買ったきっかけは、この書評だったような気がする。
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/07/post-804.html
率直な感想として、ガウスがすごく汚らしく描写されているのが気になった。実際にそうだったのかもしれないけれども、序盤から読んでいて不快になるレベル。一方、フンボルトのエピソードは非常に面白かった。
アレクサンダー・フォン・フンボルトは、25年前に熱帯地方への探検旅行を敢行した功績により、その名を全ヨーロッパに知られる存在となっていた。彼はヌエバ・エスパーニャ、ヌエバ・バルセロナ、ヌエバ・アンダルシア、ヌエバ、グラナダ、そしてアメリカ合衆国の地を踏み、オリノコ河とアマゾン河とを結ぶ水の流れを発見し、知られていた範囲内での世界最高峰に登頂し、数千の植物を採集し、数百の動物を、一部は生きたまま、大半は死骸として収集し、オウムと話し、死体を掘り起こし、途中で出会ったあらゆる河、山、湖を測量し、すべての洞窟の奥深くに入りこみ、誰にも想像がつかないほど多くの液果を口に入れ、木々によじ登った。
フンボルト海流とかフンボルトペンギンとかってこのときの探検に由来するものなんだろうな。
数ヶ月後、フンボルトはすでにプロイセンでももっとも信頼の置ける山岳監督官となり、製錬所や泥炭採掘所から王室直営の陶磁器工場の溶鉱炉までをも見て回っていた。どこへ行っても、彼がメモをとる速さは労働者の驚嘆の的となった。
ポアンカレよりも何十年も前だけど、この人も鉱山で働いていたようだ。
次にフンボルトはザルツブルクへ向かい、個人が所有するものとしては例がないほど高価な測定器具を一揃い購入した。気圧計ふたつ、水の沸点を調べるための側高計、測量のための経緯儀、水平線と対象との角度を測る六分儀、折りたたみ可能な小型六分儀、地磁気測定器、毛髪を使用した湿度計、空気中の酸素量を測る検気器、電気を蓄えるライデン瓶、そして空の青さを調べるシアン計。それから、最近パリで売り出されたばかりの、ほかに買い手がいるとは思えないほど値段の高い時計をふたつ購入した。
ここまで測定機器を揃えたのもすごいが、これらを持って調査に行っていたのがもっとすごい。
スペインへの旅の途中、フンボルトはあらゆる丘陵で測量をおこない、すべての山に登頂した。どの岩壁からも標本を採集し、酸素マスクを装着して、あらゆる洞窟の最深部まで探索した。六分儀の接眼レンズを通して太陽の位置を確定しようとしたときには、その様子を見ていた地元の人々に、異教徒の天体崇拝者と思われて石を投げられたため、二人は馬に飛び乗り、早足で走らせて逃げなければならなかった。最初の二度はなんとか無傷でやり過ごせたが、三度目にはボンプランが深い裂傷を負ってしまった。
知らないと怪しい儀式にしか見えないのかも知れないな。
フンボルトはこぶしを握りしめ、ゆっくりとした足どりでウルキホの書き物机のところに行くと、ペンとインクにつけ、処方箋を書いた。アマゾン川流域にはえるキナノキの樹皮、中央アフリカでとれるケシのエキス、シベリアのサバンナの苔、そしてマルコ・ポーロの旅行記に書かれて伝説になっている花。これらすべてを濃く煎じる。その三番煎じがよい。それを一日おきにゆっくりと飲む。全部の材料を集めるには何年もかかってしまうことだろう。彼はその紙切れを、ためらいがちにウルキホに渡した。
フンボルトは、それまで外国人が受け取ったことがなかった書類を交付された。フォン・フンボルト男爵と彼の助手には、あらゆる支援が保証される。宿泊場所を提供され、友好的な扱いを受け、関心を抱くあらゆる場所へ行くことが許可され、王室に属するすべての船舶で旅をすることができる。
探検の費用を出してもらうための賢いやりかた。なんとなく徐福を思い出した。南米にフンボルト伝説みたいなのがあってもおかしくない。
ガウスも素数を数えていたんだなとなんとなく思った。ジョジョは第3部までしか読んでないのでプッチ神父のことは知らない。
印刷のために、ごく少額の金しか持っていないバルテルスから借金しなければならなかった。組み上がった活字を自分でチェックしたいと主張したとき、問題が起こった。つまり愚かな業者には、ガウス以外の誰にもその作業ができないということが理解できなかったのだ。ツィマーマンが公爵に手紙を書き、さらに少し金を出してもらえたおかげで、『整数論』は無事に世に出ることができた。20代になったばかりで、生涯の代表作が発表されたのである。この先どれほど長生きしたとしても、これに匹敵するほどの業績は生み出せないだろうと感じていた。
ラテン語で書かれているようだ。
あの本を書き上げてしまったいま、ほかにどんな可能性が残っているだろう?凡庸さの時代にあって屈辱的な方法で生活の糧を得、妥協し、恐怖と怒りを覚え、そしてまた新たな妥協をし、心身両面で痛みを覚え、年齢を重ねることによる衰えも含めて、あらゆる能力が緩慢に減退していく。他の可能性などありはしない!
24歳でこんな本を書き上げたらその後が大変だろうが、ガウスはその後の様々な業績を残していた。
髭を剃ろうとしたのさ。蚊に苦しめられているというだけの理由で、野蛮人のようになってはならないからね。少なくとも私は文明人なのだ。
これはフンボルトが髭を剃った時の話。
フンボルトは、それなら私たちと一緒に旅をすればいいじゃないかと提案した。
ブロムバッハーは断った。ひとりのほうが多くの見聞ができますし、少なくともドイツ人には郷里でたくさん出会えますので。
ひさしく母国語を使ってなかったフンボルトは、口ごもりながら、郷里の街とはどこなのか、教会の高さと住民の数はどれくらいかと尋ねた。
教会の高さを尋ねているのが興味深い。そういえばヨーロッパだとどこに行っても街の中心に教会の高い尖塔があるんだった。それで大体の規模がわかるんだろうな。
ときに不思議に思うことがあるんだ、と彼は行った。法の命ずるところに従って、鉱山の視察を続けるべきだったかもしれない。そうすれば、ドイツのどこかで屋敷に暮らし、何人か子供をつくり、日曜日には鹿狩りをし、月に一度はワイマールを訪ねていただろう。ところがいまは、ここで見知らぬ星座のもとで大洪水に見舞われ、来もしない船を待っている。
人はどこかで決断をし、選択をしなかった世界のことを知ることはできない。自分も時々そんなふうにぼんやり思うことがあるけれども、随分遠くに来たなあと思うだけである。
幸福は人を愚鈍にするのだろうか?二、三週間経ってから『整数論』の頁をめくってみたところ、それが自分で書いた本であるということが不思議に思えた。すべての論証を理解するためには、意識を集中する必要があった。
これはガウスが結婚した直後。ガウスの私生活のエピソードはことごとく読むに堪えない感じで悪態ばかりついているので、そもそも幸福だったんだろうかと思ってしまった。
フンボルトは定期的に地面に身を伏せ、聴診器を岩につけて音を聴いた。山頂に到着すると、ザイルで身体を縛って火口におりていった。
あの男は完全にいかれておる、とドン・ラモンは言った。あんなことをするやつは見たことがない。
引き上げられたとき、フンボルトは全身緑色に染まり、ひどく咳き込み、衣服は少し焦げていた。水成論は、と彼はまだばきをしながら叫んだ。本日をもって葬り去られたぞ!
完全にいかれておるという意見に同意する。でもこうして火成岩の決定的な証拠を掴んでいるのはさすがだと思う。
長く待たれていた旅行の記録は読者を失望させました。何百頁にもわたって測量結果が記されているばかりで、個人的なことはほとんど書かれておらず、実際のところ冒険の痕跡すらなかったからです。死後の名声に傷をつけるであろう、悲劇的状況でした。よい物語を書き残す者だけが、有名な旅行者になれる。
当時はこの程度の扱いだったのかもしれないけれども、後世に与えた影響は計り知れない。
ガウスは、フンボルトはあと三年か四年は生きているだろうと予測していた。少し前から、ガウスはふたたび死亡統計学に取り組んでいた。国の保険機構から依頼を受けてのことで、数学的な面白さはなかったが、報酬がよかったのである。ちょうど、知り合い全員の予想寿命の概算が終わったところだった。一時間、天文台の前を通る人の数を数えれば、そのうちの何人が一年後、三年後、十年後に生きているかを計算できる。
保険というのはなかなか歴史あるものなんだと思った。
研究者は創造者ではありません。何も生み出さないし、土地を獲得するわけでも収穫を得るわけでもないのです。種をまくわけでも刈りとるわけでもありません。あとにはもっと多くのことを知っている者が現れ、さらにそのあとには、それ以上のことを知っている者が現れます。そして、やがてすべては無に帰するのです。
すべては無に帰するというのはなかなか重い。
しかし、ベルリン郊外の最初の集落が飛ぶように過ぎていき、ガウスはいまこの瞬間も望遠鏡で天体を見ているだろう。そしてその軌道を単純な公式で把握できるのだろうと考えたとき、もはやフンボルトには、ガウスと自分のどちらが旅をしてきた者であり、どちらがずっと家にいたのかわからなくなっていた。
これだけ旅をしたフンボルトが、ガウスの方が旅をしているのかもしれないというのは非常に興味深い。天体観測をしながらその軌道を計算するのは確かに非常にスケールが大きく、そんな思いを抱かせるには十分なのかもしれない。
最後に解説から。
ついでにもう少し、著者自身による解説を紹介させていただくと、主人公をフンボルトとガウスに設定したのは、「知への欲望」および「世界を理解したいという願望」を抱き、世界の測量にとり組んだという点が両者に共通していること、しかもフンボルトはとにかく現場を自分の足で回るという「旅行と収集」、ガウスは得意の数学を使っての「抽象化と思考」というまったく対照的な方法によって同じ目標を目指したことが興味深かったからだという。
なんとなくモンスターという漫画でルンゲ警部とグリマーさんが会って「私達は本当に違った手掛かりから同じ場所にたどり着いたようですね。」と言っている場面を思い出した。これもドイツだな。やりかたは一つじゃないし、一見全然違ったことをしていても、目指しているものは同じかも知れない。
所々のエピソードには面白いのもあったけど、これがなんでそこまで売れたのかなと思った。いろいろと価値観の違いがあるのかも知れない。全体として何がいいたいのか正直よく分からなかったし。まあこの二人がちょっと身近に感じられるようにはなった。
- 作者: ダニエル・ケールマン,瀬川裕司
- 出版社/メーカー: 三修社
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