ボカロ耳と純米酒

声を電子楽器のように扱ってボーカルパートを機械的に生成できるボーカロイドというソフトウェアが世の中に出てきてから10年が経過した。言ってみれば合成音声の産物なのでいわゆる機械っぽい歌声になることが多いが、職人がうまく調教すれば極めて人間の歌声に近いものになる。例えばMitchie Mという方が作った作品は神調教と呼ばれていて、極めて人間の声に近いというより区別が困難だったりする。近頃は人間の歌声に意図的にエフェクトをかけて機械のような効果を出すケースも珍しくないので、結果として人の歌声に近いボーカロイドと機械に寄せた人の歌声は重なっていると言っても過言ではない。

あまりボーカロイドに馴染みのない人にとっては、人間の歌声の方が聞き慣れているので、よく調教された人間に近い声を好ましく思い、機械のような歌声に対しては抵抗を感じるかもしれない。しかし何度も聞いているうちにボーカロイドの歌声に耳が馴染んでいくという現象がある。大抵は慣れの問題なのでそういうことは珍しくない。進化なのか退化なのかわからないが、そういう現象をボカロ耳と呼んだりする。

ボカロ耳になって様々なボーカロイドの歌声を楽しめるようになると、一つわかることがある。人間の歌声に近づけるだけが正解じゃないということだ。ちょっと機械っぽかったりちょっとぎこちなかったりするのも個性であり、いろいろな形の良さがある。もちろん神調教はすごいわけだが、機械っぽさをあえて残した他のスタイルだって甲乙つけ難い良さがあり、そんな多様さがこの文化圏の豊かさと呼んでもいいだろう。

突き詰めれば一つの正解に収斂されそうな印象を与えがちだが、実際には収斂される手前のところに多様で豊かな世界があると考えると、やや唐突ではあるが日本酒の純米酒の世界に近いものを感じた。純米酒純米吟醸純米大吟醸は米粒の何%を使うかによって分類されている。米粒の半分以上を捨てて中心部ばかり使った大吟醸は値段でいえばこの中で最も高くなるし、無論とても美味しい。しかしそこまで削っていない純米酒にしても米らしい味が残っていて非常に個性豊かなのも事実だ。個人的には純米大吟醸よりも純米酒の方が好きだ。

よく知らない人ほど強引に雑にまとめたがり、何か一つの正解があると想定して進みたがる。そして何もわかっていないのに知ったかぶりをする。でも大切なのは強引に決めつけられた正解じゃなくて、自分自身が変わることなのだ。深く知ること、違いを楽しみながら経験を積むことがなければ大雑把で表層的な感じ方しかできない。自発的に調べたり、ちょっと行動を起こしたりすれば、基本的なところを知るのにそれほど時間はかからない。問題は色んな分野の基本的なところを知ってしまうと、面白そうな世界が広がりすぎて楽しむ時間が足りなくなってしまうことかもしれない。