生成AIとどう付き合えばいいのか

内部的に使うにはあまり気にしなくてもいいけど、外向けに使うのであれば著作権とか色々面倒くさい話があって、今のところやれるだけ対策をしていざ訴訟になったらAdobeとかMicrosoftとか大企業に引き受けてもらえば良さそうというところに落ち着いている気がする(だから業務用では誰もChatGPTを使ってなくてAzure OpenAI Serviceが大人気だったり、Adobe Fireflyが注目されてるみたいな)。

それはそれとして、ChatGPTとか便利そうだけど実際のところしっくりこないところがあって、これはまだ使い慣れていないんだろうなあと感じているところである。そろそろちゃんと考えてみようと思って、今月出たばかりのこの本を買って、半分くらい読んだ。

著者のところてん氏は、この数年様々な怪文書を拝見していて、この人賢いし言語化が上手いなあと思っていたので、有象無象のChatGPT本の中でもこの本は間違いないだろうと思っている。

まずちょっとびっくりするのが「気分よく、今日という一日を始めたいなあ。」という雑な質問でも指示ですらないつぶやきをChatGPTに放り込んで反応を見ているところである。ここまでガッツリハードルを下げるところが素晴らしい。

検索してわかることはChatGPTに尋ねるなということかと思う。質問をするのではなく、相談をする相手であって、前提知識をちゃんと伝えて対話をすることが大事。

ChatGPTというのは、とても物知りで、忍耐強く、こちらに寄り添ってくれて、ちょっとポンコツなところがあるけれど、言葉を使う仕事に関してはめちゃくちゃ優秀で、けれど現実の肉体を持っていない、絶対に主体的な行動を取らない究極の指示待ち体質な−話し相手です。

この「話し相手」というのがポイントなのだろう。

GPT-3の時にはタスクの説明と例示を行います、最後に一行だけ目的とする言葉を書くというインターフェースだったという背景の解説もありがたい。ChatGPTの根本は「次の言葉を予測するAI」であって、何かを回答を出すものではないということがよくわかる。連想ゲームをしているだけなのかもしれない。ChatGPTがさらにポンコツになったら、言葉の上っ面だけ捉えてゴミみたいなダジャレを垂れ流す中年のおっさんみたいになるのかなあと想像して、それはちょっとという気分になった。

今後、ホワイトカラーの仕事はAIにどんどん取って代わられると思います。しかしAIが仕事を奪うのではないのです。AIを使いこなす人間が仕事を奪うのです。AIを脅威と感じるのではなく、AIの使い方を身につけた人間に脅威を感じてください。

これはよく言われる話だけど、全くその通りだと思う。エシカルデータのところは今の仕事のど真ん中のところなので割愛。

さて、本命の具体的な使い方であるがこのコツがわかりやすかった。

コツは、ChatGPTを「何も知らない新規の外注先」「入社したばかりの新入社員」だと考えてみることです。慣れ親しんだ同僚相手なら省略できるような様々な情報をこの人たちは持っておらず、あなたの常識は通用しません。

コンテキストを共有していない相手とのコミュニケーションと考えれば良さそう。

愚者は知識を問い、賢者は議論をする

これは何度も繰り返し意識すべきところかと思う。相談相手なので何度も対話しながら自分が答えにたどり着けば良いのであって、答えを出してもらうものではない。

ChatGPTを高く評価している人達は人達は何を行っているかというと、「知識の質問」ではなく「課題の相談」に使っているのです。ChatGPTのもつ高い演繹能力、高いアイディア提示能力、高い抽象化能力を元に、知的生産活動における議論のパートナーとして活用しているのです。ChatGPTを、正しい知識を返す専門家として利用するのではなく、自分専用で何時間でも粘り強く議論してくれるコンサルタントとして使うべきなのです。

具体的な使い方としては、質問をするのではなく質問をさせるとか、箇条書きから文章をリライトしてもらうとか、録音データの文章を整えてもらうとかに使うのが良さそう。

この度私は新卒研修を終えて、新しく法人営業部に配属されました。そこで使うための自己紹介文を用意したいです。自己紹介文を作るために必要な要素について、私に質問してください。

みたいな感じで質問をさせて、対話しながら完成させていく使い方が良さそうだ。いい感じにやっておいて、みたいな雑な丸投げを受け止めてくれる魔法のツールではなく、対話をしながらコンテキストを言語化して共有していくのが基本的な使い方なのだと思う。

多くの人が言及している言葉は学習データが多くうまく学習されるが、ほとんど言及されない個別事象の言葉は、学習データが少ないためうまく学習できない

抽象度の高い概念はうまく表現できるが、抽象度の低い個別具体の事例はうまく表現できない

対話やプラグインを通じて、適切な形でコンテキストを共有するという作業が不可欠ということはようやくわかってきた。残りの半分も読むのが楽しみである。