当たり前の積み重ね

ローカルのバスを乗り継いで、クスコとマチュピチュの真ん中あたりまで来た。
やっぱり楽しい。何時に出発かもいくらかかるのかもさっぱりわかんないけど
それらしい場所に来て目的地を連呼してたらだれかが何とかしてくれる。
日本語も英語も通じないいい人ってのは、本当にいい人だからありがたい。


ここにきてなぜ自分がお金をあまり信用していないのかわかった。
物々交換とかいう言葉がわりとすぐに出てくるのかわかった。
こういうローカルのバスでどこかに置き去りにされた時、お金なんて
何の役にも立たないからだ。タクシーなんて来るわけないんだから。
もっと大切なのは、ちょっと機転が利くとか、見知らぬ誰かの善意に頼れるとか
状況を把握しているとか、自分がgiveできるのは何かわかってるとか
そういうことだろう。お金持ちよりもそれができる人になりたい。
だから世界的に見てニッチなお金よりも、もっと汎用的なしぶとさ
サバイバル的なもの、自然に誰かをハッピーにできることに興味がある。
今日の天気のように少しずつ霧が晴れていくのを感じる。
朝に宿を出た時は雨が降りそうだったけど、ありがたいことに晴れてきた。


ふと思ったが、10年前の自分、高校生のころの自分には、
バックパックを背負ってマチュピチュに一人旅をすることなんて
想像もできなかった。遥か遠くのあり得なかったことが、今ここにある。
オーストラリア、フランス、ベトナムとカンボジア、アメリカとカナダ
インド、イギリス、そしてペルー。段階をふめば大したことはない。
以前すごいと思っていたことは、当たり前のことの延長線上にある。
当たり前のことを積み重ねるだけ、ちょっと前に踏み出すだけで
次に進めるし、それが楽しい。大変なことになっても過去を思い出せば良い。
インドのあの山岳寺院に比べたらたいしたことないとか、
カンボジアのあのひどい道に比べたら大したことないとか
思いながら、そうやって一つ一つ当たり前を積み重ねていれば
以前は見えてなかったものがきっと見えてくるんだと思う。そう信じたい。