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チューリングの大聖堂

読書

エコノミストで紹介されていて気になった本。

http://www.economist.com/node/21549914

プリンストン高等研究所の歴史、そこで行われたコンピュータへの取り組みが非常に詳しく書いてある。タイトルにチューリングとあるが、主人公はフォン・ノイマンのような気がする。ゲーデル、原爆、気象予報、テレビ、真空管、これらがコンピュータ開発初期に果たした役割がよくわかる。著者は科学史家ジョージ・ダイソンフリーマン・ダイソンの息子なのでプリンストンの高等研究所は幼い頃の遊び場みたいなもの。まさにこのような本を書くのにうってつけの人物と言える。

人間の発明品のうち、最も破壊的なものと最も建設的なものがまったく同時に登場したのは偶然ではなかった。コンピュータのおかげで発明することができた兵器の破壊的な力からわれわれを守ることができるのは、コンピュータの総合的な知性以外にないだろう。

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3つの技術革命が1953年に始まった。熱核兵器、プログラム内蔵型コンピュータ、そして、生命体が自らの命令をDNAの鎖にどのように保存するかの解明、この3つである。

こういうふうに考えたことはなかったが、すごい時代だったんだな。

ヴェブレンは、人間の計算者たちのチームを作って自分の指揮下に置き、射程試験の結果を処理するためのアルゴリズムを一段階ずつ実施できるように形式化された計算シートをガリ版で作って導入した。最初の40発を撃つのに丸一ヶ月かかったが、五月までには、彼の弾道解析チームは毎日40発を撃つことができるようになり、人間の計算者のチームの処理能力も向上しつつあった。

人間計算機。CPUが人間の脳というだけで今と基本的に一緒なのかもしれない。

彼は、当座の目標を三つ定めた。将来性のある若手数学者たちを対象とする博士研究員研究奨励制度に出資する。現在教授の地位にある者たちを、学生を教える過重な負担から解放する。数学と他の分野との交流を促進する。この三つだ。

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ヘンリー・ファインのためにすることならば、いくら良くても良すぎることはない」と確信していたジョーンズは、ヴェブレンに、「数学者なら誰もが立ち去りがたく思うような」建物を作ってくれと指示した。

プリンストン高等研究所がこんな思想の下に生まれたとは知らなかった。

「科学上の発見で、金銭面で、あるいは社会の仕組みを利するように、社会全体に役立つところまで最終的に到達できたのは、ファラデーやクラーク・マクスウェルのように、自分の研究が金銭的な利益に繋がるかもしれないなどとは考えたこともない人間によってなされたものでした」

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教授たちを集めてグループを作る際に、忘れないように心掛けなければならないのは、すべてのメンバーが同時に年寄りになってしまわないようにすることです。

こういう視点で考えてみたことはないけれども、確かに長期的に考えれば非常に重要なこと。この辺りからフォン・ノイマンの話が始まる。

ハンガリー人たちは、1100年にわたって不可能に立ち向かってきた。利点と言えば、戦略的に有利な場所に位置していることぐらいだったが、その利点にしても、おかげでローマ帝国オスマン帝国、ロシア、神聖ローマ帝国ハプスブルク家、ナポレオン政権のフランス、ナチス・ドイツ、そしてソビエト連邦に次々と占領されることになったのだった。

ハンガリーに行きたくなってくる単純な自分。

「ある日、一通の電報を受け取った。そのころわたしがベルリン工科大学からもらっていた給料の八倍の報酬で、客員教授になってくれないかという内容だった」とウィグナーは回想する。「送信のエラーでわたしのところに届いてしまったのだろうと思った。ところが、ジョン・フォン・ノイマンも同じ電報を受け取ったという。では本当の話なのだろう、と考え、二人とも承知することにした」。

8倍というのが興味深い。それだけの価値を認めていたということなんだろう。

「彼がナチスに対して抱いていた憎しみと、強い嫌悪は、本質的に尽きることのないものでした」

フォン・ノイマンに限らず、ナチスの迫害を受けた東ヨーロッパの天才たちがこの戦争においてアメリカにした貢献はきっと計り知れない。

数学は、「実世界でなされている努力や取り組まれている問題とある程度接していることによって」栄養をもらえるときにこそ、最もよく成長すると信じていたフォン・ノイマンは、兵器設計者たちの偉大な友人となった。

フォン・ノイマンのこの応用する力、つなげていく力が心底凄まじかった。天才ばかり出てくる本だけど、飛び抜けている。

プリンストン大学の大学院生(かつアマチュアの金庫破り)で、禁じられている困難なことなら何でもやりたがるリチャード・ファインマンが、機械一式を木箱から出して稼働させることに成功した。

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そんな折にフォン・ノイマンから面白いことを教わった。『自分が存在している世界に対して、責任を負う必要はない』というアドバイスだ。このアドバイスのおかげで、わたしはひじょうに強い社会的無責任感というものを持つようになった。それ以来わたしは、幸せきわまりない男となった。

こういう雲の上のやりとりを手軽に読めるのが読書のいいところ。自分が存在している世界に対して責任を負うなんて考えたこともなかったので、真面目な人なんだなと思った。

「われわれが今つくっているのは怪物で、それは歴史を変える力を持っているんだ、歴史と呼べるものがあとに残るとしての話だが。しかし、やり通さないわけにはいかない、軍事的な理由だけにしてもね。だが、科学者の立場からしても、科学的に可能だとわかっていることをやらないのは、倫理に反するんだ、その結果どんなに恐ろしいことになるとしてもね。そして、これはほんの始まりに過ぎないんだ!」

その夜フォン・ノイマンが口にした懸念は、核兵器に関するものというよりもむしろ、どんどんと強まっていく機械の力に関するものだった。

コンピュータの潜在能力、脅威をここまで認識していたのか。

「命令をコーディングしている言葉は、メモリのなかではまったく数字とおなじように扱われる」とフォン・ノイマンが説明した。ここに、物事を意味する言葉と、物事を行なう数字の区別がまったくなくなったのだ。こうしてソフトウェアが誕生した。数値コードがコントロールのすべてを担うようになる―自らを変更する力も含めて。

こういう歴史的瞬間を詳しく知りたい人は、是非この本を読んでみることをお勧めする。

無線の知識と、発電機からマシンガンまであらゆる機械を修理する能力のおかげで、彼は順調に昇進していき、また戦争末期になると、代わる代わるいろいろな敵に捕えられたが、いつも処刑を免れることができた。ボルシェビキ革命とその反革命のあいだ、今現在、いったい誰が権力を握っているのかをロシアの僻地で知る唯一の方法が無線だった。

テレビの開発で知られるRCAのツヴォルキンの話もなかなか壮絶。

「ツヴォルキンは……それには真空管が二万個必要で、しかもエラーなしに作動できる時間、つまりエラーとエラーの間隔は、真空管がこの本数なので、10分かそこらだろうと見積もりました。……彼は、そこまで巨大で信頼性のないものに関わりたくなかったのです」。

この当時のものと今日のものが原理的には同じなんだろうな。

もちろん、戦争のために、という大きな熱意が至るところ溢れていましたから、特許だの優先権だのを気にする者など誰もいませんでした。

20年以上のち、ENIAC特許の有効性を巡り、6年以上(1967年5月から1973年10月)にわたって、34426点の証拠品が提出されて争われた「ハネウェル対スペリー・ランド特許紛争」で終始裁判長を務めたミネアポリス地方判事のアール・R・ラーソンは、ENIACの主な要素は、1941年6月、モークリーに電子式デジタルコンピュータのデモをした、アイオワ州エームズのジョン・ヴィンセント・アタナソフによって予見されていたと判断した。ENIACの特許権は、最初エッカートとモークリーが取得したが、のちにスペリー・ランド社に売却された。ハネウェル社が特許の無効を主張して、スペリー・ランド社に対するENIACの特許料支払いを拒否し、訴訟となった)。

この辺りで自分の仕事にも関わってくる。

戦争中、コンピュータについても爆弾についても、広く一般に発表することも、個人の功績を認めることも差し控えられた。戦争が終わると、爆弾については秘密のままにし、コンピュータについては公表することが決まり、その結果、コンピュータ開発の功績を巡る激しい争いが起こった。フォン・ノイマンの『「EDVAC」に関する報告の第一草稿』は、謄写版の原紙が使えなくなるまでに印刷され配布された部数はごく限られていたにもかかわらず、大きな議論を巻き起こした。

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「わたしは、この分野のできる限り広い範囲が常に(特許の観点から)『パブリックドメイン』に属するようにするために、自分の役割を果たそうと考えていた」と、フォン・ノイマンは、高等研究所の情報公開の姿勢を弁護して、スタン・フランケルに説明した。

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「わたしは、個人的には、過去において常に、そして今も、これは完全に適切なことであり、アメリカ合衆国の最善の利益に適う、という意見です」。

戦争は終わったので、個人の利益がアメリカ合衆国の利益に優先されることになった。

特許により個人の利益が優先されるのは、戦争が終わって平和な時代が訪れた証なんだろうな。大きな目標があれば誰の成果だとか気にすることはないし、そんな場合じゃない。個人を尊重することが全体の利益にならないとき、全体のために個人が犠牲になっていいのかどうか。程度の問題なんだろうけれども、その辺りのバランスは非常にデリケートな問題だと思う。

フォン・ノイマンは、実入りのいいIBMとの個人コンサルタント契約を、続けざまに何件も結んだ。「フォン・ノイマンは、いかに示すものを例外として、フォン・ノイマンによるすべての改良および発明に関する権利をIBMに譲渡する」と、1945年5月1日付けのIBMとの雇用合意書の草稿にある。エッカートはのちにこのようにこぼした。「彼は、われわれのアイデアをすべて、裏口からIBMに売ったのです」。

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「彼は、問題を考え付くことのできる人間がいる限り、その人たちが考え付けるすべての問題に答えられる、高速で、電子式で、完全に自動の、汎用コンピュータを作りたかったのです」

この他、チューリングゲーデル、ピゲロー、ウラムなどなどこれでもかという豪華な布陣が様々な成果を積み上げた歴史が詳述されているとても密度の濃い本である。どれもこれもよく調べて丁寧に書いてあるので、非常に面白い。歴史上の人物に対する畏敬の念が高まった。何度も丁寧に読みたいと思える本である。

 

チューリングの大聖堂: コンピュータの創造とデジタル世界の到来

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