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ステルス戦闘機-スカンク・ワークスの秘密

読書

数年前に師匠が非常に面白そうに読んでいた本。もう絶版なのだが、たまたま手に入ったので読んでみた。本当に面白い本っていうのは、誰かに勧めたりせずにただひたすら楽しむものなんだろうな。ここに感想を書くので、それを見て興味を持った人は読むといい。

この本にはステルス戦闘機のことがもちろん書いてあるが、それよりも開発したロッキード社のスカンクワークスについて詳しく書いてある。そしてスカンクワークスが開発した別の戦闘機の話もあって盛りだくさんだ。ソ連との冷戦下であり、アメリカ国内でもCIAと空軍がしのぎを削るなか、少ない予算で頭一つ二つ飛び抜けた凄まじいものを作り上げるスカンクワークス。

スカンクワークスは、50人ほどのベテラン設計技術社と100人ほどの機械工からなる、小さくとも強力なチームだった。われわれに課せられた仕事は、最新技術を駆使して、極秘の用途のための少数の飛行機をつくることだった。

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自由主義世界における研究開発活動に関して、われわれは確固たる評価を得ていた。このことは、アメリカ初のジェット戦闘機P-80、世界初の超音速ジェット戦闘機F-104、偵察機U-2、世界初の超音速偵察機SR-71「ブラックバード」(飛行速度は音速の三倍)、そして湾岸戦争時、CNNでもおなじみとなった"砂漠の嵐"(サンダーストーム)作戦でバグダッドにピンポイント爆撃を展開したステルス戦術戦闘機F-117Aなどの名前を耳にするだけで、誰もがうなずくはずである。

この本では、著者のベン・リッチが所長として関わったステルス戦闘機に始まり、その後、若い頃に関わったU-2、ブラックバード開発に関する話が出てくる。実際に関わった人が書いているので、非常にリアルだ。

カフェイン抜きのインスタントコーヒーを入れたコップと一緒に彼が渡してくれた贈り物は、最新のレーダー・システムでさえ発見が困難な攻撃機を可能にし、世界で最も厳重に防御された目標をも攻撃できるというアイディアだった。

この貴重の技術資料は、ソ連の著名なレーダー専門家によって書かれ、9年も前にモスクワで出版されたもので、デニスはこれを分厚い文献集の中から見つけ出してきた。タイトルは「回折理論による鋭角面の電波解析」。どういうわけか、まったく無視されていたが、つい最近になって空軍外国資料部によりロシア語から翻訳されたものだった。著者はモスクワ工科大学のピヨートル・ユフィムツェフ。

デニスが言うのには、この論文は難解で退屈なため、暇人にしか読みこなせないとのこと。彼はこの40ページの文献の最後の部分から、金鉱を掘り当てたのである。

まさかステルス技術がロシア発祥だったとは。

「ユフィムツェフの示唆によって、与えられた計上に対し、レーダーは反射率を正確に計算するコンピュータプログラムの作成が可能になる。飛行機を何千という三角形に分解し、おのおののレーダー波反射率を計算して足しあわせれば、全体のレーダー波反射率となる。」

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平面を組み合わせた多面体だけで飛行機を設計したのは、スカンクワークスが初めてだろう。頭の固い空力技術者がなんと言おうと気にしないことに決めていた。

空気抵抗を減らすために流線型であることが当たり前だった当時、多面体のみで構成する飛行機を実現してしまう実行力がすごい。

スカンクワークスでは、実用的な設計を基本とし、できるだけ既存のパーツを使い、時間を節約することにしていた。"絶望のダイヤモンド"の主翼を設計を担当したスタッフは、これまでにスカンクワークスで27の主翼を設計していた。彼らはみなケリー・ジョンソンに鍛えられた技術者で、「美しいものだけが空を飛ぶことができる」という彼の信条を信じていた。"絶望のダイヤモンド"が美しいなどと言う人はいなかった。空を飛ぶものとしては、むしろおぞましい形だった。

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しかし、デニスがステルス技術について1,2時間説明すると、彼はぐったりと肩を落とし、長い身体を椅子に埋め、長い溜め息をつきながら、モゴモゴとした口調で言った。

「わかったよ、ベン、降参だ。もしこの若いのが、レーダー波の反射に関して、平面こそ革命的だと言うんなら、そいつがどんな不格好になろうともかまわん。とにかく、そのくそったれを飛ばしてやろうじゃないか」

根気よく説明して協力者になってもらうことの大切さがよくわかる。

初飛行の72時間前になって、エンジン作動試験で尾部が極端にオーバーヒート状態になったため、ボブ・マーフィーたちはエンジンを取り外し、即席で断熱材を入れることにした。彼らは6フィートの鋼鉄製の工具箱に目を付けると、「鉄には変わりないさ」と言いながら、それを切って、機体とエンジンの間に断熱板として挟み込んだ。マーフィー曰く、

「工具箱のつけは、ベンにまわしておけ」

これで一件落着。スカンクワークスにしかできない芸当だった。

柔軟というべきか、プロフェッショナルとはこういことなんだろうな。

主任テストパイロットのビル・パークは、いまだかつてこんなに不細工な飛行機は見たことがないとこぼしていた。彼はこの奇っ怪な飛行機を飛ばすのに、危険手当を倍にするよう要求した。われわれは25000ドルのボーナスをはずむことにした。

ビルにとって、とりわけ緊急脱出を要する場合にはやっかいなしろものになるだろう三角形の操縦室には、ビルのヘルメットからの電波の反射を防ぐため、特殊コーティングしたガラスが用いられていた。この飛行機の卓越した点は、レーダー画面上では、飛行機自体よりもビルのヘルメットのほうが100倍もよく映るという点だった。

鋭い角度の前縁と、極端に過度の多い形状では、飛行時にあちこちに空気の渦ができる。それこそ空飛ぶボルテックスジェネレータ(渦巻き発生機)だ。これをまともに飛ばすためには、フライ・バイ・ワイヤー・システムが完璧に作動する必要があった。さもないと、たちまち操縦不能に陥ってしまう。

飛行機自体よりもヘルメットのほうが大きくレーダーに映ってしまうというのが非常に面白い。それからレーダー波反射率のみを考慮しているため、全然飛ぶような形ではないのもすごい。でもそのくらいの発想の転換が必要なんだと思った。

「私がステルスの重要性を大統領に正確に説明するためには、どう言えばいいだろうか」

「二つあります。まず、航空戦の様相が一変するということ。第二に、ソ連が大金を投じて営々と築いてきた地対空防衛システムがまったく役に立たなくなるということ。いつでも、彼らの上空を意のままに飛べるのですよ」

「阻止するためには、それを見つけなければならないわけだが、その手段がなくなったということだな」

私は自信をもって答えた。

「そのとおりです」

Game Changerというのはまさにこういうもののことを言うのだと思った。

「ステルス性が消えちまったんだよ」

電話口で大声で叫んだ彼の説明によると、その朝、ケン・ダイソンが「ハブ・ブルー」をレーダー試験場で飛ばしたところ、バカげたクリスマスツリーのようにレーダー上に明るく映ったというのである。

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第一報があってから約一時間後、キースから再び電話があった。問題解決。3本のねじがしっかりしまっていなかったためだとわかった。頭が本の8分の1インチ(約3ミリ)ほど出ていただけで、レーダー画面には納屋のドアほどの大きさに映ってしまうのだ。

ここまでの完璧さが要求されるとは知らなかった。

もちろん、機首から突き出したピトー管にもステルス性が要求された。着氷させないためには熱すればいいわけだが、電導性をもたせると、レーダーや赤外線を使った探知機に対し、逆にアンテナのような働きをしてしまう。最終的に、われわれは人間の髪の毛のように細い電導性のない電熱線を開発した。

制約により新しい技術が出てきてすごい。

ステルス戦闘機が運用を開始して一年後、脅威分析を担当していた二人の天才的コンピュータ技師がやってきて、魅力的な提案をした。

「ステルス戦闘機を自動化し、離陸から、攻撃、着陸まで自動でやらせたらどうでしょう。全ての任務をコンピュータでデータ化し、これをカセットに記録して、機上コンピュータにロードしてやる。そうすれば、目標地まで飛んでいって、また帰ってくるまで、すべてをコンピュータにまかせることができますよ」

驚いたことに、彼らはこの自動プログラムをたった120日、250万ドルの費用で作り上げてしまった。それは極めて優秀だったため、空軍はこれを買い上げ、全ての攻撃機に装備した。

こういうのを読むと、技術的に無人機を飛ばすことはできたんだなと感じる。ドローンも格段に安くなったというだけで、わりと古い技術なんだろう。

もっとうれしかったのは、ステルス機が期待通りの活躍をしたことで、この戦争ではもっとも危険な任務を担当したにもかかわらず、敵の砲火にやられたのは一機もなかった。ホイットリー大佐は、最初の一ヶ月の空爆の被害を5-20%と見積もっていた。被害ゼロと予想したものは誰もいなかった。

奇抜な着想から、様々な人を巻き込んで実際に動くものを作り、それを実戦に投入して成功をおさめるまでのプロセスが詳細に書いてあり非常に面白い。この他、U-2の開発に参加する際にはこんなやりとりがある。

「お前には仕事に必要なことだけ話す。それ以上でも以下でもない。ソ連の戦闘機やミサイルより少なくとも15000フィート高く飛べる特殊な飛行機をつくっている。ソ連上空を、できれば発見されないで、横断飛行する。アイクのためのきれいな絵はがきをお土産にな」

私は思わず息をのんだ。

「これが要求仕様だ。ポラロイドカメラの発明したエドウィン・ランドが、世界最高の解像力をもったカメラを開発することになっている。36インチの工学レンズはハーバード天文台のジム・ベーカーに作らせる。車のナンバープレートだって読めるやつだ。イーストマン・コダックは特別に薄いフィルムを開発する。一巻きが3600フィートだから、なくなる心配はない」

こんなドリームチームみたいなのにわくわくしないわけがない。これにも増してすごいのが「ブラックバード」。

ケリーは次のように指示した。

「飛行高度を9万フィートに上げ、マッハ3で飛ぶようにする。航続距離は4000マイルより高く、より速く飛べば、向こうも見つけにくくなる。したがって、撃墜されにくくなる」

CIAのビッセルがなにを考えていたかは知らないが、スカンクワークスの一員としての私には、ケリーのこのアイディアは、とても信じがたいものだった。彼はU-2の4倍も速く、5マイルも高く飛ぶ飛行機を作ろうというのだ。U-2ですら高々度のチャンピオンだというのに。

これが実際に実現できて、しかもソニックブーム(飛行機が超音速で飛ぶときに発生する衝撃波)という問題が起こってしまうのが興味深い。そんなスカンクワークス。名前の由来が面白い。

ケリーの指揮のもと、スカンクワークスが始まったのは1943年、ヨーロッパ戦線に初のドイツ製ジェット機が出現したころだった。

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ケリーはこのプロジェクトのため、選り抜きの設計者23人と30人の職工を本工場から借り出した。彼らには、戦時のきびしい秘密保持が求められたが、ロッキード社の工場では24時間体制で戦闘機と爆撃機を生産しており、適当な場所はどこにもなかった。仕方なく、ケリーは大型テントを借りて、有害なプラスティック工場の隣にこれを設置した。そこなら、悪臭のため、人々の好奇心をかきたてる心配も少なかった。

ケリーがサーカス小屋を建てたころ、アル・キャップの『インディアン・ジョー』という漫画がはやっていた。インディアン・ジョーは古びた靴と死んだスカンクを大鍋でいぶして「キッカブー印のジュース」なるものをつくるのだが、その蒸留所を「スコンクワークス(Skonk Works)」と呼んでいた。プラスティック工場からの悪臭に満ちていたケリーのテントはそれにそっくりで、防毒マスクをかぶってあらわれた技術者もいた。ある日、アービン・カルバーにかかってきた電話に対し、「はい、こちら、スコンクワークス」と応答した。これを聞いたケリーは、烈火のごとく怒り、怒鳴りつけた。

「カルバー、お前はクビだ。このテントから出て行け!」

ケリーが部下のクビを切るのに理由などいらなかった。しかし、カルバーは次の日も平然と出勤し、ケリーもそれ以上何も言わなかった。

それ以後、電話がかかってくると、ケリーのいないときはみんなが「こちら、スコンクワークス」と応対するようになり、本工場のほうでもそう呼ぶようになった。

その後商標の問題が発生し、スカンクワークス(Skunk Works)に変更したという。

 

そんな感じで、冷戦時の雰囲気がわかるし、技術力とチームワークで凄いものをつくりあげるストーリーが非常に読んでいてとても楽しい本だった。

ステルス戦闘機―スカンク・ワークスの秘密

ステルス戦闘機―スカンク・ワークスの秘密