自分の立ち位置と心がけ

今日ICCで生セルカンを見てきて、いろいろと考えた。
科学者が何のために存在するのか。何をなすべきか。
科学者の定義とか、自分が科学者かどうかってのは
とりあえず脇においておこう。本質的じゃないから。


自分は、何事も基本的に現状認識から入って、問題点を抽出し、
それを解決するというアプローチを取る傾向がある。
現状認識だから、最悪の状況とかも考えるし、
問題点を洗い出すんだから、ポジティブになるとは限らない。
でもそこをネガティブだとか突っ込まれても困る。
楽しくないとか言われても困る。そういう種類じゃないから。
エンターテイメント的なもの、マスマーケット向けのものを
目指そうと思ってないので、そもそも前提が異なる。


裕福な人に暇つぶしの手段を提供するよりも、
世界中の人が、そこそこまともに暮らせる手段を提供する方が、
科学者の仕事だと思うし、自分にとって興味のあることでもある。
それがストイックとか、面白くないとか言うのは勝手だけど、
知恵を絞って問題を解決することは、非常に楽しいと思う。
勉強に通じるのかもしれない。難しいからやりがいがあるみたいな。


最近特に強く感じることとして、ノイズが入りすぎること。
どうでも良い情報が頭に入り込んでくるのがけっこう不快。
トレンドがどうのこうのとかそういうことは興味ないから
もっと世間知らずになろう、そうなんなくちゃ、と思う。
テレビみなくなったのはずっと前。新聞も読まなくていいかな。
ネットもはてな界隈で人気とかそんなのどうでもいい。
海外旅行に行って帰ってきたときの浦島太郎状態がいい。
あってもなくてもどっちでも良い情報がそぎ落とされてるから。
自分にとって尊敬できる人が強い関心を持っていることだけを知りたい。


みんながとか、世間がとか、そういうのに流されたくない。
科学者は短期的なトレンドに流されてはいけない。
もっと長期的に、もっと本質的なことを考えたい。
一応補足すると、別に芸術を否定するわけではない。
人を感動させる文章があるし、そういう音楽もある。
背筋がゾクゾクするような絵画だってあるのは知っている。
でも、自分はそっちの利用者であっても、提供者じゃない。
このブログだって、不特定少数に向けたものである。
自分の立ち位置がどこなのか、いまいち明確じゃなかった。
何が言いたいかというと、エンターテイメント的思考ができず、
トレンドとか世間のことに関心が持てない自分に対して
そんなに悲観的になんなくていいんじゃない?
やり方はいろいろあるんだし、気にしなくて良いんじゃない?
と自分を慰めてるだけ。よく考えたらけっこうかっこ悪い。
まあ両方必要なんだろうけど、いきなり両方なんて無理だから
とりあえず一方に集中しようかと感じた今日この頃。


自分がセルカンを知るきっかけになったのは、この記事。
アニリール・セルカン特別講演、世界にはおもしろい人っているもんですなあ。:[mi]みたいもん!
http://mitaimon.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/_20061006_7822.html
この熱い記事を読まなければ、こんなにはまってない。
今更ながら思うけど、ブログってけっこう影響力あるんだな。
近頃あえて減らしてたけど、やっぱりどんどん書いていこうと思った。