「へんな会社」のつくり方 後編

すっかり忘れていてずいぶんと間があいてしまったが
ちゃんと完結させようと思う。読書感想文の三回目。
本文の転載が今回は特に多く、引用の範囲内といえるかどうか
わからない。何か問題があれば削除します。
一回目 http://d.hatena.ne.jp/pho/20060223#1140683092
二回目 http://d.hatena.ne.jp/pho/20060227#1141059361

4798110523「へんな会社」のつくり方
近藤 淳也
翔泳社 2006-02-13

by G-Tools

こちらの目をじっと見て、何でと聞かれると適当に答えることはかなり難しくなります。斜め上とは何かの問題が提起されたとき、想定されている答えの上を行くような、それでいてなぜか方向が少し違った答えが返ってくる、そんな状況を指していう言葉です。

以前はてなのアイデアミーティングpodcastで聞いていたのでなんとなく
この感覚はわかる。何事に対してもどうしてそうなるのかが大切であり、否定ではなく
常にどこがいいのかを意識して議論を前進させていくスタイル。堂々巡りをしても
単に時間がもったいないだけなので、非常に重要なことだと思う。

もとのブログに直接コメントを書き込む人が一人いれば、ソーシャルブックマークのような場所でならコメントできる人が10人くらいいる、そういうことが明らかになった。ちょっと引いた場所でなら発言できる、という人がすごく多かったんですね。

はてなブックマークのヘビーユーザーなのでまさしくこれにあてはまる。
誰かの記事にコメントを書いたりトラックバックをしたりするとそれが
コンテンツになってしまうからけっこう抵抗あるんだけど、SBMならあくまでも
自分のテリトリーでひっそりと書いているような感じだから良い。ひっそりだけど
一応共有されているというこの感覚が面白いと思う。

ほんと悲しい。悲しいですよ、とにかく。サイト閉鎖されちゃったっていうのを聞くと。そんなことのために道具作ったんじゃないのに、何でそんなことになるかなって純粋に悲しいですよね。暴力的かどうかっていうのはそれを受けた人がどう感じるかだけで測ればいいことでその人が暴力だと思って心に傷を負って辞めちゃったのは事実なんで、それは疑いようがないものなんですよ

ネガティブコメントに対して。ある程度慣れている人ならいいかもしれないけど
そうじゃない人にはきついことって少なくないと思う。それをそういうものだから
といって突き放すのではなく、相手の立場に立って考えることは大事なんだと
改めて認識させられた。なかなか難しいけど。

ほとんどの人は言えばわかってくれると思うんです。はてなって、根源的に各ユーザーへの信頼を絶対に置く絶対的に信頼するところがあるじゃないですか。それは崩したくない。

さらっと書いているけど、かなり大変なことだと思う。なんか面倒なことになったら
そのユーザーを辞めさせたら楽だけど、対話をするという姿勢が基本となっている。
でもこういうところがあるからはてなを利用している気がする。

妥当な結論をいつも出してくれるのなら任せておきたいというのが本音だなっていうのがだんだんわかってきた。

自分はヘビーユーザーだけど、サービス改善の提案をする所までいっている
わけじゃない。こういう人は少なくないと思う。個人的には全然不満はなくて
むしろ無料でここまで使わせてもらっているので非常にありがたいと思っている。
近頃よく言われるAttentionとも関係するけど、自分の可処分時間をどう配分するかが
重要であり、ネットは楽しいけど本も読みたいし外にも出たいしとかまあ普通に
思うわけである。いろいろ考えた結果、今のところはてなRSSをガンガン使って、
次々にはてなブックマークして、ダイアリーを書くあたりでやめておくのが
自分の中でベストじゃないかと思っている。フォトライフとかアイデアとかわんわん
とか楽しそうだと思うけど、やりはじめると他に何もできなくなると感じてやめた。
ミーティングのpodcastを聞いたりblogを読んだりしたらなんか信用できそうな人が
運営している印象を受けるので、まあ別に自分がアイデアを出さなくてもそれなりに
使いやすく進化させていってくれるんじゃないかと思ったりしているからかも。

今、例えば京都から東京に駒を進めて、このすごろくの行き先をどこに置いているのかという話をすると、ま、ヒルズじゃないなと。
シリコンバレーですか?
そうですね。シリコンバレーに行って、京都に戻りたいなと。

就職活動やyahooの検索会議で何度か六本木ヒルズに行っているし、この間
シリコンバレーにも行ってきたけど、どっちもなんかはてならしくない気がする。
個人的な意見で特に根拠はないし、「はてならしい」という言葉の定義も
うまく説明できないので突っ込まれると困るんだけど。

ネットってほんとに物が手で触れないんで、その企業が物を作っているのか、物を使ったサービスを提供しているのかが区別されてないんですけど、明らかに2種類あるんです。自動車メーカーとタクシー会社くらい違う。それをひっくるめて交通業界といっているようなのがネット業界という言い方。

この意見は極めて斬新に感じられた。でも言われてみるとまさしくそうだと思う。
なんとか業界って分類している人が、ネットに関わるものをよく理解できないから
全部まとめてそういう分類に突っ込んでいるだけじゃないだろうか。

そういえば最近新社屋案っていうものが僕の中にむくむくとふくらんでいまして京都の西山の京都大学桂キャンパスができたあたりにドカーンって建てたい僕がもうちょっと力をつければここは日本のシリコンバレーになるんですみたいなうまいことを何とかいえそうな気もするし。

京都の西山には二年半通ったけど、感想としてはまだまだこれからという感じ。
いろいろ計画はあるみたいだけど、どこまで実現するんだかという感じる。
5年では無理っぽいけど10年も経てば地下鉄も開通するみたいだし、工事も
かなり進むだろうから状況はけっこう変わるかもしれない。先のことなんて
よくわからないけど。

あと風車もあります。風車プラン。はてなをやっていて罪悪感が唯一あるのはバカみたいに電気を使っていることなんです。そこだけが罪悪感であとはけっこういいことをやっていると思っているんですよ。別に風じゃなくてもいいんですよ。太陽光でもいいし。地球外太陽光っていうのが一番いいとおもう。原発もけっこういいかもしれないなと思うんですけどもうちょっと確実、安全なのがいいなって。

こんなことを考える経営者って聞いたことがない。でも自然な形を突き詰めていくと
確かにこうなるだろうとは感じる。環境がどうのこうのというわけじゃなくて
他に依存せずに自律的に動けるというのが重要なんだろうと思う。

僕たちがやっていることは誰を幸せにしていて誰を幸せにしていないのかっていう、プラスとマイナスの収支をプラスにしていかないとはっきりいってやらない方がいいとおもうんですよ、僕は。本人が儲かるかどうかじゃなくって社会に対してプラスを提供したのとマイナスを取った差が利益だと思うんですよ。手元のキャッシュを最大化したって別に百年後に何の評価もされないですよね

お金も大事だけど、もっと大事なものがあるということ。
ハッカーと画家に出てくる「富」という考え方に通じるものがある。
そういえば去年インターンに行った御茶ノ水のスタートアップ企業の
創業者もなんか似たようなことを行っていたような気がする。
こういう考え方を常に心にとめておきたいと思った。