ブログの目的と効用

気がついてみると、知り合いの日記の多くが更新されなくなった。
でも、自分のはなんかよくわかんないけど淡々と続いている。
きっとブログをどの程度重視しているかに違いがあるんだろう。
個人的にブログがなくなると非常に困る。だってこれは頭の一部だから。


けっこう前から読んでいる人ってどれだけいるかわかんないけど
2005年2月を境に大きくこの日記は方針転換した。
最初の頃と比べて目的が少しずつ変化してきている。
そもそもやり始めた理由は2つあった。

  • 気になったサイトの覚え書き

気になったサイトが多すぎて、ブラウザのお気に入りでは収拾がつかなくて、カテゴリ分けも面倒なので、突っ込んでおいて検索できるシステムが欲しかったから。

  • 情報をただでもらうことに対する気持ち悪さの解消

非常に役立つ情報を無料で公開している人がたくさんいたので、自分ももらったものの1%か0.1%か知らないけど提供しないとなんか気持ち悪かったから。


でも2005年2月にはてなブックマークを使い始めて
ブログでサイトの覚え書きをする必要がなくなった。
軽くコメントをつけられるし、タグもつけられるので文句なし。
ただでもらうことに対する気持ち悪さはそんなに変わんないかも。
でも別の理由が浮上してきた。自己アピールと吐き出しである。

自己アピール

近頃の風潮としては、自分の意見のないやつには価値がないとか
存在している意味が無いとか、まあそんな感じじゃないだろうか。
結局のところ他人に話したり文章を書いたりしない限り、情報というのは
伝わらないわけで、何らかのアウトプットが無い限り、その人は
居ても居なくても同じであるという雰囲気になりつつある気がする。
自分の存在価値がないなんて思うと嫌だし、たくさん話をするのも面倒だから
たくさん書いてみよう、とまあそんなところである。
言いたいこととか思ったことはたいてい書いてるから、自分がどういう人か
ってことはブログを読めばかなりわかるんじゃないかと思う。
ここ数年とにかくオープンにしているので、他人から受ける誤解というものが
減ったように思うし、自分自身を理解するのにも多いに役立っている。
一年分のブログは書くのに一年かかるわけだから、自分が個人として
他人から信用を得るための1つの有効な手段にはなり得ると思う。

吐き出し

近頃GTDの本を読んでいるのだが、特に目新しいことが感じられない。
きっと一年くらい前からgoing my wayのkengoさん
http://kengo.preston-net.com/archives/001977.shtml
がちょくちょく書いていることが自然と身に付いているんだろう。
自分の頭をHDDとしてではなくCPUとして使うことが重要ということである。
なんでもとりあえず信頼できるシステムに書き出してみるわけであり
自分にとってそれははてなダイアリーに書き込むことだったりする。
情報を大量にインプットすると、どんどん吐き出していかないと気持ち悪くなる。
信頼できるシステムに何かを吐き出すことによって、それを忘れることが
できるわけだから、いつでも頭にゆとりができて非常に良い。
自分が吐き出すもので、他人に見られたら困るものなんて考えてみたら
ほとんどないわけだから、どんどん出力して、見る人が選別すればいいと思う。
出力されてなければどうやっても見ることはできないわけだから。


いまのところこのあたりが理由じゃないかと思う。
もっといいシステムがあればまた変わっていくだろうし、こだわるつもりもない。
書きながらちょっと誤解を招きそうな気がしたのでちょっと補足。
「存在価値がない」なんて書き方をしたけど、これは単に実用的な
情報を収集するという観点でみたときに限定されると思う。
mixiになんとなく日常の出来事を書き込んで、コメントをもらって馴れ合う
ことだって、実用的な情報はめったに得られないだろうけど、
コミュニケーションの1つの形として否定されるようなことじゃないし
そもそも日記なんだから他人がとやかく言うようなものでもない。
単に自分の好みとして、アウトプットするなら実用的な方がいいと思うから
なるべくデータを盛り込んで、自分にとっても使える情報でありたいと思うだけ。
面白い本、使えるサービス、使えるツール、斬新な使い方、斬新な価値観など
何か役に立つ情報を読む人(未来の自分を含む)に淡々と出していくつもり。