ウェブ人間論

ウェブ人間論
ウェブ人間論梅田 望夫 平野 啓一郎

おすすめ平均
stars自分なりに考えてみる
starsウェブ進化論』の続編として
starsあくまで「人間論」
stars壁を超えられる人は、本をたくさん読んでいる人
starsリアリスト梅田のコメントが冴える一冊

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気になったところを書き出して、思ったことを延々と書いたら、長くなりすぎてしまった。そういうわけで半分くらいばっさり切って、載せてみることにする。

今の僕は、朝四時に起きてトータルで一日八〜十時間位ネットにつながっていて、「ネットの世界に住んでいる」という感覚なんです。
ネット上の僕の分身が僕のブログだから、そこはまず行きます。現実世界でも、「家、火事になっていないかな」って心配したり、家族が元気かどうか確かめるために電話したりしますよね。

自分のブログが気になるという感覚は非常によくわかる。自分の場合は、そこまでネット中毒になることが、ある種の病気なんじゃないかと思って時々後ろめたい気分になるんだけど、梅田さんはそうじゃないらしい。「ネットに住んでます」なんて言ったら、普通ただのひきこもりだよな。こういう感覚が古いのかもしれないけど。

僕にはどうしても、一個の人間の全体がそんなに社会的に「有益」であり得るとは思えない。
現実のコミュニケーションが、そうしてますます、個人の「役に立つ」一面にしか興味を示さなくなって、それ以外の思考や言動、あるいはそうした人そのものを閉め出しつつあるのだとすれば、その無益さにも貴重な意味があると考えるべきだという気がします。

この平野さんの言葉には、非常に考えさせられた。いつからかわからないけど、有益か否かで物事を判断するようになってきたから。ちょっと狭い考え方だったのかもしれない。でも時間は限られているんだし、難しいなあと思う。面白くないものをずっと読むほどひまじゃないしな。

ネットの魅力の感じ方って、リアルな空間での自分の恵まれ度に反比例すると思うんですよ。

ここまで単純なのかな、と思ってしまう。リアルな空間で無駄に忙しくて何も考えられない人とかは、当てはまらないような気がする。リアルな空間で暇をもてあましていて、ネットというのはわかるんだけど。費やす時間が大きく関わっているような気がする。

僕は職業柄、よく考えるんですが、自分を語ることは、自分を知ることではあるんですが、同時に自分を誤解することでもあると思うんです。僕はこんな人間だ、と語ってしまった瞬間から、そう信じてしまうわけですけど、結局は言葉ですから、本当はちょっとズレてしまっているわけで、それで逆に自己規定してしまってもいるんでしょう。

これも考えさせられた。短い文章なら確かにそうだけど、ブログの量が膨大になれば、自然とズレが小さく収束していくような気もする。何回も書きながら少しずつブレが出てくると自分に近づいていくんじゃないだろうか。

ネットで何か新しいことをやろうとしたら、ほとんどタダですぐに出来ちゃうからすごいことは起こるんだけど、その達成に比べてお金はあまり回らない。

これ、もっと強調して欲しい。軽々しくネットでビジネスとか起業とか言ってる人って、あからさまにこの感覚を理解してないような気がするんで、そこまで声の届く人がちゃんと伝えてあげて欲しい。なんかもう痛々しくて見てられないから。

  • でも、本に対してフェティシズムがないなら、データのやり取りで十分なんじゃないかと思うんです。
  • 本とCDが一番違うのは、本はプレイヤーがいらないスタンドアローンなメディアだということです。
  • 「読める、読めない」のところに線を引くっていうのではなくて、「読める」というところは両方OKで、パッケージ性のところで線を引くっていうのがこれからの時代だってことだと思いますね。

このやりとりは、特に面白かった。個人的に本に対するフェティシズムがかなりあるので、そこを端的に表現されてしっくりきた。これまでスタンドアローンという視点はなかったけど、これは非常に大きな強みだと思う。これまでは「パッケージ=読める」だったけど、ネットで「読める」のポジションが大きくずれてきたから、自然と線引きも変えた方がよさそう。クリエイティブコモンズみたいに。

  • ただグーグルの連中は、歴史とか政治とか、そういう人文系の深いことは何も考えていないんですよ。熱中しているのは数学とITとプログラミング、そして「スターウォーズ」が大好き、という感じの若者たちが多いですから。
  • 会話の中で、よく「ダークサイドに堕ちる」「堕ちちゃいけない」なんていう言葉を使っていますしね。
  • 冗談だけど半分本気なんでしょう。

陽気な実践主義とでもいうべきか。結局のところ評論家はいらないわけで、結論の出ないことをぐだぐだ考えるとか、結果の出たものを後から理由付けするよりも、何かを作っちゃおうって感覚なんだろう。
「冗談だけど半分本気」という表現はかなり的確だと思った。

  • でも、そこにお金が絡んだりしたときには変わりませんか?
  • 大金を積まれたら・・・・・・というようなことですね。普通の感覚では理解できないかもしれないけれど、それはちょっと考えにくいんですね。そんなはずはないだろうと、アメリカでも日本でもよく訊かれるんですけどね。
  • 僕は凡人だから、つい、人間って、そんなにいい人たちばっかりだろうかと考えてしまいますが。
  • 要するに、いい悪いじゃないんですね。好きで好きで仕方ないことを続けられるその世界を守りたいから、そうなっているんじゃないかな。

この感覚のギャップが一番大きいのかもしれない。ブログを長く書き続けるのもそうだけど、お金がどうこうって話じゃない。ネットを使い込むと非常に実感する。そういえば何ヶ月か前に書いた。
Lazy Suits - カネに基づかない経済
http://d.hatena.ne.jp/pho/20060828/1156779606
手持ちのキャッシュを最大化することよりも、もっとわくわくすることがたくさんあるわけで、楽しいかどうかという基準で選ぶわけだけど、きっとわかりにくいだろうな。

僕の場合、時間の制約ということを痛烈に意識しはじめた四、五年前から、付き合いたくない人とは付き合わないということを最優先事項にして生きようと明示的に決めました。

40過ぎた頃の梅田さんがこういうことを決めちゃうのはありかもしれないけど、25歳の自分がそういうことをやっちゃうのはどうだろうとふと思った。でもやっぱりストレスなくて楽だから、けっこう前からそういう方向でやっちゃってる。世界を旅したいと思ったり、いろいろ経験したいと思ったらもうすでに時間がないわけだし、25歳の自分というのは一年間しかないわけだし、どうせなら楽しく暮らしたい。いつだって時間は貴重だからまあいいか。

ハッカー・エシックスとは、どういうものでしょうか。ハッカーの倫理ですか?
プログラマーという新しい職業に携わる人たちが共有する倫理観とでもいうべきものですね。プログラマーとしての創造性に誇りを持ち、好きなことへの没頭を是とし、報酬より賞賛を大切にし、情報の共有をものすごく重要なことと考える、そしてやや反権威的、というような考え方の組み合わせというか、ある種の気概のようなものです。

いつの間にか、ハッカー・エシックスのある友人としか付き合えなくなってきた気がする。ちょっとまずいかも。でも明らかに受け入れられなくなってしまったんだから、困ったもんだ。そういえば自分はスーツ族だった。スーツ族がハッカー・エシックスなんて考えたら、仕事にならないような気がしないでもない。なかなか難しい。
Casual Thoughts - 『ウェブ人間論2』への期待
http://d.hatena.ne.jp/ktdisk/20061217/1166346465

本書に記載されいている対談内容は、あくまで序盤戦であり、ブログスフィアでは、今後様々な参加者が入り乱れながら本戦が展開されるのだろう。その本戦へのチケットと考えれば、¥680は非常にリーズナブルである。

チケットってなかなかうまい言い方をすると思った。
読んでないと言葉が通じなくて入れないわけだから、
そうだろうな。そう考えると実にリーズナブルな一冊。