ベイズ推定続き

今合宿中。開発合宿のつもりが、徐々に変わりつつある。
朝グリモンやって、昼から翻訳やって、それから数学?
ベイズ推定について読んでみたのでまとめてみる。
What is Bayes's theorem, and how can it be used to assign probabilities to questions such as the existence of God? What scientific value does it have?
http://www.sciam.com/askexpert_question.cfm?chanID=sa005&articleID=3A86E7BA-E7F2-99DF-3F475245D8E9C780&pageNumber=1&catID=3
ベイズ推定とは何か、神が存在するのかというような疑問に対して、どうやって確率を割り当てるのか。
どのような科学的な値が得られるのか、ということ。
前半部分は、病気の人で陽性反応が出るとか出ないとかそんなとこ。
前回書いたのと数値が違うけど内容は一緒なので省略。


そして本題。ベイズ理論を使って神がいるかどうかの確率を計算する。
といっても息巻いてるだけで、うやむやな感じ。
これについては3つの本で議論されている模様。
かの有名なリチャード・ドーキンスは、懐疑的とのこと。
ベイズ理論を採用した主張というのは、世の中の我々の体験から
与えられる神の確率を計算するもので、神が存在するかしないか
ということから与えられるこれらの事実がどれだけ起こるか
ということに対して数値を割り当てるものである。
ドーキンスの主張は、ベイズ理論の正確性を疑ったものじゃなくて
その公式に当てはめるデータが足りてないんじゃないかということ。
等式は完全に正確だが、挿入される数値が、ドーキンスの言葉を借りると
"not measured quantities but & personal judgments, turned into numbers for the sake of the exercise"
&がよくわかんないけど、測定された量ではなくて、個人的な判断が
この課題のために値となったものという感じだろうか。


ベイズ理論で神の確率を定量化するのは別に新しくないらしい。
リチャード・スウィンバーンという人が1979年に、
神の存在確率は50%よりも高いと見積もって、
2003年にはイエス・キリストの復活の確率が約97%と計算された。
前に出ていた50%というのは、神がいるかいないかの二つに一つ
だったから50%ということらしい。そんな単純なのかよって思った。
一方ドーキンスは、人が神とか空飛ぶスパゲティモンスターとか
おとぎ話とかなんであれ、そういうものを信じるケースというのは
無数にあるから、対応する確率というのは低くなると言っている。


現在のベイズ理論の科学的な値を提示して、これまでのものと比較してる。
二つの数学的なモデルA,Bを考えて、p(D|A)とp(D|B)が計算できるものとする。
モデルAは、時空が11次元のもので、モデルBは、時空が26次元のものである。
個人的にもう意味不明だが読み進めてみる。
計算してなんらかのデータDを得るのだが、二つのモデルの相対的な確率を
計算する必要がある。p(A|D)/p(B|D)で、これを計算するのは、
陽性反応の時と同様に変形して、p(D|A)p(A)/p(D|B)p(B)を計算すれば良い。


事前にわかっていないp(A),p(B)に非常にフラストレーションがたまるらしい。
数学的なモデルの確率について、事前にわかっているとはどういうことか?
という問題になって、それはいろいろと議論の分かれるところらしい。
非常に単純化すると、ベイジアン確率は、仮説をある程度信用したときの
確率の解釈であるそうだ。頻度論者の確率は、非常に多くの回数の
実験的な試行における特定の結果の頻度としての確率である。


医者の場合、事前の見積もりというのは、予後診断が
より多くありそうか、より少なくありそうかの間の違いを意味する。
こういう場合、ベイズ理論は明快というよりも論争を引き起こし得る。
より一般的に言って、ベイズ理論は、「最低限」の確率がありそうであるという
ことから計算されるときに使用される。このような計算は、あまりにも一般的なので
確率や統計のほとんどの応用が何らかの点でベイズ理論を思い起こす。
その意味でベイズ理論は、遺伝子からグーグルまで、健康保険から
ヘッジファンドにいたるまで、あらゆるものの中心になっている。
不確定なものについて、具体的に考えることに対して中心的な関係になっている。
そして、量的なデータを与えられ、悲しいかな必ずいつも与えられる
というわけでもないが、世界をより明確に考えるためのツールとして
数学を使用することに対して、中心的な関係となっている。


ということで、久々にちょっと頭を使ったような気がする。
神がいるかいないかってことはここでは重要ではなくて、
数学で世界が明確になるかどうかが重要なんだろう。
いろいろと考える人がいるんだなあと思った。