本能、行動、内省

ドナルド・ノーマンのエモーショナルデザインという本を読んでいて
なかなか興味深い箇所があったので、紹介しようと思う。

エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのために
エモーショナル・デザイン―微笑を誘うモノたちのためにドナルド・A. ノーマン Donald A. Norman 岡本 明

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starsもう少し「情動」に深みを持たせて欲しい
stars情動の不思議さ
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デザインをおおざっぱに3つのレベルに分けると

  • 本能的デザイン 外観
  • 行動的デザイン 使うことの喜びと効用
  • 内省的デザイン 自己のイメージ、個人的満足感、想い出

となるらしい。デザインに限らずいろいろと当てはまりそうな気がした。
ここのブログで時々論理(ロジック)と情熱(パッション)という
表現をするけど、だいたい論理が行動的デザインで、
情熱が本能的デザインか、内省的デザインになるかと思う。


理解が合ってるかわからないけど、例を挙げると、
子供用の靴を見たとき
「かわいい」(本能)、「履けないな」(行動)、「懐かしい」(内省)
絵を見るとき
「すごい(ゾクゾクする)」(本能)、「どうやって描くんだろう」(行動)、「やっと出会えた」(内省)
映画を見るとき
「わー(感動する)」(本能)、「このアングルはすごい」(行動)、「この監督嫌い」(内省)
かなりてきとうだけど、こんな感じじゃないのかな。
最近感じるのは、自分が行動というか、合理的なものばかりではなく
けっこう内省的に物事を見て意固地になったりするなあ、ということ。
三つのうちのどれかに固定されてるんじゃなくて、行ったり来たりする。
受け手のその日の気分でもいろいろ影響されるし、あやふやなものだ。
おおざっぱに切り分けても、この三つのレベルがあるわけで、
別の側面から見ていたら、考えてることは平行線を辿るだけ。
物事はみんなごちゃ混ぜで、全て正しくなく、全て正しいんだろうな。