ときどき出てくるネコが語尾ににゃあにゃあつけるのが邪魔くさいけど、内容は非常に面白かった。
- 作者: 山井教雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/01/19
- メディア: 新書
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パレスチナ、イスラエルあたりの話は断片的にいろいろと目にするけれども、聖書のあたりまで遡りそうで、かなり複雑そうという印象しかなかった。その背景が非常にわかりやすく書かれていて良かった。
とりあえずこういう定義すら知らなかったので参考になる。
イスラム教は旧約聖書や新約聖書も経典として認めているから、同じ「経典の民」としてユダヤ教徒もキリスト教徒も敬意を払われていたんだ。だから中世のイスラム諸国では、税金を払えば、ユダヤ人もキリスト教徒も、改宗を迫られることなくイスラム教徒と平和に共存できたんだ。
剣かコーランかというインパクトが強いが、そんなことはないそうだ。
イスラエル建国は、土地買収から始まったらしい。
独立させてくれるといったイギリスの約束を信じて、アラブ軍がロレンスと一緒にオスマン軍と戦っているころ、イギリスはユダヤ人の大富豪ロスチャイルドに手紙を出して、ユダヤ人たちが戦費を賄ってくれるなら、パレスチナにユダヤ民族のホームランドの建設を認めようと言った。(1917年バルフォア宣言)
さらにひどいのは、フランスとの間に、大戦後のオスマン帝国領はイギリス、フランス、ロシアで山分けにする密約ができていた(1916年サイクスピコ協定)
外交がうまいというかペテンというか、まあいろいろすごいな。パワーバランスを見極め、最適なタイミングで、適切な外交カードを切るなんて想像しただけでも困難極まりない。きっと政治だけでなくビジネスの世界にもこういう例はいろいろとあるのだろう。まともにやりあっても勝てる気がしない。学べることはいろいろとありそうだ。
ハシム家次男のアブドラがヨルダン王となり、ハシム家三男のファイサルがイラク王となり、サウド家のイブン・サウドがアラビア半島を統一してサウジアラビアの独立を宣言。
ここらへんもまた入り組んでいてややこしい。
中東戦争がたくさんあってよくわからなかったが、この本で少し理解できた気がする。平和とは戦争と戦争の間のつかの間の期間を指すという意味がわかった。そしてPLOの背景もざっくりとわかった。
どの立場にいるかによって印象は大きく変わる。そんなことを考えさせられた。PLOが戦争を拡大させているような気もするが、PLOがいなければパレスチナ人という存在が忘れ去られて、イスラエルにより存在ごと抹殺されてしまうんだろう。
- 1973年第4次中東戦争。
エジプトのサダトとイスラエルのベギンの和平交渉は暗礁に乗り上げ、サダトはアメリカに仲介を依頼。1979年エジプトとイスラエルの平和条約が結ばれる。
- この後サダトは暗殺されるけど、エジプトとイスラエルの和平は現在も継続されている。
まあイスラエルも全方位を相手にするのは大変だから、エジプトと一応条約を結べて、少しはやりやすくなったんじゃないのかなと思った。この段階で十分に複雑だけど、さらにイランとかサダムフセインとか出てきてどんどんややこしくなる。
- 1979年イランイスラム革命により、パーレビ王朝(CIAによって作られた政権)が倒される。ホメイニーの呼びかけによってイランの学生が53人を人質にとってアメリカ大使館を14ヶ月占領。
- 同年、サダムフセインがイラクの大統領となる。
1980年イラクがイランに戦争を仕掛ける(イランイラク戦争)。アメリカはイラクを積極的に支援。この戦争は8年続いた。
自分より上の年代の人たちはきっとこの辺りを当然のことのように知っているんだろうけど、まだ生まれてなかったし、それほど興味もなかったので断片的にしか知らなかった。アフガニスタンはさらにややこしい。
- ずっと王制だったが、1973年にクーデターが起きて共和制となり、1978年に共産主義的な政権となる。各地で反乱が起きたため、ソ連が1979年に軍事介入。しかし10年間も続き泥沼状態。長引いた原因として、アメリカが反ソ・ゲリラを支援して戦闘訓練を施し、武器もどんどん与えたからだとか。そのゲリラの中にはオサマ・ビン・ラディンもいて、テロリストグループ「アルカイダ」を作り、ソ連を追い出した後、矛先をアメリカに向けたそうだ。
イラクを支援してイランを攻撃させ、アフガニスタンの反政府組織を支援してソ連を攻撃させる。でも支援しすぎて強くなりすぎてしまったから叩いておく、というのがアメリカのスタイルな感じ。武器を売っている人たちはずっと儲かりっぱなしだな。この後は少し記憶に残っている。1990年湾岸戦争。
- イラクがクウェートを侵略、占領して湾岸戦争が始まる。ブッシュ(父)のときに、アメリカ軍を中心に結成された多国籍軍でクウェートを解放。その後ブッシュ(父)はパレスチナ問題の解決に乗り出す。
- 1993年クリントンの前でラビンとアラファトが握手(オスロ合意)
- ラビンは暗殺される。アラファト、強気になりすぎて、パレスチナ独立国家樹立の機会を逃す。
- 2001年9月11日、世界貿易センタービルとペンタゴンが攻撃される。
- ブッシュ(息子)はアルカイダを、シャロンはアラファトをターゲットにする。
- ブッシュ(息子)、アルカイダのついでにサダムフセインも攻撃
- ブッシュ(息子)、パレスチナ問題に無関心だったが、アラブ諸国の支援を得るために和平交渉に着手。アッバスをパレスチナの首相としてシャロンと交渉させ、ロードマップを一時は受け入れたが、アラファトが権力を手放さないので頓挫。
- シャロンはヨルダン川西岸にコンクリートの壁を作り始める。パレスチナ人の町が分断され、買い物客が来れず商店が閉店。ある町では失業率が67%。
- 2004年、アラファトがパリの病院で死去
この本に書いてあるのはここまで。疑問に思っていたことがいろいろと解消された。そして今後も困難な状況が続くのだろうと推察される。どうやっても他人事になるんだろうけど、関心を持ちつづけたいと思った。The Economistのpolitics this weekが少し身近になったような気がする。