新聞の広告で気になって、武蔵境駅前の本屋で買った。
「新」老人は、若者よりもキレやすい
と帯にあり、印象と事例ベースでいろいろ書いた本。
2005年、刑法犯で検挙された者のうち、65歳以上の高齢者は数にして46980人。平成元年にあたる1989年は9642人だから、わずか16年で約5倍の増加というとてつもない数字になる。この間の高齢者人口の増加が約2倍だから、5倍というのはそれをはるかに超えた数字である。
ということなので、実際に増えているようだ。
人というのは「歳とともに枯れていく」ものでもなければ、「やがて柔和に丸くおさまる」ものでもない、そんな通念は現実を反映していないし、人間の本質をとらえてもいない。
これは気をつけないといけないな。油断してるとこっちがやられる。
居酒屋で客同士が言い争いになった。当事者のひとり、68歳の男は自宅に帰ると散弾銃をもちだし、店に引き返すなり59歳の男を射殺。自分もその場で同じ銃によって自殺した。ふたりは顔見知りで、日ごろから不仲だったと報道されている。
〜中略〜
結果的に殺人に発展するほどの不仲でありながら、なぜ彼らは居酒屋で顔をあわせていたのか。
この辺りが非常に疑問だった。著者の想像はこんな感じ。
生活範囲はせいぜい自宅から数百メートルで、近所づきあいも、またそれをこえた人間関係もほとんどなく、日常の行動パターンも限定される。そうした場合、毎日足を向ける居酒屋や小料理やが、ほとんど唯一のコミュニケーションの場、ある種の精神的な支えになっていることもある。それだけに濃厚な人間関係を生みやすい。
おそらく似たような境遇の彼らは、他に居場所を選びようもなかったのだろう。そのために些細な摩擦は日々大きくなり、「面白くない奴」「気にさわるヤナ奴」「目障りな奴め」と、怒りの感情がエスカレートしていった、と私は想像する。
なんか悲しいな。嫌いな人と会う不快感を我慢する方が、孤独に耐えるよりはマシだったのか。
外の世界を開拓するために労力を費やすことよりも、我慢する方がマシだったのか。
ケーブルをニッパーで切るように、嫌いな人間の情報や嫌いな人間との接触を一切遮断しないのか。
嫌いでもいないよりはマシなのか。そういうものなんだな。
自己顕示欲というのは、けっきょく誰かが反応してくれなくては満たされない。孤島で声を限りに自分の名前を叫んだとしても無意味なように、自己を顕示するためには他者が必要である。自分をひとつの存在として認知してくれる他者を見つけなければならない。
なるべく接触したくないタイプだ。世の中の違うレイヤーに居て欲しい。
老人みんながみんな、よくある話に出てくる長老みたいに
生き字引でも仙人でもないってことがよくわかった。
そんな感じで、読んでて楽しい気分になれる本じゃないけど、一応紹介。
暴走老人! | |
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