新聞の広告で見て、池袋のジュンク堂に行ったときに手に取ってみて
具体的な事例がいろいろと紹介されてるのが面白そうと思ったから買った。
一言で言えば、「キューバはお金もってないけど、医療技術がすごいぞ」ってこと。
個人的にいろいろと思うところがあったので、この本は非常に衝撃的だった。
ファミリードクターの役割は、120世帯、700〜800人と、顔が見える範囲で各家族の健康状態をチェックし、増進することにある。だが、何から何まで、すべてをファミリー・ドクター一人だけが背負い込めるわけではない。だから、同じコミュニティの他のファミリー・ドクターや内科医、小児科医、眼科医、心理学者、統計専門家、ソーシャル・ワーカーたちがベーシック・ワーク・グループを作って支援する。
予防医療に力を入れているというのに驚いた。病気になるのを未然に防げば
医療費も高騰しないし、非常に合理的な考え方をするみたいだ。
つまるところ、生物学は、人の健康状態の8パーセントしか決定しません。残りを決めるのは、家族、コミュニティ、環境といったそれ以外の要素なんです。
病は気から、ということなんだろう。予防ですべて解決するわけじゃないけど、
解決する部分は大きいと思う。病気を診るのではなく、患者を診るということ。
バイテクや薬品工業の分野で、われわれは大きな進歩を達成した。例えば、B型脳髄炎ワクチンは、世界の多くの国々を悩ます病気の唯一のワクチンで、我が国にとり重要な外貨収入源だ。
火傷をした皮膚に使われる上皮成長因子は非常に高価なものだが、われわれはこの技術も制した。梗塞が起きてから6時間経っても、それを止めることのできるストレプトキナーゼも開発されている。この心臓発作治療薬を遺伝子工学で生産しているのは世界で唯一我が国だけだ。
なんかよくわかんないけど、先端医療もすごそうだ。
薬物中毒のマラドーナとか、植物状態に陥ったスペイン人女性とか
毎年5000人以上の患者がキューバに治療を受けにやってきているらしい。
資本主義では、すべての研究センターは、互いに戦いあっている。だが、我が国ではどの研究センターも互いに協力しあっている。資本主義では、どの病院も競争し、互いに戦いあっているし、同じことが意思でもいえる。だが、我が国では、どの病院も互いに密接に恊働している。医師も科学者も誰もが互いに協力している。こうした例外的な状態が、科学を発展させているのだ。他のいかなる制度も科学者の間でかような団結や協力を求められない。
だから社会主義万歳とは全然思わないが、資本主義の限界も感じる。
私たちは多国籍企業とは本質的に異なります。なぜなら、私たちは国家と同じ旗の下で働き、金銭的な目標よりも、むしろ社会的で人間的な目標をわかちあっているからです。ワクチン開発の目的はお金を稼ぐのではなく、命を落とす子どもたちを減らすことにあります。
ソーシャルアントレプレナーっぽいな。
ウルグアイで髄膜炎が突発したときも、同国とは外交関係は一切ありませんでしたが、ワクチンを無料で贈りました。
この研究所ができたときに訪れたフィデルは「われわれの原則は人類の幸せのために働くことにある。ここはキューバのためだけの研究所ではない。全人類のための研究所なのだ」と語ったのです。私は、世界のために働くことにとても充実感を覚えています。
フィデルこと、カストロのこの言葉、そして、キューバの医療への取り組みは、
以前ここで紹介したゲイツ財団の取り組みと非常に似ている気がした。
ゲイツ財団 - technophobia
http://d.hatena.ne.jp/pho/20071110/p1
社会主義のトップと、世界一の資産家とが、全く別のアプローチから
同じものを目指しているとしたら、ものすごく面白い気がする。
2001年4月23日、ハバナで開催された医療情報科学会議で披露されたのは、医療電子図書館とバーチャル大学だった。
「65000人以上もの医師に最先端の医療情報を提供するにはほかに方法がありませんでした」
とペドロ・ウラ所長は言う。
雑誌や論文、著作を無料で公開しようとしているらしい。
900人からなる医療援助隊が250トンの医療品を手に駆けつけ、パキスタンに到着したのは、地震の六日後の10月14日のことである。キューバ人たちは熱帯の出身だ。だが、凍りつくような寒さの中、各地にテント製の野外病院を設置し、テント暮らしにも不平一つ漏らさず、現地の過酷な環境に順応していく。
パキスタン、インドネシアに医療隊を送り込むキューバ。普通にすごいと思う。
たとえば南アフリカ出身のノンテムベコ・スィートネスさんはこう宣言している。
「医師であることは単なる職業ではありません。人々が最も必要としている場所に行くこと。すべての南アフリカ人のための医療とサービス。それが私たちが心に持っているものなんです。」
ラテンアメリカやアフリカの貧しい開発途上国の学生を受け入れて、
経費をキューバが負担する。教育に非常に力を入れている模様。
たかだか1100万人にすぎない小国が、世界に股をかけた医療援助活動をこれまでできたのは、バックにソ連という親分がいたからだった。だが、そのソ連は消滅し、もはやない。わずか数年前まではは、経済危機で青息吐息であったはずなのに、いったいキューバに何が起こったのだろうか。なぜ再びキューバは国際舞台に舞い戻ってこられたのだろうか。種を明かせば、ベネズエラという新たなパトロンができたからにほかならない。
これには気付かなかった。ベネズエラの石油か。チャベスか。
ラテンアメリカってちゃんと調べたらかなり面白そう。
「金銭的なインセンティブがないのに、どうして医者になるのですか」と問いかけたのです。すると、キューバの女医は力強く「医師はビジネスではなく職業です」と答えたのです。
今なら、なんとなくこの気持ちがわかる。半々くらいかな。自分はそれでいいと思う。
私たちは、人民が批判精神を失わずに、自分で物事を決められる能力を持つことを望んでいるのです。それは、知性を抑圧し、世界じゅうの人間を馬鹿にしようとする米国の消費文化主義との戦いなのです。消費主義に対抗できるのは、文化だけだと思いますし、グローバル化しなければならないのは、爆弾や憎しみではなく、平和、連帯、健康、そして誰しものための教育と文化なのです。
たぶんここが、この国の悪いところだと思う。言ってることはそんなに悪くないけど、
戦いとか言っちゃうから、ずれてくる気がする。ハイブリッドがいいんじゃないかな。
社会主義と資本主義のいいとこ取り。それは昔の日本なのかもしれない。よくわかんない。
でも、自分の気持ちの中のすっきりしない部分は、ほぼ取り除かれた気がする。
カストロは、2007年に入ってからは、米国がバイオエタノール生産に力を入れていることを問題視し、食料になる農産物をエネルギーに転用するよりも、省エネの方が重要であると批判している。
これには同意だな。そもそも使わないって発想はできないのか?
タクシー運転手は、外国人観光客を乗せるだけで、たった一晩で、心臓外科医の月給以上稼いでしまう。米ドルを手にできない多数の国民との格差が開く。物質主義、利己主義、個人主義が広まれば、人々は助け合う気持ちをなくす。加えて、大規模な観光が、若者たちの消費欲を刺激する。
人は楽な方に流れやすいから、必然なのかもしれない。
例えば、僕は友達を自分で選んでいます。でも、生まれてくる家庭は選べないし、生まれてくる場所も選べません。人間はそういう存在なんです。僕はたまたまインテリの家庭環境で育ちましたから勉強してきましたが、学ばない家庭環境で育った若者にはそんな気持ちがさらさらないんです。
だから、それは自己責任じゃあないし、社会の責任で、それを直し正すのも、社会でなければならないと思うんです。この新たな計画でとても良い学生に変わった大学の仲間がいます。僕からすれば一番偉いのは、そう。そういう家庭環境で育ちながらも、勉強して卒業した奴らの方なんです。
「直し正す」あたりがひっかかる。勉強したくないならしなくてもいいような気がする。
良いとか悪いとか一面的な気がする。でも最後は同意かな。あと、チェ・ゲバラの言葉も書いておく。
ただ1人の人間の命は、この地球上で一番豊かな人間の全財産よりも100万倍も価値がある。隣人のために尽くす誇りは、高い所得を得るよりもはるかに大切だ。蓄財できるすべての黄金よりも、はるかに決定的でいつまでも続くのは、人民たちの感謝の念なのである。
キリストも似たようなこと言ってたような気がする。目指すところは同じなんだろうか。
今日は、なんか政治的に危険なことばっかり書いてるような気がする。
変に誤解されても嫌なので、自分のスタンスみたいなのを書いておこう。
ソーシャルアントレプレナーすごいすごいって思ってたけど、キューバも
似たようなことやってるんじゃないかな。どっかの金持ちに寄付してもらうのと、
ベネズエラから安く石油を供給してもらうことに何の違いがあるんだろう。
パトロンにバックアップしてもらって、やりたいことをやる。
よく考えてみたら、誰にだってパトロンがいるんじゃないか。
企業には、消費者という非常にたくさんのパトロンがいるし、
研究者には、企業とか国家とかいうパトロンがいるし、
ニートには、親とか、過去の自分とかいうパトロンがいる。
喜んで金を出しているかどうかってのはあんまり関係ない気がする。
脅してお金を出させる人は、単に法律でさばかれるだけだから。
誰もが誰かに依存しているわけだから、卑下することはない。
大学で基礎研究をしてたとき、「何も考えずに実験しても研究費の無駄だよね」
と教授に怒られて、早く企業で金を稼がないとって思ってた。
で、企業で特許の仕事をしてたら、研究辞めるなんてもったいないって言われるし。
でもよく考えたら、生活していくだけのお金があると言うことは
それなりにどこかに必要とされているということだから、
別に悪いことしてるわけじゃないし、気にしなくていいと思った。
デイトレで稼いで、無給でボランティアしたって悪くない。
お金はお金。汗水たらそうが、クリック数回だろうが一緒。
職業に貴賤はないって言葉の意味をやっとわかった気がする。
ビジネスなんて汚らしいと思ってたときもあったけど
あれはあれで手法の一つ。別に毛嫌いする必要はない。
それじゃあ、何らかの方法で生活の糧を維持しつつ、
自分が好きなようにやって、楽しむことにする。なんか吹っ切れた。
資本主義だとか社会主義だとか主張するのは勝手だけど、
他人に押し付けてはいけないと思った。大きな収穫だ。
全部鵜呑みにする必要はないけど、一読する価値はあると思う。
世界がキューバ医療を手本にするわけ | |
吉田 太郎 おすすめ平均 地道な取材はやはりいいものです 差し引いて読む必要はあるが・・・ 米国至上主義の方へ Amazonで詳しく見る by G-Tools |