アルメニア・アシュタラクからハフパットへ
ここからは、エレバンを少し離れてアルメニアを北へ南へ3泊4日の旅となる。ガイドも運転手も一緒。地方だと食事を探すのも大変だろうということで、この3泊4日の食事は全部付いている。
最初に行ったのはアシュタラクというエレバン北西22キロの町。カルムラヴォル教会というこじんまりした教会を見た。
教会の向きって何か決まりがあるのと聞いてみたら、西側の入り口から入って、東向きに祭壇があるのが基本とのこと。確かにほとんどそうなってた。坂を少し下りるとカサグ川の渓谷にアーチ型のアシュタラク橋がかかっていて、見ていて心地良い景色だった。
この橋は1664年に完成したそうである。ガイドのおっさんがこの橋はマルコポーロの東方見聞録にも出てきて、シルクロードの通り道として使われてたとか言ってたけど、マルコポーロって1324年に死んでるわけで、なんかおかしい。このアーチ型の橋ではなく、その前身となる橋なのかな。この辺りで橋を渡ったという記述があるだけかな。とりあえず今回の旅行では、シルクロードと東方見聞録が気になった。あと今は使われてない水車小屋も見せてもらった。以前はそこで小麦をすりつぶしてパンを焼くところまでやっていたというのがすごい。何十年か前は、首都のエレバンもこのへんみたいにのどかだったんだけどなあとガイドが言っていた。確かにのんびりしていて良いところだった。
次なる目的地はサグモサヴァンク修道院。羊の群れに道を阻まれたりしながらも到着。
日曜日の礼拝の時間だったので少し見ることができた。村で普通に生活している人が毎週教会に行くという雰囲気で、何人か遅刻して慌てて来たりしていて非常に生活感があった。宗教と言えば宗教だけれども、押し付けがましくなく、生活の一部となっていて、みんな司祭さんに敬意を払っているのが感じられてなんとなく良い雰囲気だった。教会の裏から見た景色も壮観。
たくさんアルメニア教会を見たけれどもここが最も印象的だった気がする。その後行ったのはアンベルド要塞。かつての要塞の残骸と教会がある。風情があるというのは、こういうものを指して言うのかもしれない。
海抜2300mにある要塞は、各方面が遠くまで見渡せる所にあり、絶好の立地条件だと思った。アルメニアに行くまで気がつかなかったけど、モンゴルがここまで拡大していた時期があったわけで、世界史というのは繋がりあっていて面白い。また、ここの教会もなかなかユニーク。
教会というのは西から入って東を拝む感じなのだが、ここでは何やら戦いに行く前にちょこっとお祈りするケースが多いためちょっと違う。入り口から入ってそのまま通り抜けられるように、拝む向きが入口・出口と直角になっている。北から入って、東に拝んで、南に出て行って、敵と戦う感じ。ともかくこの佇まいが気に入ったので、この写真をtwitterのプロフィールにしてみた。
それから牛の群れに出くわしたり、昼食を食べたり、ローカルっぽいパン屋に行ったりしながらひたすら北上。車窓の景色を見てると、ガイドの人がここはかつて化学系の工場があったとこ、ここは鉱山、ソ連が崩壊して以来操業停止してるけどねって言ってた。ソ連が崩壊と言ってもあまり日本ではピンと来なかったが、旧ソ連だと様々な影響があったんだなと改めて感じた。
そんななか、まだ操業している銅鉱山があった。煙がもくもくと出ていて、車窓から見ただけだけどファンタジーな感じ。ドワーフとか出てきそう。指輪物語の映画はニュージーランドで撮られたみたいだけど、火山も川も渓谷も湖も鉱山もあるからアルメニアでも撮れたんじゃないかって思った。
そしてようやく目的地のハフパットに着いた。この日に行った所はどこも山の上にあって著しく不便だが、どこも行く価値がある非常に素晴らしい修道院だった。
この荘厳としか言えない雰囲気は、嫌でも歴史の重さを感じさせる。自分の最近の旅行で言うと、スペイン・オランダを超えて、チェコに匹敵するレベル。
ガイドのおっさんは、宇宙関連のエンジニアだったけど、ソ連崩壊とともにアメリカに行くか悩んで、結局アルメニアに残って、15年くらい観光ガイドをしているそうだ。で、だいたいどこの修道院に行っても司祭と友だちみたいな感じで、シンガポールからのお客さんだよーって紹介していた。我々のことを日系シンガポール人だと思っていたんじゃなかろうか。
このハフパットの司祭さんは、サンフランシスコとかオーストラリアとかのアルメニア教会に居たこともあって、それからここにやって来たとのこと。それを聞いて、アルメニア正教会=多国籍企業という印象を持った。
泊まった宿はガイドの友人がオーナーらしく、去年オープンしたばかりとのこと。とても綺麗で設備も整っていて驚いた。アルメニアは都心からけっこう離れても、案外インフラがしっかりしている。
ガイドのお爺さんとかお父さんの話を聞いた。ロシア人で戦争に行ったときくと、日露戦争かと思ったりするのだが、トルコと戦争していてロシアの広さを実感。