新聞がなくなる日 後編

シリコンバレーツアーのエントリーシートっぽいやつをさっき書き上げて送った。
なんかいつのまにかぎりぎりになっていたがちゃんと間に合ってよかった。
近々その内容もアップロードするけど、今日はとりあえず、ずいぶん前に
書いた書評というか感想の続きを書こうかと思う。
新聞がなくなる日

新聞販売専業店 21000 コンビニ 45000 寺院70000
郵便局・小学校23000 交番・駐在所16000

コンサルティングファームの面接をするなら知っておいた方が便利な数
「日本国内のコンビニは約45000店」日本の○○はいくつって聞かれたときに
指標となる数があると便利なんだが、直接は関係ないか。
それにしてもなかなか新聞販売専業店の数は多い。

日本5200万部 アメリカ5500万部
94%の新聞が新聞店経由 専業副業含めて45万人 年総売上2兆円以上

人口がかなり違うのに部数がさほど変わらないのはすごい。
ほとんど新聞店経由なので、個別販売網はすさまじい。

広告7300億 スタンド即売700億 販売店経由で一兆7500億
配達料6500億 拡張補助金 1500億 折込チラシ3000億

上段が新聞社に入ってくるお金。下段が販売店に入ってくるお金。
つまり宅配の新聞売上が年間1兆7500億だが、その4割を配達料金として
販売店に渡しているということ。折込みチラシの売上はそのまま販売店の
利益となっている。スタンド即売はほとんどないというのがわかった。

アメリカの新聞は売り上げの90%以上が広告 日本は36%
読者の三分の二以上が十年以上の長期購読者

アメリカではチラシがなく、日本のチラシのようなものは新聞の中に
印刷されているらしい。広告費がこれだけ占めているなら売上が落ちても
それほど影響はなさそうだけど、日本だと大ダメージだ。

18歳から35歳までの男女1600人を抽出
専門記事も少ないしたまにあっても内容は掘り下げていないから
月極めの購読の価値がない。仕事に役立つニュースが少なく問題提起だけで
解決を示す提案がない。家では取らないけど会社ではけっこう読んでいる

アンケートの中身がいくつかピックアップされていたので、その中で興味深い
ものを引用した。これは同感だ。あんまり専門的な内容にしても読者が離れる
からか知らないけど掘り下げが足りなく感じる。数人でシェアする価値はある
と思うんだけど、一人で購読するだけの価値があるとは思えない。

テレビ188分、インターネット91分、ラジオ41分、
漫画や週刊誌などの雑誌33分、新聞15分

どっかの統計資料が紹介されていた。意外とラジオが多いな。
自分の場合はネット200〜300分、本や雑誌150分、あとはゼロか。
これはこれでちょっといびつかもしれないけどまあいいか。

新聞を読まないことは恥ずかしいことである
新聞休刊日の朝は物足りない気がする

こういうふうに感じるかどうかという調査をしていて、年齢が上になればなる
ほどこのように思うという結果が出ている。新聞好きな自分は、実はこのよう
に感じる。小さい頃からずっと新聞を読んでいると、なんとなくないと物足り
ないのだ。

メディアミックス
ニューヨークタイムス「あらゆる媒体を結合し、言語の世界の中核体となる
単なる情報の配信屋ではなく優れた知識の伝道者の路線を進む」
シカゴトリビューン「新聞は民主主義の夜警ではない。報道と娯楽の総合
情報産業だ」CATV,ポータル

アメリカでは日本より数年早くインターネットが普及し、新聞紙が衰退して
いるので新聞社もいろいろと対策を練っているようだ。それで、よく言われて
いるようにメディアミックスという考え方が出てくるのだが、会社によって
スタンスが違うのでけっこう面白い。日本の新聞社はどういう方向を目指して
いくんだろうか。

ネット上の落書きみたいなものを書きまくっているド素人たちが新ジャーナリ
ズムを形成していけると思うか?プロがいなければどれがいい原稿なのか
ジャッジできないじゃないか。新聞が社会の公器といわれるゆえんは情報を
しっかりと取捨選択するプロのゲートキーパーがいるからだ。娯楽と速報と
センセーショナルが売り物のテレビや無数に飛び交う無編集のインターネット
やガセネタの過ちを断ち切る唯一の媒体が新聞じゃないか。

これは著者に対して新聞記者が言った言葉らしい。言葉の定義があいまいで
新聞の強みがごちゃ混ぜになっているのでわかりにくいという印象を受けた。
前にも書いたが新聞社に比べて情報収集能力に劣る個人が一次情報を発信する
のは困難だろうと思う。そのため新聞社抜きでジャーナリズムを形成するのは
厳しい。でもプロがいなくたってどれがいい原稿かジャッジして、情報を
しっかり取捨選択することは個人にだって十分に可能だろう。誰もができる
わけじゃないけど、特定の分野に対して精通した個人であればできるはずで
ある。情報のジャッジは新聞編集者のみに与えられた特権ではないのだから。
だいたい、これだけ個人でカスタマイズが進んだ現在において全員に同じ
内容の情報を提供する新聞やテレビのキー局は時代遅れだとは思わないん
だろうか。囲い込みはそう長く続かないはずである。そもそも嘘が嘘であると
見抜けない人にはインターネットを使うのは難しいわけで常に疑いをもって
情報に接するべきである。日経新聞だってたくさん間違った記事を書いている
んだから信頼できるメディアがあると考えること自体幻想じゃないか。

価値判断をあまり必要としない一次情報を収集・伝達する単純な仕事、
ジャーナリズムではない。洗練された情報など欲していない。
世の中の出来事や芸能人のゴシップなどをメモ風に簡潔に速報してくれれば
それで十分の仕事なんて一次情報の通報屋に過ぎない。現在の大手通信社が
情報の取捨選択を行い送稿する記事はこれを編集すればそのまま新聞として
通用するものばかりだ。

これは先ほどの発言の続き。一次情報の伝達なら新聞社が強いと思ったのだが
この記者によるとそんなものはジャーナリズムではないらしい。できるだけ
パースペクティブに物事を見たい自分にとって、ジャーナリストの押し付ける
解説というのははっきり言って邪魔である。自分で理解している分野であれば
ファクト以外に必要なものは何もない。自分の知らない分野で多くの視点からの
考察があるのならば情報として有益なのかもしれないけど。