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放浪の天才数学者エルデシュ

放浪の天才数学者エルデシュ

放浪の天才数学者エルデシュ

「なんだってSFはわしに風邪をひかせることにしたんだ。理解できん」(SFは至上(スプリーム)ファシスト、天上にいるナンバーワンのやつ―エルデシュのメガネを隠したり、ハンガリーのパスポートを盗んだり、もっと悪いことに、ありとあらゆる興味深い数学の問題の明解な証明を独り占めしていて、エルデシュをいつも苦しめる神のことだ)。

こんな感じで序盤から面白い。数学以外の世界ではポール・エルデシュの面倒を見ていたロン・グラハムも興味深い。

数学とアクロバットの第一人者であるばかりか、グラハムは中国語を学び、ピアノをひく時間さえひねり出して、その両方ともものにしてしまった。妻も同僚たちも
彼がどうやってそんな暇を作りだしたのか、理解できないでいる。「簡単さ。どの週にも168時間あるんだぜ」とグラハム。

当たり前のことだけど確かに168時間ある。忘れがちなこと。

わしには神が存在するかどうかを論じる資格はない。どちらかといえば、かれの存在を疑っているがね。それにもかかわらず、わしはSFが超限の『ザ・ブック』を持っているといつも言っている。ザ・ブックにはすべての数学定理の最高の証明が書かれているんだ。明解で完璧な証明がね」
エルデシュが同僚の証明に捧げる最大の賛辞は「ザ・ブックからそのまま出てきたようだ」だった。

ザ・ブックを求めて、なんか楽しそうだ。

ポールは現時点で相手が持つ実力よりもほんの少しだけ高度な問題を出題できる、独特な能力を持っていた。超難解な問題を出すのはやさしいが、かれは相手がこの問題を解けば、それまでよりももっとよく数学がわかり、さらに大きく扉を開けるようになるというような問題を出した。ちょうど登山と同じで、もう一本ハーケンを打てば山頂へもう一歩近づけるようなものだ」

エルデシュがこれほどまでに大勢の人々と数学を愉しむことができた理由の一端はここにありそうだ。

「応用が目的ではないんだ。ぼくは数学をとても包括的に見ていてね。数学は究極の構造と秩序を表している。そしてぼくにとって数学をすることはコントロールに結びつく。ジャグラーは状況をコントロールすることを望むんだ。ジャグリング界にはよく言われる台詞がある。『やっかいなのは、ボールはきみが放ったところへ飛ぶということだ』。つまりきみ次第なんだよ。月の満ち欠けやだれか他の人のせいじゃないんだ。チェスみたいなものだ。なにもかもオープンになっている。数学は本当にそこにあって、きみに見つけてもらうのを待っている。」

これはグラハムの言葉。プログラミングにも通じるところがあるな。自分で世界を作る感覚。

「専門の数学者にとって、数学者たちについて書くというのはさびしい経験である」「数学者の役割はなにかをすること、新しい定理を証明し、数学に新しいものを付け加えることであり、自分や他の数学者たちがしてきたことについて語ることではない」まちがいを犯してはならないとハーディは警告する。

なかなか重い一言。数学者ではないけれど、自分の役割は何か新しいものを付け加えることであるとも言える。

「互いにライプニッツをよく勉強していたので、わしはかれによくこう言ったものだ。『きみが数学者になったのはみんながきみを学ぶためであって、きみがライプニッツを学ぶためではない』」

これはエルデシュゲーデルに言った言葉。大切なのは何か新しいものをアウトプットすることであり、インプットに終始していてはいけないんだな。

数学の研究者がどれほど意図的に世界を無視しようと、かれらは世界を理解する最善の道具を執拗に作りつづけている。ギリシャ人は楕円という曲線をとりたてて目的もないのに考察することに決め、その2000年後、天文学者たちはそれが太陽の周囲を回る惑星の軌道を意味していることを知る。

無視してても作ってしまうというのは面白い。確かにそんな気がする。そんなところも数学の魅力なのかもしれない。

「ぼけの最初の兆候は、自分が発見した定理を忘れることだ。二番目はズボンのジッパーを上げるのを忘れること、三番目は下げるのを忘れることだ」

これは面白かった。実に分かりやすい。あとはラマヌジャンのエピソードが印象的だった。そんな感じでエルデシュという個性豊かな数学者を中心に、いろいろな数学者のエピソードが出てくる楽しい本である。本質的なことは何なのか、自分にとって大切な事は何なのかについて改めて考えさせられた。