政策論とポジティブ・コミュニケーション

http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2004/07/post_20.html

「正しい意見」ごときで、望ましい政策が実現し、世の中が改善されることなど絶対にないのです。
 望ましい政策を実現して、本当に世の中を改善したいと心から願うのであれば、「正しい意見」を吐くだけではなくて、硬軟取り混ぜて多くの人を説得しながらサポーターを増やし、異なる意見の方にも「これくらいなら仕方ないかな」と思わせて反対しないようにお願いし、大きな世論を形成しなければなりません。その上で、法律を作る政治家や法律を運用する行政の方々の行動原理を理解し、彼らが協力してくれるような仕掛けを作って、具体的に達成できるような政策パッケージを用意する必要があります。そこまで準備できたらはじめて、世論をバックに政治家や行政の方々にお願いして、一つ一つ着実に歩を進めていくというステップに入れます.

この文章のわかりやすさはさすがである。
他人を説得する事に長けているのだろう。
論点が非常にしっかりしていて、見習うべき点が多い。


「雨後のたけのこ」とよく形容されるように
近頃blogサービスは乱立し、数多くの意見があふれている
日常の与太話がそのままあふれ出たようなもので
よい意見も無意味なものも増えつづけている。
どちらにせよ行動の伴わない意見は無意味であり
世の中は評論家を必要としていないわけで
時代の一歩先ではなく半歩先の地に足がついた
主張と実際の行動が大切である。
スティーブジョッブズのように一歩先なのに地に足を
つけてしまう能力があればその方がいいが
たいていの場合そううまくはいかない。


今日のゴーログの文章で一つ違和感があった。
誰も自分の文章を「政策論」だなんて思ってないんじゃないか。
世の中を本当に改善したいと思っている人なんて
ほとんどいないんじゃないかと思う。
本当に改善したかったらとっくに行動しているはずだから。
逆にいえば実際に行動している人しか本当に
改善したいと思っていないのではないかということ。
いろいろ不満はあるけど、わざわざ行動するのも疲れるし
黙っていれば現状維持されるか、少し悪くなるくらいだから、
ストレス解消にblogに愚痴でも書くか
とかいう程度なんじゃないかと勝手に推測する。
別にそれは悪い事じゃないと思うし
そういう考え方もとりわけ非難されるものではない。
誰も何も行動せず、あまり生産性のない事を
していてもあまりおもしろくないし、いい事もないが
大多数がそれを望んでいるのならばそれでいいと思う。
自分がどうしても容認できない点だけしっかりマークしておけば。