本の電子化 その後
前半やりすぎたせいか途中で嫌になってペースを落として、また再開して今に至る。
膝から腰くらいの高さになってくるとブックドラフト(書籍流)の危険性が高まる。
本を切り刻む悲しみの次は、もはや本ではなくなったこれらをゴミ捨て場に持っていく悲しみが待っている。
でももうだいたい終わり。あとは書類をもう少しやって、埃を拭き取って返却する予定。
この件に関していろいろ言われたけど、話が噛み合ずになんだかなってことが少なくない。本と言ってイメージするものが人それぞれ違うからそうなってしまったのかもしれない。大学とか高校とかの同窓会名簿をPDFにしたら検索できて非常に便利だし、大学の教科書、ノートのような基礎になるものは、必要だけどすぐには使わないのでPDF化したい。
これからシンガポールに行って、着いたら2週間後に引っ越して、4ヶ月住んでまた引っ越す予定なので、荷物は少なければ少ないほどいい。シンガポールの湿度で紙がやられそうだし、そもそも送料も高い。日本に残していって読まないんだったら存在価値がないわけで、電子化しない理由がないと思ってる。人それぞれ事情は違うので、当然考え方も異なるだろうけど、他の人が自分のような状況になったらどういう選択肢を選ぶのかな、というのが個人的に気になるところ。
紙の良さというのは、石板の良さ、羊皮紙の良さと並べて考えてもいいんじゃないかと思うし、本の良さというのが、巻物の良さと並べて考えてもいいような気がする。もうカセットテープ、フロッピーディスクは全部捨てたし、CDもそろそろ消える。思い出ってなんだろう。これから結婚・新生活のときに買ったものを捨てるんだが。
おまえはいつから追憶にひたるようになった。追憶は青春の終りを意味する。すべてはこれからではないか。計画もなく、資金もない。なにをはじめるにしても、容易でないぞ。それができるのか。
明治・父・アメリカ - technophobia
できる、と自分に答える。なぜだ、なぜでも。その自信があった。それはたしかだ。なぜ、そう断言できる。いままでの体験によってだ。
それにそんなにネガティブに考えることはないと思う。
Googleジャパンの村上社長は、「2009年にはおそらく、"人類の知"と呼ばれる分野のデータはすべて検索可能になるだろう」と予想した。2006年の現在、すでに美崎薫個人の知は検索可能になっているので、2009年に来る3年後の未来は日々体験ずみである。
「記憶する住宅」そして未来へ - 記憶を発想に高めるコンピュータ環境を作る (1) 記憶する住宅~デスクトップneo | マイナビニュース
4年遅れだけど、never too lateという言葉もあるわけで。あとこれが知りたい。
デジタル技術は記憶を変えようとしている。根本的に。
美崎薫さんは「2009年に来る3年後の未来は日々体験ずみ」なんだって - bookscanner記
それからもう一つ重要だと思っているのは、本が本を読むこと。
「ある本に違う本を読ませて、自分の中の文章がどこに出てくんのか、自分の中の文章がどっから来たのかってのを探してる」
Amazonで「本が本を読む」様子でもみましょ - bookscanner記
「こちら側」で「しめしめ無料で本が読めるぞ」なんて考えている私を尻目に、というより、「お金持ってない私にも本にアクセスできるようにしてるんだから、フェアーユースだ!」なんて感じで私をダシに使って、Googleはどんどんスキャンを進める。でも、「あちら側」では、「本が本を読」んでいるんだから、本当のこと言えば、私は要らない。スキャン画像も要らない。だから、多額の費用をかけてスキャンした画像も、いとも簡単に公開しちゃう。画像はいわば、ニボシか鰹節みたいな存在。ダシとった後なら、ただで配っても、痛くも痒くもない。だって、うまみは、すでにGoogleサーバーの中だから。
本の電子化の「あちら側」 - bookscanner記
大切なものはなんなのか、ということをもう一度考えてみてもいいと思う。ここ数日、本と戯れていて辛かったけど楽しかった。スキャンのノウハウも実体験から習得できた。そろそろ引っ越しの他の準備もやらないと。