手抜き(一応未公開版)

ヒューマンインタラクションラボというエントリの最初の段落は
強引というかちょっと唐突な印象を与えるかもしれない。
それはまあいきなり魔法使いとか言われたら当然か。
これには一応没にしたメモがあるのでそっちも公開しようと思う。
没にした原因はただ一つ、長すぎること。

根底にあるもの


20社くらい見てまわり、いろいろと違和感があったりしたので
その原因はどこにあるんだろうか、自分が本当にやりたいことは
いったいなんだろうかと考えてみました。
やたら長いです。私は別に長く文章を書くことが苦にならないので
書きますが、読む方は忙しいと思いますのであらかじめ伝えておきます。
とくに就活に関することは書いてないですし、役立つことも書いてないので
時間のある方、興味のある方だけ読んでください。


ただでさえ変なやつだと思われているのに、こんなことを書くと
なおさら頭がおかしいやつだと思われてしまいそうです。
リスクは大きいですがすっきりさせたいので書いてしまいます。
そもそも私は何になりたかったのかというと
「魔法使い」
になりたかったです。正確に言えば今でもなりたいと思っています。
別にふざけてないです。狭義と広義の解釈がありますので
誤解を招くかもしれません。


イメージとしては杖を振りかざして、相手をふきとばす
テレキネシスっぽいことができたり、まあいろいろと不思議なことが
できたり、あらゆることを知っている存在です。
きっかけはアーサー王伝説をもとにしたディズニーの
「王さまの剣」という絵本が家にあり、今ではぜんぜん覚えてませんが
そこに出てきた魔法使いに惹かれたことじゃないかと思ってます。
他にあるとすれば創元推理文庫ゲームブックの魔法の項目か
ロード・オブ・ザ・リングガンダルフだと思います。
とにかく使いこなせたら楽しそうだと思ってます。


どうやってなろうかと私なりに真剣に考えました。
一般には空想の話だからと切り離して考えるのでしょうが
私の場合はがんばればなれそうだと思ってしまいました。
その結果4つのルートを思いつきました。
修験道の修行をする
・考古学をつきつめる
・神話学をつきつめる
・科学をつきつめる
繰り返しますが本気です。
どれが妥当なのか一つ一つ検証しました。


まずは修験道。熊野の山中で修行して、そこそこ精神的に
研ぎ澄まされていくと悟りの境地はあるのかもしれません。
私は天狗様のご加護とは考えませんけど、心理的な圧迫などにより
五感が研ぎ澄まされたりすることはありえると思います。
でもほとんど内面的なことで、別に私は夢の中で魔法使いに
なりたいわけではないです。現実世界に生きていたいです。
古い文献によれば高僧が空を飛んだりしてますけど
私の判断では修行と(例えば)空を飛ぶことはつながりません。
やってもいないのにできないとは断言できませんが、
この修行ではあまり上達が感じられそうにないのでやめました。
まあ文献には面白いものがたくさん出ているので、過去の例として
知っておきたいとは思いますが、修行はしないです。


考古学、神話学については当然日本に限定する必要はなく
世界中のものを見ておきたいと思います。アプローチとしては
歴史という現実から進むのか神話という目標地点から近づけるか
という感じです。井沢元彦という作家の受け売りですが
神話の多くは何らかの歴史的事実をもとにして
それらをアレンジしたものではないかと思ってます。
そのため歴史と神話の境界線を自分の中で明確にできれば
魔法や魔法に見えるもののヒントがつかめると思ってます。
しかし、魔法使いの評論家にはなれても、魔法使いそのものには
少し遠いのではないかと思い、専攻はしてません。
高校生のときの印象で、ここをつきつめても生活は
苦しそうだと感じたことや、趣味としてやるだけで
ある程度このへんはわかるんじゃないかと感じたからです。


最後に科学です。ちなみに大雑把に言えば今の専攻です。
科学と魔法、現実と非現実と解釈してまったく別の方向と考える人が
いるかもしれませんが、私の解釈としては同一です。
科学は白魔術、いわゆる魔法は黒魔術と言われてましたから。
魔法の魔法たるゆえんは原因がわからないことです。
さらにいえばまったく原因が想像できないことです。
一見すると科学的な大原則に外れていることかもしれません。
いろいろなパターンがあるので一概には言えません。
一方科学は原因がわかるといいたいところですが
どれだけの人が原因を理解しているんでしょうか。
プレゼンでよく使われるレーザーポインタの原理を
理解している人はどれだけいるんでしょうか。
原理が想像できなくても科学なのかもしれません。
でもおそらく違いはあると思います。
自分の常識というやつにあてはめて、ありえるものが科学、
ありえないものが魔法ではないかと思います。
ほとんどなにも知らないくせに、自分の知っている範囲で
勝手に常識という枠組みを決めて、勝手に線引きをする
その結果が科学と魔法の境界線だと思ってます。


そういうわけで私は科学を突き詰めた結果の魔法使いになろうと決めました。
具体的には一歩進んだ科学技術を「それとなく」使って、
世の中を私が自然だと思える形に変えていきたいと思ってます。
攻撃的な例を挙げるならば、スタンガンがあります。
相手に手で触れただけで気絶させてしまったなら、それは魔法だと
思われる可能性があります。しかし、実は隠し持っていたスタンガンを
「それとなく」使いました、ということなら面白いかと思ってます。
別に攻撃的なことには興味がないですが、まあその一例です。


このような表現を使うと自称超能力者やいわゆるオカルト系統と思われるかもしれません。
やや近いですが、明らかに違います。彼らは見世物としての不思議に見せているものですが、
私が求めるのは実用的で科学に基づいた一見不思議なことなのです。
スプーンが曲がっても別にうれしくないですが、10秒でご飯が炊けたりしたら
楽しいし、うれしいのできっと飽きるまで毎日やりますね。
飽きてきて、やれやれとかいいながら魔法を使う姿を想像するのも楽しいです。
しかし、飽きるほど生活に溶け込むというのが私の理想です。


結局最初の大風呂敷はずいぶんと小さくなってしまいましたが、まとめると
実用的な支援ツールをつくって使いたい
ということです。その際に技術を使っていると感じさせずに
あたかも魔法のように見えるということが重要かと思います。
作るなら理学部より工学部だと思いましたし、からくりっぽいものにも
興味があったのですが、やっぱりこれから先は電気だろうと思いました。
パナソニックの手をかざすとふたが開くCDラジカセを見たことが
きっかけかもしれません。たしか名前は「サイバートップ」だったはずです。
ただセンサーがついているだけで大したことはないんですが小さいころは
あれが凄いと思いました。松下なら京大だろうという感じです。


高校生のときに学校名で企業に差別されると聞いてましたし、理系から文系に
移ることはできると聞いていたので選択の幅を広げておくということで
東大か京大の理系を考えてました。入ってからも成績で興味がないところに
行かされるリスクがあったり、二次試験の国語を勉強するのが面倒だと思ったり、
満員電車が嫌だと思ったり、まわりに何人か東大を目指す人がいて外れたいと思ったり
東大模試と京大模試の両方を受けたらD判定とA判定だったりして
あらゆる要素が自分を京大に誘っていると感じたので従いました。