第8回 ブログを書いてみる

信頼

先日greeで見ず知らずの人から「一緒にネットビジネスを始めませんか?」というメールが来た。この日記を読んだとか書いていた。そういえばgreeには大学名もちゃんと書いてたから、そういう影響もあるかもしれない。まあそれはどうでもいい。
どーゆービジネスやるのかな?って思ってその人のところを見てみたが、ブログも日記もない。すげー面白いブログを書いてる人とか、非常に役立つブックマークを公開している人だったら話を聞いてみたかったんだけど、残念ながらそういうわけではなかった。逆に言えば、そーゆーのがわかんないから、こっちにメールを出したのかもしれない。でも技術的なところ以前に、そもそもわかっちゃいないな、と思った。で、メールの返事も出さずに今に至るわけである。「興味なかったら無視してください」って書いてたし。ブログすらない見ず知らずの人を信じるに足る根拠はないということ。だってどんな人なのか全然わかんない。

伝達

言わないことは聞こえない。書かないことは伝わらない。人と会って話せば良いかもしれないけど、ずーっと話しているわけにはいかないし、時間は限られている。ブログなら時間が合わなくてもいつでも読めるし、過去ログが大量にあるならさかのぼって読める。直接会って、文書をたくさん読めば、その人のことを非常によく理解できるのではないかと思う。1000日ブログを書くということは自己開示の連続であるわけだが、この結果人から誤解されることが非常に減った気がする。人を理解するのに、非常に有効なツールかもしれない。はてなが採用のときに参考にしている意味がなんとなくわかる。
jkondoの日記 - ブログで人材採用
http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20051215/1134601112

ブログはインターネット上の人格みたいなもので、履歴書と言う実社会の人格を表す書類と同時に、ブログというインターネット社会の中での人格が無いと、なかなかその人を判断できないのではないかと気付いたのです。
履歴書と言うのは1日あれば誰でも作れてしまうわけですが、例えば1年分のブログというのは1年間かけないと作ることはできません。その中には、はてなへの入社を目的とした内容だけでなく、本当の自分の姿、興味、性格などがより出ているわけです。
ですので最近は、応募者のブログを何か月分も読んで採用の判断を行うことが増えています。インターネット企業に限らず、採用の際に自分のブログの提出が必要な企業がこれから増えてくるかもしれません。

存在

よく「googleで見つからないものは、存在しないも同然」と言われる。会議では、「発言がない人は石ころと一緒」というのかもしれない。ネット上では、少なくとも「アウトプットがないと存在しないも同然」なんだろう。コード書くか、ブログ書くか、写真撮るか、動画撮るかして、公開しないとウェブという世界では存在しないも同然なのである。ウェブに存在してないと面倒なのは、自己紹介。あとはここ読んどいてってことが言えない(普通言わないか)。最近感じるのは英語ブログを書いてないとwebの世界に存在しないも同然なんじゃないかということ。日本以上にそういう感覚がところでは、なおさら重要のような気がする。会社に勤めていれば、なんとなくぬるま湯な気がするけど、会社じゃなくてお前は何者なんだ?と聞かれたときに、きっちり応えられるような実績だとかそういうものがないわけだ。ブログがその第一歩になり得るという程度。個人で何か成し遂げているなら、まあいいんだけど。

まとまらないけど、まとめ

いろいろと心境の変化があって、当初のイメージとは違った内容になった。いろいろとメリットを挙げていこうと思ったんだけど、最近別にブログ書かなくていいんじゃね?って思うようになったんで、ちょっと中途半端な感じ。書くのが面倒になったってわけじゃない。人それぞれやり方いろいろあるから、やりたければやればいいんじゃない?って思うのと、個人的にネットやりすぎなんで、徐々に減らしていこうかと感じているにもかかわらず、ツールの使い方とか説明してるのはなんだかなあということ。
ハイパーメディアクリエータの高城剛
http://xcool.cocolog-nifty.com/xcool/2005/08/xcool_podcast__7e52.html
が雑誌で「ラリー・ペイジが電気自動車の会社に投資してるし、時代は脱ネット」みたいなことを書いてたんだけど、確かにそうかもと感じているわけである。