ものに対する愛情

自分にはものに対する愛情があるのかな、と何となく思った。
ちょっと考えた結果、わりと「ある」という結論に落ち着いた。
まず、本に対する愛情がかなり強い。
読んだ本なのに、買ったままの状態みたいって言われる。
なんかけっこう大事に扱ってしまう。元々の性格と言うより
小さい頃に身につけざるを得なかった後天的なものだけど。
まあ悪いことじゃない。一応誤解のないように言っておくと、
貸した本が多少汚れたりしても、別に嫌じゃないんでご心配なく。
書き込むとか折り目を付けるとか、水没させるとかはNGですが、
普通に持ち歩いて読んでる分には別にかまわないです。
水没させたら、買い替えたりせずに報告してください。
代わりに買ってほしい本言いますから。


ノートパソコンとか腕時計とか文房具とかけっこう愛着あるかも。
名前を付けたりしないけど、いつも一緒にいるものだから
けっこう大事に扱う気がする。なくなったらなくなったでいいけど。
あとで続きを書く。
そういえば自転車にもけっこう愛着あるな。
手に馴染むから、何も考えなくても使い方がわかるから
極端な言い方をすれば、ものと心が通じるからなのかも。
古来より付喪神と呼ばれていたものについて何となく分る気がする。
付喪神 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%98%E5%96%AA%E7%A5%9E
操作を一つ一つ確認しなくても、無意識にでも操作できてしまう時
そこに何らかの意志を持ったものを感じてしまうのかもしれない。
使用する人の気持ちの問題だけど。


愛着を持つ対象によるが、下手に愛着を持ってしまうと、
ドライに考えられなくなってしまい
判断の幅が狭くなってしまうというリスクもある。
でも個人的に何かに愛着を持って接した方が楽しい気がする。
自分にとって楽しいとかうれしいとかそういう感情を
生み出すものは、何にも代えがたいものであり、
プライスレスであるので、打算的な考えなど無意味かも。


よく考えてみると、もの以上に愛着を持っている対象があった。
自分から発せられた言葉。自分のセレクション。
つまり、自分のブログとブックマーク。
たぶん自分のブログを一番読んでいるのは自分だろう。
よくも悪くも自分の過去が切り出されている。
日記的なことを書かなくても、当時の考え方などが
反映されているのがありありとわかる。
ちょっと考えが足りないなあとか、勢いがあっていいなとか
いろいろと考えながら読み返す時間が非常に楽しい。
昔の記事にいいことが書いてあったら感心するし、
いまいちなのを見つけたら、あれからずいぶん成長したと
いずれにしてもポジティブに考えられるのがいい。
記憶喪失になった自分のために書く文章であるけれども、
昔の志を忘れてしまった自分とか、何か大切なものを失ってしまった自分とか
のんびりと空を見上げることを忘れてしまった自分とかが、
いつの日か読んで、心を動かされたりしてくれたらいいなと思う。
まあそもそもそんなことにならなければいいんだけど。

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全然関係ないけど、ミリヨッカちょいのりにはポーチも付いてます。