけで世界中の本が届くタブレット型コンピューターや、今は致命的とされる病気を抑える奇跡の薬品、そして、これまで考えもつかなかったさまざまな驚異のテクノロジーを入手しているだろう。創造的破壊の嵐は、われわれをよりよい場所へと吹き飛ばそうとしているのだ。

昔の王侯貴族がどれほどお金を積んでも手に入らなかったものが、庶民に行き渡る。これがテクノロジーに関わる醍醐味のような気がする。もちろん科学に関する章もある。

科学的にいえば、未来は生物学にある。

こんな言葉から始まったので面食らった。

欧米諸国が苦労してやっと獲得した、科学の繁栄につながるリベラルで知的な環境を新興国でも実現できるなら、その国は科学の面ばかりか社会的、政治的な面でも繁栄するだろう。もし実現しないなら、あるいはできないなら、彼らの行く末には日本と同じ運命が待ち受ける。つまり、ぬるま湯のような暮らしの中でぼんやり日を過ごし、真に新しいことには気持ちが向かなくなるのだ。日本のこの現状に鑑みれば、科学者たちが民主的で序列にとらわれないインド(伝統的に数学に強いもう一つの国)のほうが、永遠のライバルである権威主義的な中国より前途有望だといえるだろう。

なかなか手厳しい。

最後の第20章で、「予言はなぜ当たらないのか」と締めくくるという実に抜かりのなさ。どの章も非常に読み応えがあり、実に重い一冊である。未来を予測することにより、現在に対する理解を深めるということがよくわかった。

 

2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する

2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する