ノウアスフィアの開墾

伽藍とバザールに続いて書かれた論考である。前作よりも一歩進めた議論をしていて、個人的にこちらの方が得られるものが多かった気がする。知的財産を土地所有に喩えるのは今でこそありふれた手法だが、よく掘り下げられている。

プラグマティストたちにとって、GPL はそれ自体が目的なんじゃなくて、ツールとして重要だ。その主な価値は「秘匿」に対する武器としてのものじゃない。むしろソフトの共有とバザール様式の開発コミュニティ成長を奨励するためのツールとして大事になる。プラグマティストは、商業主義を嫌うよりはいいツールやおもちゃを手に入れるほうを重視するし、商業製品を使う場合でも、それが高品質なら別にイデオロギー上の不快感は感じない。同時に、オープンソース界での経験でおぼえた技術的な品質は、閉鎖的なソフトではほとんど実現困難なほど高い。

この部分を読んで自分が3年前にわかったと思ったことが
http://d.hatena.ne.jp/pho/20091028/p1
すべてこの論考に書かれていると感じた。

  • プロジェクトの分岐に対してはすごく強い社会的な圧力がある。どうしてもこれが必要なんだという請願のもとで、世間に対してもその行為を正当化する訴えがたくさん行われ、そしてプロジェクトの名前も変えない限り、それは起こらない。
  • プロジェクトへの変更を、モデレータたちの協力なしに行うといい顔をされない。ただし、基本的に些末な移植上のフィックスなどはのぞく。
  • ある人の名前をプロジェクトの歴史やクレジットや管理者リストからのぞくのは、当人のはっきりした合意なしには絶対に行われない。

この書いている人が実際にオープンソースプロジェクトをやっている人だから非常に具体的で説得力がある。

ハッカーたちが暗に主張している所有理論は、英米慣習法における土地所有権の理論とほとんどまったく同じなんだ!

ここでタイトルの開墾という言葉につながる。

未開の地(フロンティア)には、これまで所有者のいなかった土地がある。そこでは人は、開墾(homesteading)することで所有権を獲得できる。つまり、自分の労働を所有されていない土地に混ぜ込み、囲いをつけて自分の地権を守ることによって。

未開の地を開墾することによって自分の土地となる。墾田永年私財法やホームステッド法がこれに相当するのかもしれない。

この論文の題名に出てくる「ノウアスフィア(noosphere)」というのはアイデア(観念)の領域であり、あらゆる可能な思考の空間だ。ハッカーの所有権慣習に暗黙に含まれているのは、ノウアスフィアの部分集合の一つであるすべてのプログラムを包含する空間での、所有権に関するロック理論なんだ。だからこの論文は「ノウアスフィアの開墾」と名付けた。新しいオープンソース・プロジェクトの創始者がみんなやっているのがそれだからだ。

ここで興味深いと思ったのは、開墾の対象がプロジェクトである点。アイデア(観念)であれば、無形のいろいろなモノが対象になりそうなものだが、プロジェクト自体に着目している。

ロック的な構造は、オープソースのハッカーたちがその慣習をまもるのは、なにか自分たちの努力からの、一種の期待収益を守ろうとしているからだろうと強く示唆している。この収益は、プロジェクト開墾の努力や「所有権の連鎖」を記録したバージョン履歴を維持するコスト、そして捨て子になったプロジェクトを占拠してするまでに公的な通達を出してしばらく待つという時間コス トよりもずっと大きなものでなくてはならない。

ここまで読んでようやく気がついた。この著者は、なぜバザール方式だとうまく行くのか、オープンソースプロジェクトがなぜ機能しているのか、という点に着目しているから、自分とは問題意識が違うのだと。これはこれでコミュニティ運営のための重要な視点を与えてくれるものだけど、別に「開墾」するのはプロジェクトに限った話じゃない。そう考えるともう一歩自分自身に引きつけて、「ノウアスフィアの開墾」を考えることができそうな気がした。オープンとクローズドの間の落とし所を考える上で、頭を整理するのに役立ちそうだ。
http://cruel.org/freeware/noosphere.html