デジタル新興国論とロックダウン

2月中旬にバングラデシュからインドに戻ってきて、なんか異様に忙しくてずっと仕事をしているうちに、インドが鎖国を始めて自分のビザが一時停止された(3月3日)。仕事が落ち着いたらインド国内旅行でもするか、と思っていたら、いろいろ飛行機が飛ばなくなり、そしてロックダウンにより自宅からも出られなくなった。

それで不便で不自由かといえば全然そんなことはなくて、堂々とひきこもれて最高じゃないかとすら感じている。何しろ物理的に会社に行かなくていいのが素晴らしい。行きたくても行けないのだからしょうがない。正直旅行行くくらいしか外出しないので、どうせ旅行できないならロックダウンだろうがなんだろうか個人的に大差ないのである。買い物だってレジで並ぶのが嫌だからいつもアプリで注文してる。

bitにできるものはbitで扱い、atomにする必要があるものだけをatomにするという、現代人としての最低限の嗜みさえできていれば、自分の場合は仕事も生活も大して困らないのである。さすがにまだbitで腹は膨れない(中枢神経系をbitでhackすれば空腹は紛らわせそうだが、栄養は摂取しないといけない)ので、そこはある程度atomが必要になるが、食材の流通インフラはわりと安定しているし、久々に自炊を再開してパスタとかシチューとか肉じゃがとか作ったりしている。このまま引きこもりが続くとお酒を作ったり、お菓子を作ったり、小麦粉から何かを錬成し始めてもおかしくない。やろうと思えば家の中でやることなどいくらでもあるのである。

デジタル積ん読などは、数えていないがたぶん数年分あるし、本を読むことに飽きたら、こうやって自分の考えていることを書き出せばいい。旅行の計画を立て始めればエンドレスにやることはある。そもそもリモートワークとして、これまで通り普通に仕事があるので、横山光輝三国志60冊にまだ手を出せる状態ではない。

コロナ以後、リモートワークだのデジタルトランスフォーメーションだのが進む、みたいなことを最初思っていたが、どちらかといえば選択肢の問題なのかなと感じるようになってきた。bitベースのライフスタイル、ワーキングスタイルだと、オフィスがあろうがなかろうが、家から出ても出なくても大きな違いはないので、取り得る選択肢が増えるとでも言えばいいんだろうか。atomベースのライフスタイル、ワーキングスタイルだと、ロックダウンみたいな選択肢は極力避けたいだろう。そのような選択肢を取らざるを得ない状況になると、非常にストレスが溜まったり仕事が全然進まなかったりするのは容易に想像できる。

そんなところで「デジタル新興国論とロックダウン」みたいなフレーズが思い浮かんだ。QRコード決済は、現金やカードの受け渡しもないし、店の端末でパスコードを入力する必要もないから感染リスクが下げられるとか、デリバリーが発達した世界では、外出の必要性が大幅に削減できるとか、レガシーが少なくデジタル化が進んだ新興国は、案外感染症対策やロックダウンという点で優位ではないかと感じるのである。失うものが少ないと何でもできるけど、失うものが多いとなかなか動きにくいみたいな状態かもしれない。会社からは日本に帰ってもインドにいてもどちらでもいいと言われていて、インドに残ることを選択しているのは、そういう理由からである。

まあ、不謹慎ながらこんなカオスな状況が面白くてしょうがないという気持ちも否定できない。わざわざ遠い国に一人旅にでなくても、非日常が自分の生活圏にやってきたのだ。私の旅はいつもこんな予測不能なことばかりだし、そのおかげで全然退屈しなくて済むのである。

最後に、2002年に読んだブログ記事を引用しておこう。

MylifeBitsプロジェクトの話を聞いたとき、真っ先に思い出したのは、こんなシーンだった。彼の家で(ちなみに彼の家の中はこの雑誌記事の写真で雰囲気がわかる)話をしていたとき、玄関に宅急便が届いた。開けてみたら、ソフトが入ったCDが一枚、厳重に包装されてした。どこかのソフトウェア会社がゴードンに見てもらいたいソフトを送ってきたようだったのだ。開封するとともに、みるみるうちに、温和なゴードンの顔が険しくなって、烈火のごとく怒り出した。「何でこんなバカなことが起こるんだ!!! 送りたいのはbitsなのに、こんなstupid atomを送りやがって、くそっ、バカヤロー、・・・」と叫ぶや否や、包装紙やらパッケージやら、そういう送られてきたもの全部を地面に叩きつけて、踏みつけて、バカだ、バカだ、といつまでもブツブツ言っていた。

https://japan.cnet.com/blog/umeda/2002/12/14/entry_post_31/