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なぜハーバード・ビジネス・スクールでは営業を教えないのか?

読書

本屋で立ち読みをしていて面白かったので買った本。営業という仕事について全然よくわかっていない状態で読んだが、営業とは何かということを考えさせられた。

セールスは”おまけ”じゃない。財務や法務や経理といった仕事らしい仕事から切り離された、やっかいなお荷物でもない。それはまさしくホンモノの仕事なのだ。

売り込むというより仕事を持ってくるという方が近いのかもしれない。今の仕事をしていると、それなりに継続的に仕事が入ってくることの大切さがよくわかる。

セールスマンでない人だって、毎日のように、自分自身に、自分の家族に、友達に、社員に、何かを売り込んでいる。毎朝子供に学校で先生の言うことを聞きなさいと売り込む。自分に本を書けと売り込む。学校や会社に入れてくれと売り込む。

広い意味で言えばこういうことも含まれる。

途上国から先進国まで世界中のどんな場所でも、ものを売ることは商売の原動力だ。営業は、経済活動のなかでいちばん原始的でありながら、いちばん進化した機能なのだ。なのに、経営学者には軽んじられ、どこか後ろめたい仕事だと思われていたりする。

この辺りが著者の問題意識だったようだ。

モロッコのセールスマンのことを学びたくてやってきました、と僕は説明した。彼は頷いて机の下に手を伸ばし、ぼろぼろの白い小冊子を取り出した。『はぐれ者のタンジールガイド』と書いてある。読み終わったら返してくれと告げられた。

このモロッコのマジードがすごい。

「わかりましたよ、しょうがない。いくらならいいんですか」と、決して客のほうから与えてはいけない情報を引き出そうとする。そう聞かれたら、駆け引きの的になっている商品をしげしげと見まわして、逆にこういうべきなのだ。「いや、そっちが値段を言ってくれ。駆け引きなんかしてもしょうがないだろう」。

簡単にいろいろと見透かされてしまいそうだ。

サハラ砂漠琥珀商人のもとを何度も訪れたマジードは、商人の言い値とヨーロッパや中東のお客たちが支払う価格の差を次第に予測できるようになっていった。

こういう経験に基づくスキルというのはどの分野でもありそうだ。

セールスマンは客を見ている。相手を品定めしているんだ。お客のほうはセールスマンを見もしないでゴミみたいに扱う。だけど、黙って目と耳を働かせているだけで、お客のことがよくわかるようになる。俺は客を一人でぶらぶらさせておくんだ。照明をつけて、お客が何を見ているかは気にかけるが、邪魔はしない。いきなり身振り手振りで客に話しかけるようなヤツは、あと20年くらい修行したほうがいいな。

よく分かっている人だ。観察することが大事。

あるとき、ラバトからきたフランス人女性が琥珀を買い、数週間後にスイス人の友人とやってきて、返金を求めた。プラスチックを売りつけられたというのだ。マジードは琥珀を受け取り、彼女が支払った3000ユーロをカウンターの上に出して、スイス人の友だちに宝石の由来を話し始めた。しばらくすると、彼女は金はいらないから琥珀を返してほしいという。マジードは、以前より琥珀の値段が上がったから120ユーロほど上乗せしてもらわないとと、と告げた。彼女はしぶしぶ追加料金を支払った。

マジードのすごさはこのエピソードに凝縮されているような気がする。モノの価値というのはあやふやなもので、操れる人もいるのだな。

セールストークの狙いは、観客を「くぎ付けにすること」だとサリバンは言う。つい立ち止まって最後まで聞いてしまうような話をすることなのだ。

テレビ通販のサリバンもなかなか面白い。

俺も押し売りとか、がまの油売りとか、なんだかんだと言われるよ。だけど、品物が役に立たなかったり、買った人が金の無駄遣いだと思ったりしたら、いまじゃ昔と違ってネットを通して俺の評判が傷つくんだ。あっという間さ。そうなってたら、いまここにいないよ。

人を騙したりしたらすべて自分に跳ね返ってくる。非常に説得力がある。

バーナムの回顧録は、19世紀のアメリカにおける新約聖書に次ぐベストセラーになった。彼はペテンや誇大広告になんら罪はないと言いながら、正真正銘の詐欺には異を唱えていた。また、奴隷制度や人種差別にも声を大にして反対した。節制を説き、のちに居を構えたコネチカット州ブリッジポートの地域改善のために資金を拠出した。

バーナム効果で知られるバーナムの本がそんなに売れているとは知らなかった。

「スポーツマンが信心するとセールスマンになるんですよ」

これは日本の保険屋さんの言葉。

製薬メーカーの成功の鍵は、薬の必要性を煽ってセクシーな女子を送り込み、退屈で忙しい男たちに売り込むことだなんて、よっぽど正直な経営者でもない限り認めないだろう。ここでもセールスとは人生の縮図だとよくわかる。倫理を掲げれば、日常的な慣行や金銭的な成功欲と衝突してしまうのだ。

この話はいろいろなところで見かけるな。チアリーダーへのリクルート活動が凄まじいとか別の本でみたような気がする。非常にわかりやすい例なのだろう。

「財布をなくしたことは、失敗続きでものごとが整理できず、実りのない自分の人生の象徴だ」というのが拡大的な考え方だ。限定的な考え方は、「財布をなくしただけだから、クレジットカード会社に電話して、免許証を再発行すればいいだけ。どうってことない」というものだ。

頭ではわかっていても、なかなか割り切れないところ。

「わざわざ街の反対側まで来なくても靴が買えると市民に知らせたかっただけだ。朝起きて、『そうだ、広告を出そう』なんて思う人間はいない。『みんなに知らせたいことがある。どうしたらいいだろう?』と思うだけだ。フランクリンは酒飲みの義弟を雇ってフィラデルフィア中を回らせ、知らせたいことはないかと聞いてみた。告知広告はそうやって拡大していった」

広告を出すのは手段であって、目的ではないということ。

ここで明らかになった重要な点は、ものごとを「いつもこうなんだ」と大げさに考えてしまう悲観派は、失敗すると立ち直れないことだった。彼らは拒絶に対処できず、その敗北感がさらに失敗を呼び、うつ病患者に見られるような学習された無力感を引き起こしていた。

なんか身も蓋もない。

みんながピザを好きなのは、自分でトッピングを選んでカスタマイズできるからだと言っていた。そのうえ、家まで配達してもらえる。そして視聴者にこう問いかけていた。「あなたのビジネスもそうですか?お客様がほしいものを届けていますか?自分の都合のいいものだけを売っていませんか?」

これはけっこう重要なポイントのように思う。結局自分の都合ばかり考えていないかというのは、時々振り返ってみる価値のあることだろう。

「勇気の反対は臆病さではありません」。ナイチンゲールは奥深い滑らかな声で呪文のように唱えた。「周囲への迎合です」。

この人こんなこと言ってたのか。

「電話してこう言うのさ。『こんにちは、ジェフリーです。昨日、大口のお客さん何社かと話をしておりましたら、こんなことを耳にはさみまして』と言ったところで電話を切る」。

しょうもなくて面白い。

“シロアリ”のニックネームがつけられたのは一旦家に入り込むと、壁という壁に穴を開け、すべての修繕し改装し終えるまで立ち去らないからだ。毎日のジョギングでエネルギーを充電し、長時間の仕事に精力的に取り組み、出会うすべての人たちの夢や弱みに敏感に反応する。それが、自分の価値を実感させ、人生の手綱を握っているという自信の源になる。ラミレスは自分で自分の運命を支配できると信じている。

ギエルモ・ラミレス(愛称・メモ)の精力的に取り組む姿は、この本の中で最も印象的だったように思う。

ボルティモアでの仕事も個人のつきあいもすべて、20km四方の範囲内にある。だからなにがあっても15分以内で駆けつけられる。お客さんと話すときは、どんなに複雑なことでも絶対に書き留めることはない。何か起きたらその場で対応するからだ。ウィリアム・ジェイムズは、「決めたことをすぐに行動に移すべし」と説いたが、メモはまさしくこれを自分に強いている。

すぐやるというのをここまで徹底している人がいるのである。

「不況は混乱を生み出す。だが、ゼロから何かを作り上げた経験があれば、いつでもどこでも、もう一度できると自信を持てる」。

ゼロから何かを作り上げた経験は財産になる

「なぜお客様が私を気に入ってくださるのでしょう?私はよそ者ですよ。どうして私と取引する必要があるのでしょうか?それは、そうせざるを得ないからです。他の場所では絶対に手に入らないものを私が持っているからです」。

美術品を扱う人の自信溢れる発言。

目的もなく同じ場所を走っている間に、年を取って燃料が切れそうになっていることに気づいたんだ。やっとはしごの上まで登ったと思ったら、はしごが間違った建物にかかっていたような気分だった。

こんなふうになりそうでちょっと怖い。

「毎回授業のはじめに『このなかでノルマを背負ったことのある人は?』と聞くが、いたためしがない。セールスは、結果が測れる唯一の分野だ。それがMBAの学生には死ぬほど恐ろしいんだよ」。

MBAに限らず、結果が測れないぼんやりとした世界に居た人にとって、結果が測れるというのは非常に恐ろしいことだというのは、想像に難くない。

ベリャマニが初めて営業を担当したのはアフリカだった。フランス語を話したからだ。しかし、数年もたつと、このままずっとアフリカと中東担当で終わるのではないかと心配になった。そこで、営業局の再編中に局のトップのところに行き、言語能力があるがゆえに損をしていると訴えた。もし自分が英語しか話せなかったら、北米の最優良顧客を担当しているはずだ。

言語能力があるがゆえに損をする。こういう視点は非常に興味深い。

「まずはインドは教育を受けた人々が住み、働いている国だということを売り込まなければなりませんでした。道端のヘビ使いや象だけがインドではないと知ってもらう必要があったのです」。

インフォシスもここから始まったのだと思うとなかなか面白い。

「彼らは、セールスマンをビジネスにおける使い捨ての歩兵のように見下していたんだ。でも、本当にいなくても困らないのは、高給取りの管理職さ。セールスマンは顧客との関係をうまく保っているかぎり、何者にも代えがたい価値がある」

・・・

ためらいを捨てて何かを上手に売ることは、僕らを動かすものの本質に対峙することである。そして、それに正直に生きることなのだ。

なんかうまくまとめたなあという感じがする。とりあえず表題(邦題というべきか)というのはそれほど中身を示していなくて、営業とは何かということがよくわかる本だった。

なぜハーバード・ビジネス・スクールでは営業を教えないのか?

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